座間コミニティー

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◆虹が雲の中に現われる。

2014年08月12日 16時56分36秒 | 聖書

(創世九・一四)

虹はノアとの契約のしるしであり、また人々に対する主の証人であるイエスの型である。いつ私たちは、契約のしるしを見ることができるだろうか。
虹は雲の上に彩られた時にのみ見ることができる。罪人の良心が雲におおわれ、過去の罪を思い出して神の前に嘆き悲しむ時、イエス・キリストは約束の虹として現れてくださる。そして神のご人格の輝かしい色を表し、やがて来る平和を示される。信者が、試練と誘惑に囲まれる時、主イエス・キリスト――私たちのために血を流し、私たちのために生き、よみがえり、嘆願されるイエス・キリスト――を見ることはすばらしい。神の虹は、私たちの罪、悲しみ、わざわいの雲の上にかかり、救いを預言している。
また、雲だけでは虹は現れない。太陽の光を反射する水滴がなければならない。悲しみは私たちを脅かすだけでなく、実際に私たちの上にふりかからなければならない。もし神の怒りが、単に私たちを脅かす雲にすぎないとすれば、キリストは与えられなかったであろう。罪の罰は恐ろしいしずくとなって、私たちの保証人の上に下らなければならない。罪人の良心に現実に苦しみがあるまでは、キリストはみわざをなされない。神の懲らしめが身にしみるまでは、イエスを見ることはできない。
しかしそこにはまた、太陽がなければならない。雲と水滴があっても、太陽が輝かなければ虹はできない。愛する友よ。私たちの太陽である神は、常に輝いておられる。私たちは、いつも神を見るわけではない。なぜなら、雲が神の御顔を隠しているからである。しかし、いかに雨が降り、雲が脅かそうと、もし神が輝いてくださるならば、ただちに虹が現れる。
虹が現れるなら夕立は終わるという。キリストがおいでになる時、私たちの患難が除かれることは確かである。私たちがイエスを見上げる時、私たちの罪は消え、疑いと恐れは去る。イエスが海上を歩かれる時、なんと静かななぎが来ることであろう。

 

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「あなたが私のそばに置かれたこの女が、

2014年08月12日 16時55分50秒 | 聖書

あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」(創世記3:12)

よく欠点を挙げながら、「どうせ私なんて」という人がいる。
しかし、正面から自分の欠点を認めているのではない。
もし、周囲から「その通りですね」など言われようものなら、反撃するだろう。
自分で言っているのに、人から言われると腹を立てる。
これは実際のところ、自分が悪いなどと全然思っていない。
そうではなく、自分を認めてくれない、周囲が悪いと思っている。
欠点はすべての人にある。
しかし、成長して行く人と、心を屈折させてますます歪めて行く人に分かれる。
その違いは、真っ直ぐにその欠点を認めるかどうかだ。
そこから大きく違って来る。
私達は皆、失敗するものだ。
間違いを犯してしまう。
その時に「それをしたのは、私です」が一番神の喜ばれる態度だ。
アダムはエバに、エバは蛇に、責任転嫁して行った。
罪の性質は、人を責め、環境を責め、決して自らの罪を認める事はない。
悪いのはすべて人のせい、環境のせいだ。
責任を取るとは、自らの罪を認め悔い改める事だ。
そこで神の赦しと癒しを経験する。
----------------
人はだれもが罪を犯す。
神様の御心の中を歩んで行くためには、しっかり罪を認めなければならない。
そうでないなら成長もなく、次の一歩も踏み出せない。

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今日の聖人の記念日

2014年08月12日 08時09分25秒 | キリスト教

聖タルチジオ助祭殉教者

3世紀

 タルチジオは、ローマ皇帝ヴァレリアヌスの迫害時に、ローマ貴族の家に生まれた。彼は、キリスト教の信徒が、迫害にあっても信仰を守り抜く姿に心を打たれ、洗礼を受けた。そして、助祭となって司祭を手伝い、教会に奉仕し、捕えられている信者たちのもとに聖体(ミサによってキリストの体に変えられたパン)をたびたび運んだ。そのため、彼も捕えられて殺された。彼は、聖体の殉教者と呼ばれる。

