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ヨハネの福音書9章20~22節

2017年12月19日 06時48分18秒 | 聖書

★そこで両親は答えた。「私たちは、これが私たちの息子で、生まれつき盲目だったことを知っています。しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。また、だれがあれの目をあけたのか知りません。あれに聞いてください。あれはもうおとなです。自分のことは自分で話すでしょう。」
彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。



■O:今日のコラム
イエス様は盲人の目を開けられました。主は、私たちの心を開かれ、目や耳を開かれる方です。この奇跡は安息日に行われたためにパリサイ人は、そのような奇跡を認めることができませんでした。

それゆえ盲人に証言させましたが、議会はこのことに対する意見が真っ二つに割れてしまいました。盲人はまた証言するのですが、納得できません。そこで盲人の両親を呼び出しました。二人三人の証言によって真実と認められるからです。

しかしその両親は証言を拒みました。イエス様が盲人の目を開けるキリストであることを最も実感をもって受け止めているのは、彼の両親かもしれないのにです。

この子が生まれたとき、目が見えないことのショック、周りから「お前たちの罪のせいだ」とののしられた辛い思い出。数々の体験があったでしょう。この両親の証言は強力なものとなったでしょう。しかし証言を避けてしまいました。

「それはユダヤ人たちを恐れたからである」と聖書は語っています。私たちも神を恐れるのではなく、人を恐れるのならば、証しができなくなってしまいます。

私たちは、神を恐れ、神を愛する愛によって恐れを締め出すことを学んでいく必要があります。理論を頭でめぐらし始めると、私たちはどんどん臆病になって、恐れ、不安になり、イエス様を証しすることをやめてしまうことがあります。

確かに知恵も必要ですが、愛の火を消してしまうような知恵は、天からのものでなく、地に属する知恵であるかもしれません。愛は損得勘定を超えたものです。

一方、盲人本人は恐れず証しをしました。ユダヤ人から追放されることをも恐れずに。それゆえにイエス様は、彼を思い、彼に会いに出て来られました。

愛によって恐れを締め出し、イエス様の証人となりましょう!人に良く思われること以上に、イエス様に良く思われる者になりましょう!



■A:考えてみよう
どんな場所でも、どんな時でも、誰に対してでも、恐れることなく愛によって燃やされて、今日も人々の中に入っていきましょう。
主の愛と祝福をそこに注ぎ出し、チャンスがあれば福音を語りましょう。 



■P:祈り
主よ。愛によって恐れを締め出すことを学ばせてください。もっとあなたを証しする者にならせてください。今日、イエス様を知らない人を祝福することができるようにさせてください。



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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