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エゼキエル書14章1~4節(マタイの福音書14章)

2017年05月16日 06時39分21秒 | 聖書


★『イスラエルの長老たちの幾人かが来て、私の前にすわった。そのとき、私に次のような主のことばがあった。「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。それゆえ、彼らに告げよ。神である主はこう仰せられると言え。心の中に偶像を秘め、不義に引き込むものを自分の顔の前に置きながら、預言者のところに来るすべてのイスラエルの家の者には、主であるわたしが、その多くの偶像に応じて答えよう。』


■O:今日のコラム
エルサレムにいる長老達は、心に偶像を秘め、目の前に不義に引き込む物を置いていながら、主に願い求めていました。これは、言ってみれば浮気をしながら、夫に頼み事をする妻のようなものです。
  一方、私たちは、自分たちの目の前に何を置いているでしょうか?自分の心の王座に自分自身が座っているなら、目の前に置いている物は、自分の肉の願望でしょう。しかし、私たちが毎日、自分を捨て自分の十字架を負ってイエス様について行く事を選び取るならば、目の前に置かれている物は、私に主がして欲しいと願っている御心でしょう。それは、自分に語られた御言葉です。
  主は私たち一人ひとりにして欲しい事があります。もしなかったら、すぐに天に引き上げられるはずです。主は私たちをしかし、地上にまだ置かれています。まだ私たちにして欲しい事があるという事です。そのために主は私達に語りかけてくださいます。その御言葉のともしびを見つめているならば、私たちは、つまずく事がありません。この『不義に引き込む物』というヘブル語は、『つまずかせる物』という意味の言葉です。
  自分の王座に主が座られる事は、礼拝の基本です。主はとこしえに御座におられる方だからです。自分の王座に主が座られ、自分を治めてくださる事が最も小さな神の国です。神の国とは、神の御統治のことだからです。
  私たちは、今日も献身を新たにし、心の王座に主をお迎えしましょう!そうなれば、自分の願望を目の前に置くのではなく、主の御心がなされる事が喜びとなり、義に飢え乾く者としての幸いを味わうのです。今日も私達、一人ひとりに対する神の計画が前進していきますように!


■A:考えてみよう
今日も祈りの中で献身を新たにし、主が自分に語られた御言葉のともしびを目の前に置きましょう。


■P:祈り
自分の肉の欲、情欲を十字架に付け、イエス様の血の力、十字架の恵みを受け取ります。それらから離れ、主を王として、神として、主として心の王座にお迎えいたします。自分を捨て、自分の十字架を負ってあなたについて行かせてください。

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