私たちはマルタとマリヤを兼備しなければならない。多くの奉仕をなすと同時に、よく霊の交わりをもたなけばならない。このために、私たちは大いなる恵みを必要とする。交わりよりも奉仕のほうが容易である。
ヨシュアはアマレクとの戦いに疲れることがなかったが、モーセは丘の頂にあって祈る時、両手を支える二人の助け手を必要とした。私たちのなすことが霊的になればなるほど、私たちは疲れるものである。珍しい果実ほど育てるのが困難である。最も聖なる徳は、養うのが最も困難である。
愛する者よ。私たちは外のことを無視するわけではなく、外のこともよいのだが、イエスとの生きた個人的な交わりを常に保っていなければならない。主の用をしているとの表面的な口実があったとしても、救い主の足もとに座ることを怠らないように注意せよ。自らのたましいの健康のためになすべき第一のこと、神の栄光のための第一のこと、そして私たちが用いられるための第一のことは、主イエスと不断の交わりを保ち、私たちの生きた信仰の霊性が、世の一切のものを離れて養われていることを知ることである。