座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「さあ、われわれは町を建て、

2016年10月08日 16時50分58秒 | 聖書

頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」(創世記11:4)

全地は最初一つ言葉であった。スムーズに意思疎通ができていた。
人々はシヌアルという平地に定住した。

神により、石の代わりに、れんがを作る技術が与えられ、れんがと瀝青で建築物を作ることができた。
スムーズに対話ができ、肥沃な地に住めて、建築の技術も与えられ、すべては神の大いなる恵みであった。

しかし、その神の恵みに感謝し、栄光を神に帰するのではなく、自分の名をあげ、自分の栄光、自分の名誉、自分への賞賛、自分が神にとって代わった。
神の恵みで賜った物や能力を、自分の栄光のために使うようになった。
自分、自分・・。これがアダムからの罪そのものだ。
「そのうちに」「我々は、頂きが天に届く塔を建て」、最初は良かったのであろうが、「その内に」方向が狂って来た。

神は言葉を混乱させられて、意思疎通が不能にされた。
その結果、塔の建築は不可能になり、「彼らは建てるのを止めた」塔建築は失敗した。
神が阻止された。

そして、人々は全地に散らされた。原因は神への高慢であった。
この所で学ぶ事ができる。互いに意思疎通ができない時、そこに必ず「高慢」が潜んでいる。
自分が神になり、自己義、自己中心、自己防衛、自己主張・・。
真の一致は、愛とへりくだりにある。そこには必ず喜びがあり、神の栄光がある。

---------------
意思疎通ができない時、しばしば相手が悪いとしか見えない。
しかし、自分の高慢が潜んでいないか心を探って頂こう。
愛がないなら間違っている。
もし神と自分の間が正しければ、どうであれ自分は平安だ。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 今日の聖人の記念日 | トップ | ◆聖霊によって祈り……。 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

聖書」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。