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ルカの福音書12章16~21節

2017年09月20日 06時46分46秒 | 聖書


★それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

■O:今日のコラム
遺産相続の問題の解決を求めてきた人にイエス様は、財産よりも大事なものがありますよと「愚かな金持ち」の例えを話されました。この話の金持ちは、なぜ愚かだったのでしょうか?豊作の時に蓄えることはとても賢いことですよね?

創世記に出てくるヨセフはどうだったでしょうか?パロの夢を解き明かし、豊作の時に備えて飢饉の時を乗り越えました。その結果どうなったでしょう。

「パロはなおヨセフに言った。『さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。』そこで、パロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。」(創世記41:41-42)

このことによってヨセフはエジプトを支配する最高の地位が与えられたのです。

また、箴言には、「なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。」(箴言6:6-8)という言葉があります。それは、冬に備えて蓄える蟻から学べということです。

ですから、豊作の時に蓄えることはとても賢いことなんですよね。

しかし、ここでの問題は、そのことではなく、別のところにあるのです。このたとえ話を口語訳で見ると、「わたしの作物」、「わたしの倉」、「自分のたましい」というように、そこには「わたし」「自分」しかないんです。自分は自分の力だけで生きているんだと考える時「愚かな金持ち」になってしまうんです。

この金持ちは富むことこそが人生の勝利者なのだと考えていました。収穫の主に感謝する気持ちが無かったんです。天国に宝を積むことに心がけていなかったのです。神様はこのような自己中心的な生き方に対して「愚かな」と言われているのです。

イエス様は最後に「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と言われました。私たちは、天国に宝を蓄えるといったところに自分の心を置くべきではないでしょうか。

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」(マタイ6:33)とあるように、自分中心、自分主体の歩みから、イエス様を第一に祈り求める歩みへと造り変えていただき、神様と共に生きる者となりましょう。



■A:考えてみよう
この世の富、この世の楽しみ、この世のものが、手の中で握り締められていませんか?
今、手放す勇気を持ちましょう。



■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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