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◆神のうちにとどまっていると言う者は、

2017年05月17日 06時19分03秒 | 聖書
自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。(Ⅰヨハネ二・六)
クリスチャンは、なぜキリストにならわなければならないか。彼らは自分自身のために、それをなすべきである。もし彼らがたましいの健康を願い、罪の病を免れて恵みに成長し、生気に満ちあふれていたいならば、イエスを模範としなければならない。自分自身の幸福のために歓喜のぶどう酒を飲みほし、イエスとの聖く幸いな交わりを楽しみ、この世の心労と苦難を超越していたいと願うならば、キリストが歩まれたように歩まなければならない。心にキリストのかたちを抱き、すべての行動をそれに従わせることほど、天国へ旅する者を助けるものはない。あなたが最も幸福であり、また神の子どもであることを最もよく知ることができるのは、聖霊の力により、イエスとともにその御足跡を踏むことができる時である。ペテロは遠く離れていたために、危険であり、不安であった。
次に、福音のために、イエスのようになることを努めよ。おお、痛ましい福音よ。おまえは残忍に敵の攻撃を受けてきた。しかし敵の与えた傷は、味方の与えた傷の半分にもあたらなかった。聖なる御手にこれらの傷を負わせたのはだれか。偽善の短剣をひらめかせながら、信仰を公言する者である。羊の皮を着た狼であり、口実を設けておりに入り、外部にいる獅子よりも羊を悩ませている者である。ユダの口づけほど鋭い凶器はない。無定見な信仰公言者は、冷笑を浴びせかける批評家や背教者以上に福音を傷つけている。
しかし、とりわけキリストご自身のために、その模範にならえ。主にある友よ。あなたは救い主を愛するか。主の名はあなたにとって尊いものか。またあなたは、この世の国がイエスのものとなるのを望んでいるか。そして主があがめられることを願っているか。あなたは、たましいが主のもとに獲得されることを願っているか。もしそうであるならイエスにならえ。すべての人に知られ、また読まれる「キリストの手紙」となれ。
 
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