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◆わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。

2016年12月28日 15時29分52秒 | 聖書
わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。(マタイ一〇・三四)
クリスチャンには必ず敵ができる。一人も敵を作らないことがクリスチャンの目的の一つであるが、もし正しいことをし、真実を信じようとするならば、この地上の友をすべて失うことになる。クリスチャンはそれを、小さな損失と見る。なぜなら、天におられる大いなる友がさらに親しいお方となり、これまで以上に、さらに恵み深くご自身を啓示されるからである。
おお、主の十字架を担う者よ。あなたは主が言われたことを知らないのか。「わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。」キリストは、平和を作り出す偉大なお方である。しかし平和に先立って、戦いをもたらされる。
真理のあるところ、偽りは逃げ去らなければならない。真理はその標準を下げることができないし、虚偽を足下に踏みつけなければならない。もしあなたがキリストに従うならば、世俗の犬がみなあなたの後ろからほえつくであろう。あなたが、最後の審判の法廷のテストに耐え得る生活をしようとするならば、この世は必ず、あなたのことをよく言わないであろう。この世と親交ある者は、神に敵対している。もしあなたが、いと高きお方に対して真実であり忠実であれば、人々はあなたの断固たる誠実に対して怒りを発するであろう。なぜなら、それは彼らの悪に反対する証しだからである。
しかしあらゆる結果を恐れずに、あなたは正しいことをしなければならない。真理のためには自分の名声と骨肉への愛すら危険にさらすが、このような危機と対決するには、あなたのうちに聖霊のみが作られる節操を絶えず必要とする。
雄々しく、主の御足の跡に従え。なぜなら、主はあなたに先立ってこの険しい道を行かれたからである。しばしの戦いの後、永遠の安息を得るのは、偽りの平和と永遠の呵責にはるかにまさる。
 
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