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◆救いは主のものです。

2017年02月26日 08時57分23秒 | 聖書
(ヨナ二・九)
救いは神のみわざである。「罪過と罪との中に死んでいた」たましいを生かし、その霊のいのちを守られるのは神のみである。神は「アルファであり、オメガ」であられる。
もし私が祈り深いなら、それは神が私をそうされたのである。もし私に徳があるなら、それは神の賜物である。もし私が調和のある生活をしているなら、それは神がその御手で支えておられるからである。神が私を守るために先手を打たれたのであって、私が何かの努力をしたためではない。私の犯す罪は私のものだが、私のなす正しい行いはことごとく主から来たのである。
もし私が霊の敵を撃退したとしたら、主が私の腕を力づけられたからである。私が人々の前で聖い生活をしたとしたら、それは私でなく、私のうちに住んでくださるキリストである。私は聖められているか。私を聖としたのは、私自身ではなく聖霊である。私は世的なものから離れているか。私は、私のために配慮される神の懲らしめによってそうされている。知識において成長したか。それは大教師が私を教えられたからである。私の宝石はすべて天の技術によってみがかれたものである。私に欠けているものは、すべて神の中にある。しかし私の中にあるものは罪とわざわいだけである。「神こそ、わが岩。わが救い」である。
私は神のみことばを食べて成長しているか。みことばをたましいの食物として、それを食べるようにしてくださるのは神である。私は天から降るマナによって生きているか。そのマナは受肉されたイエス・キリストであって、私はそのからだを食べ、その血を飲んでいるのではないか。私は不断に新しい力を受けているか。その力はどこから来るか。私の助けは、天地を造られた主から来るのであり、イエスなしに何もすることはできない。枝が幹につながっていなければ、実を結ぶことがないように、私も主につながっていなければ何もできないのである。
ヨナが海底で学んだことを、今朝は私の密室において学びたい。「救いは主のものです」ということを。
 
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