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◆神よ。御恵みによって、私に情けをかけ……。

2012年08月29日 12時14分20秒 | 聖書

(詩篇五一・一)

ケアリ博士が重病の床にあった時、「もしこの病が致命的なものならば、あなたの葬式の時の説教にはどの箇所を読みましょう」という質問がなされた。博士は、「私のような罪深い者は、話してもらう値打ちもありませんが、どうしても葬式の説教をしなければならないのでしたら、『神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください』の所をお願いします」と答えた。さらに博士は、これと同じ謙遜な心をもって、自分の墓石に次のように書くように遺言し、これ以外のことは記してはならないと言った。
 ウィリアム・ケアリ
 一七六一年八月十七日 生
 ………………………… 没
「みじめにして貧しく、力のない虫のような私
は、あなたの優しい御手によって眠る。」
最も経験の深い、最も尊敬に値する聖徒は、ただ無代価の恵みという足場によってのみ神に近づく。人間の中で最高の部類に属する人たちは、自分たちが単なる人間にすぎないことを知っている。積荷のない船は、水上に高く浮き上がるが、多くの荷を積んだ船は、水中に船体を沈めている。口先のみの信者は大言壮語するが、真の神の子は自分がふつつかなしもべであることを認め、神の恵みを求めて叫ぶ。
私たち自身の良き働き、祈り、説教、施し、そして最も神聖な物事の上にも主のあわれみを求めなければならない。血はイスラエル人の家の入口の柱だけではなく、聖所にも、恵みの御座にも、祭壇にも注がれていた。罪は私たちの最も神聖視するものの中にも侵入するからである。そこにも汚れをきよめるためにイエスの血潮を必要とするのである。もし私たちの義務にも恵みを求めなければならないとしたら、まして罪に対してはどれほどであろう。
尽きることのないあわれみが、私たちを祝福し、信仰の後退を回復させ、私たちの砕かれた骨を喜ばせようとして待機しているとは、なんと快いことだろう。

 

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