座間コミニティー

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おはようございます。

2017年09月25日 07時01分58秒 | 日記

今日1日感謝の一日をありがとうございます。

合掌

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今日の聖人の記念日

2017年09月25日 07時01分27秒 | キリスト教

聖セルジオ(ラドネーシュ)

1314年-1392年

 セルジオは、ロシアのロストーフの裕福な家に生まれ、名前はバルトロメオといった。
 15歳のとき、ロシア内戦によって一家は全財産を失い、ラドネーシュに移り住んだ。両親が亡くなった後、兄のステファンと、近くの森で修道生活をすることを決め、聖三位一体にささげられた木造の小さな聖堂と丸太小屋を建てた。

 兄は途中で断念したが、バルトロメオはひとりで修行を続け、その地方の修道院長のもとで誓願を立て、セルジオという名をもらった。その後も、森に住み続け、彼の徳の高さと謙虚な人柄は人びとに知られるところとなり、従う者があとをたたなかった。

 彼と弟子が創設した修道院の数は約40にものぼった。また彼は、トルコ軍の侵入によって消滅していたロシアの修道院制を復興させた。セルジオは、ロシア諸侯の内紛を調停したり、大公ドミトリ・ドンスコイのトルコ軍との戦いを精神的に支え、勝利に導いたりした。

 1378年、モスクワの総大司教に推されたが辞退し、生涯を貧しさに甘んじて過ごした。彼は、ロシア最大の聖人といわれている。

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◆酒  に  酔  う

2017年09月25日 06時59分56秒 | 聖書

わざわいのある者はだれか。嘆く者はだれか。
争いを好む者はだれか。不平を言う者はだれか。
ゆえなく傷を受ける者はだれか。
血走った目をしている者はだれか。
ぶどう酒を飲みふける者、
混ぜ合わせた酒の味見をしに行く者だ。(箴言二三29―30)
酒に、自分というものの支配権・コントロール権を売り渡してしまった酔っぱらいの姿が、絵のように描かれています。故人となった落語家の圓生あたりにこの聖書のことばをテキストとして演じさせたら、泣き上戸・けんか上戸・ぐち上戸の目の血走った姿を、さぞかしじょうずにやってのけるだろうと思います。
二三章の後のほうを見ますと、異様なものを見たり聞いたりする幻聴幻覚、ねじれごとをしゃべる放心状態、もうどうにもならないのにもっと飲みたいという飢餓状態も描かれています。「一杯人酒を飲み、二杯酒酒を飲み、三杯酒人を飲む」とは、うまいことを言ったものです。酒は口から飲むのに、全身にまわって、手も足も口も酒が支配し、手が舞い足が踊り口が歌い出します。ギリシャの賢人ダイオゼニスは、つがれた酒をすぐ地面にこぼして捨てるので「惜しいじゃないか。むだにして」ととがめられ、「それでも酒を飲んで、私と酒の両方をむだにするよりましだ」と言ったと聞きました。
新約聖書は、「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい」(エペソ五18)と言っています。神の御霊に満たされて酔え、酒に酔っぱらうなというのです。しかし、エゴが支配していてはできないことです。
 口は賛美の歌うたい
 手は喜びの舞いを舞い
 足は奉仕の道を行く
人は、陶酔を求めます。神の愛と喜びの中に、最も高貴な陶酔があるのではないでしょうか。
 
