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◆主をおのれの喜びとせよ。

2017年06月14日 09時28分38秒 | 聖書
(詩篇三七・四)
このみことばは、生きた信仰を知らない人にとっては驚異であるに相違ないが、真の信仰者にとっては、よく知っている真理を言い表したものにすぎない。ここで、信者の生涯は主を喜ぶことであると記されている。そして、真の信仰は幸福と喜びにあふれたものであるとの、偉大な事実がここに保証されている。
不信仰な者、口先だけで信仰を告白する者は、信仰が喜ばしいものであるとは決して考えない。彼らにとってそれは勤めであり義務であり必要ではあるが、決して喜びや楽しみではない。彼らが信仰に耳を傾ける時、それは信仰によって利益を得ようとしているか、仕方なしにしているかである。信仰が喜びであるとの思想は、多くの人には全く耳新しい。彼らにとって「聖潔」と「喜び」ほど掛け離れたことばはない。
しかしキリストを知っている信者は、喜びと信仰が固く結ばれており、地獄の門もそれを解き放つことができないことを知っている。心を尽くして神を愛する者は、その歩む道が楽しく平安に満たされているのを見いだす。この喜び! あふれるばかりの楽しみ! 聖徒たちはあり余る祝福を主にあって見いだす。それゆえ彼らは単に習慣的に主に仕えるのではなく、たとえ全世界が主の御名を嫌ってそれを投げ、捨てたとしても、なおかつ主に従う。私たちは、神に強制されはしないかと恐れたりはしない。私たちの信仰は足かせではなく、私たちの信仰告白は束縛ではない。私たちは聖潔にまで引きずられていくのでなく、また義務に追いやられるのでもない。否、むしろ私たちの敬虔は喜びであり、希望は幸福であり、義務は歓喜である。
喜びと真の信仰とは、根と花のように密接に関連したものであり、真理と必然性とを分かつことができないように、不可分のものである。それらは黄金の台の上に並び輝く二つの宝石のようなものである。
 あなたの愛を味わったとき
 私たちの聖い喜びは成長し
 言い尽くすことのできない天上の喜びとなり
 御国がこの地上に始まる
 
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