聖ヨハンナ・フランシスカ・ド・シャンタル修道女

1572年-1641年

 ヨハンナは、フランス、ディジョンの貴族の家に生まれた。
 1593年にシャンタル男爵と結婚し、4人の子どもに恵まれ、幸福で信仰深い家庭生活を送っていた。28歳で夫に先立たれ、その後は祈りと病人や貧しい人びとへの奉仕に専念した。

 1604年のフランシスコ・サレジオとの出会いを機に、彼の霊的指導のもとで修道生活への望みを抱くようになった。

 フランシスコは、若い女性や未亡人が入会することができる修道会を創立したいと思っていたので、ヨハンナと他の同志を誘って修道生活を始めさせ、「聖母訪問修女会」を創立した。
 ヨハンナは同会の総長に選ばれ、観想生活と慈善活動を統合するよう会員を導き、83の支部修道院を設立した。

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◆神のサーチライト

2014年08月12日 08時07分57秒 | 聖書

人間の息は主のともしび、
腹の底まで探り出す。       (箴言二〇27)

人間の良心は、神が人間の中に備えつけられたサーチライトです。神が人間を造られた時、「いのちの息」(創世二7)を吹き入れられました。ほかのすべての動物と違って、人間には良心があり、善と悪を判別します。神を離れて罪の道を長く歩いてきた人間の良心は、曇ったりなまったりしているので、エレミヤは、「人の心はすべてのものより偽るもので、はなはだ悪い」(エレミヤ一七9参照)とさえ言いました。確かにそうです。しかし、すべての人の心の中に、この神の声・神のともしび・神のサーチライトがあることも事実でしょう。
姦淫の現場を押さえられた女を、パリサイ人たちはイエス・キリストのところへ連れてきました。「律法によると石で打ち殺せとあるが、先生、あなたならどうします」と言って、人のみじめで不幸な姿を、イエスを試す材料にしようとしました。イエスはしばらくだまっておられましたが、やがて言われました。「あなたがたの中で罪のない者が、まず石を投げなさい。」すると、どうでしょう。人々は、一人去り二人去り、みなこそこそと姿を消してしまいました。パリサイ人たちにも良心があったのです(ヨハネ八3―11)。
良心に責められる時、弱りはててはなりません。がっかりしてぺしゃんこになってはなりません。自分でこそこそと「もうしません」などと決心してみたり、償いだといって自分をいじめたり痛めつけたりしてもいけません。神の前に正直に告白し、キリストの血潮の中に、神の愛の中に、洗いざらい全部を投げ出しなさい。光の中に投げ出したものは、みな光となるとさえ聖書は言うのです。イエス・キリストの愛と十字架の血潮は、すべての人の良心のけがれを完全に洗いきよめます。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(Ⅰヨハネ一7)。

 

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◆主は、王だ。

2014年08月12日 08時07分10秒 | 聖書

地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。(詩篇九七・一)

この幸いな聖句が真実である限り、不安の原因は何もないはずである。
地上にあっては、主の力は大波を支配するように、悪人の怒りをも支配している。主の愛は、雨が地を潤すように、あわれみをもって貧しい者を力づける。神の主権は恐ろしいあらしの中の閃光のように輝き、主の栄光は国々の滅亡と王座の転覆のうちにその荘厳さを現す。私たちはすべての戦いと苦悩のうちに、王である神の御手を見る。
 神は神である
 私たちのすべての苦悩と涙を見られ
 また聞いてくださる
 たましいよ。苦痛の中にいても忘れるな
 神がすべてを永遠に治められることを
地獄において悪霊どもは、疑うことのできない神の支配下に苦しんでいる。彼らは外へ出て歩き回ることを許されたとしても、その足には鎖がついている。河馬の口にはくつわがかけられ、レビヤタンのあごには鉤がつけられている。死の夜は主の鎖につながれ、神の力が墓場の牢獄の番をしている。全地の審判者の恐ろしい報復には、悪魔も、むちを恐れる飼い犬のように立ちすくんで震えるのである。
 死を恐れるな。サタンの攻撃に驚くな
 神はご自身を信頼する者を守られる
 たましいよ。苦痛の中にいても忘れるな
 神がすべてを永遠に治められることを
天上にあっては、永遠の王の主権を疑う者はなく、すべての者はひれ伏して、臣下としての礼を尽くす。天使は神の廷臣であり、贖われた者は神の寵臣であり、すべての者は日夜喜びに満たされつつ神に仕える。私たちにも速やかに偉大な王の都に行かせてください。
 人生の悲しく長い夜にも
 神は平安と喜びを与えられる
 たましいよ。苦痛のなかにいても忘れるな
 神がすべてを永遠に治められることを