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◆こうして神ご自身が義であり、

2017年09月25日 06時58分41秒 | 聖書
また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。(ローマ三・二六)
私たちは信仰によって義と認められたため、神との平和をもっている。良心はもはや私たちを責めず、さばきも今や罪人に不利とはならない。記憶は過去の罪を顧みて深くそれを悲しむが、来るべき罰を恐れない。キリストが神の民の負債を支払って、神の領収書を受け取ってくださったからだ。だから神が一つの負債に対して二重の支払いを求めるほど不条理な方でない限り、キリストが身代わりになって死なれたたましいが、一人でも地獄に落ちることはあり得ない。
神を義なる方であると信じることは、御霊によって啓発された性質の根本原則の一つである。私たちは神が義でなければならないと感じる。これは初めは恐怖をもたらす。しかし、神は義であるというこの同じ信仰が、後に私たちの確信と平安の柱になるとは驚くべきことである。神が義であられるなら、罪人であり、身代わりのない私は滅びるよりほかはない。しかし主は私の代わりに立ち、私のために罰を受けられた。それゆえに、神が義であるならば、キリストにあって立つ罪人の私は、今や罰せられることはない。主が身代わりとなられたたましいに律法を適用する余地はなく、神はそのたましいの前に態度を変えられるのである。
罪の結果当然受けねばならない神の怒りのすべてを、主が身代わりになって受けられたために、信者は「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか」との勝利の叫びをあげることができる。訴えるのは神ではない。神は私たちを義とされた。訴えるのはキリストでもない。主は私たちのために死に、よみがえられた。
私は自分が罪人でないから希望をもつのではない。私は罪人であり、主が私のために死んでくださったので、希望をもつのである。私の信頼は自分の聖さにではなく、主が汚れている私の義となられたことにある。私の信仰も私自身にはなく、キリストがどんな方であって、どんなことをなさり、また現在私のために何をなさっておられるかにある。義の獅子の背に、希望という美しい少女が女王のように座している。
 
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詩篇65篇1-4節

2017年09月25日 06時57分00秒 | 聖書


65:3 咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。
65:4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。


人は、いくら人の前で正しい人とみられても、聖なる神の前では皆、罪を犯している犯罪人です。

神さまは人が見ていない、また見ることができない所まで、知りたもうお方であられるからです。

また、そのすべての悪を裁かれるお方であられます。

ですから大事なことは、自分が神の前に多くの罪を毎日犯している罪人であって、このままでは滅びに置かれてしまう者であることを、認めることです。

そして、神の前に悔い改め、神が私たちのためにお遣わしくださった救い主であられるイエス様を、自分の救い主として信じて受け入れ、頼っていくことです。

 真に幸いな人とは、自分の罪を知り、その結果、神が与えてくださったキリストによる救いへと導かれ、犯したすべての罪の赦しの恵みに預かった人のことなのです。す



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ルカの福音書17章5~6節

2017年09月25日 06時54分29秒 | 聖書


★使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」
しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。


■O:今日のコラム
弟子たちは、「私たちの信仰を増してください」とイエス様にお願いしました。弟子たちだけではなく、クリスチャンであるならば、誰もが同じような祈りをしたことがあるのではないでしょうか。自分の信仰がもっと強くなれば、どんなにすばらしいだろうかと。

皆さんならどのような答えを期待するでしょうか?「よし。信仰を増してあげよう。」と期待するでしょうか?イエス様の答えは、

「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけどおりになるのです。」(ルカ17:6)

でした。からし種は小さな種の代表格です。以前、イスラエルに行った時に、ガイドさんが実物を見せてくださいました。私が想像していたよりも小さく、息を吹けば飛んでいってしまうような大きさでした。

また桑の木とは、パレスチナ地方でよく見られるイチジク桑の木のことで、根が広く、深く張ることで知られる木です。その根が広く、深く張る桑の木に、からし種のような小さな小さな信仰をもって命じれば、海に移るというのがイエス様の答えでした。

ここで学ばされるのは、からし種の小さな信仰を用いることです。私たちは大きな信仰がなければいけないと思ってしまいがちではないでしょうか?イエス様が語られたのは、からし種の信仰です。

私たちが主から与えられている御言葉に対するからし種のような信仰、確信があるならば、不可能と思えるような状況に対しても、そのからし種の信仰を用いて宣言することが大切です。何回か宣言して、状況が変化しなくてもあきらめないでください。

しかし、私たちは状況がすぐ変わらないとあきらめてしまいがちです。

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7-8)

この聖書箇所で「求めなさい」「捜しなさい」「たたきなさい」は、ギリシャ語では、動作の継続を示す命令法で書かれています。つまり求め続ける、たたき続けること、捜し続けることです。あきらめずに、根気よく続けることの大切さが書かれています。

信仰をすぐに投げ捨ててしまうのではなく、あきらめずにからし種のような小さな信仰を用いて、御言葉を宣言し、また宣言し続けていきましょう。

「わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。」(詩篇89:34)



■A:考えてみよう
御言葉に対するからし種のような小さな信仰があるならば、宣言していこう。状況が変わらなくても、あきらめるのではなく宣言し続けていこう!


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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