 

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第2サムエル記11章26-27節

2014年08月12日 08時04分42秒 | 聖書

11:26 ウリヤの妻は、夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のためにいたみ悲しんだ。
11:27 喪が明けると、ダビデは人をやり、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、男の子を産んだ。しかし、ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった。



 ウリヤの妻は、自分の夫がダビデの工作によって殺されたのだということを、少しも知りませんでした。

ですから、夫が死んだと聞いた時に、非常な悲しみに満たされました。

しかし夫が亡き今、ダビデが自分の所に来いという要請がありました時に、彼女にはお腹にダビデの子がいることですから、拒む理由もなく、ダビデの元へと入り、そして子を産みました。

ダビデには万事が思うとおりにいったという思いであったでしょう。

 ところが聖書は別のことを伝えています。

それは、このことを知っているのは自分だけだと、ダビデは思っていたと思われますが、しかしそうではなかったと言っているのです。

「しかし、ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった。」と、聖書は伝えています。

見たもう方がおられる。

それは主である、と告げているのです。

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ヨシュア記13章1、14、33節、14章14節

2014年08月12日 08時02分00秒 | 聖書

★ヨシ13:1、14、33  ヨシュアは年を重ねて老人になった。 主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。

ただレビの部族だけには、相続地が与えられなかった。主が約束されたとおり、イスラエルの神、主への火によるささげ物、それが彼らの相続地であった。

レビ部族には、モーセは相続地を与えなかった。主が彼らに約束されたとおりにイスラエルの神、主が彼らの相続地である。

★ヨシ14:14  それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。

■O:今日のコラム

8月12日の朝です。今日1日も、主を求めていきましょう。主に期待して、主に従い通す時、僕らは、力を得て、若さをもつことができるからです。

皆様が何歳か分かりませんが、今日、新しい力を主が与えてくださることを感謝します。

主は、日々僕らを新しくしてくださいます。年齢は関係ありません。

今、主が皆様に語られる言葉に耳を傾け、従うならば、昨日まで見ることができなかった新しい発見をすることができるのです。

主は、若者を通しても、老人を通しても、それぞれの年代を用いて、年齢層に合わせた力を与えてくださいます。

主が共に居てくださること、それが、僕らに力を与えてくださるのです。あり得ないほどの恵みです。その時に、主に聞き従うことができていなければ、もったいないことです。「神様、僕これやりたいんで、力ください。でも、あなたに従いたくないです。一緒に居たくないです。」と言う人と共に居たくはないのです。

当時イスラエルの民の中で80代以上はヨシュアさんとカレブさんの2人だけでした。後は、40代から下の年代でした。ヨシュアさんとカレブさんがますます力をもって戦うことができたのは、主に聞き従う姿勢を崩さなかったからです。

すべての戦いに主が戦っていました。そして、勝利をつかんでいきました。

イエス様がこの地に来られた時にも様々な戦いがありましたが、全てを、天のお父さんと共に戦いました。

ただ一つ、十字架だけは、イエス様が完全に天のお父さんからも引き離される経験をされました。僕らが完全な勝利を得るためでした。
そして、イエス様は命を再び解き放ち復活されました!! 天のお父さんの右の座につかれ、聖霊様を僕らの内側に与えてくださいました。

聖霊様こそ、「イスラエルの神様、主への火によるささげ物、それが僕らの相続地であった。」。
主への火の舌による、火によるなだめの供え物、祈りの香を僕らが捧げられることこそ、あり得ないほどの恵みです。

主が、僕らと共に居てくださる。僕らの相続地が神様御自身である。それは、レビ人に与えられた特別な祝福です。主に聴き従い仕える者に与えられている祝福です。

だから、今日、主に聴き従い仕える者として歩んでいきましょう。力は、主が与えてくださいます。僕らは、信じて、受け取っていきましょう。

■A:考えてみよう

14章8節  私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。

9節  そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである』と言いました。

僕らが信じて歩む場所が、僕らの地となります。主に聴き、従い、仕えていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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8月11日(月)のつぶやき

2014年08月12日 01時41分20秒 | キリスト教
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