座間コミニティー

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◆主は……

2014年05月31日 16時47分44秒 | 聖書

あなたのすべての病をいやし……。(詩篇一〇三・三)

この聖句は控え目に述べているが、しかし事実ははっきりしている。私たちはみな、多かれ少なかれ罪の病にかかっている。私たちの病気をいやすことができ、また喜んでそうしてくださる偉大な医者をもっていることを知るのは、なんという慰めであろう。
今夜しばらく主について考えよう。主のいやしは迅速である。主を一目見るだけでも力づけられる。主のいやしは完全である。主は病の根源を断たれる。だから主のいやしは確実である。主は決して失敗されることなく、病は決して再発することはない。キリストがいやされるならば、病がぶり返すことは決してない。主は患者に一時的な治療をされず、全く新しい人間に造り変えられるのである。主はまた、人々に新しい心を与え、彼らのうちに正しい霊を置かれる。主はあらゆる病の治療に熟練しておられる。医師にはそれぞれの専門があり、一つの病について、特に詳しく研究している。しかし、イエス・キリストは人間性のすべてに精通しておられる。主はどの罪人についても、その状態をよく知られ、決して治療の困難な例外的な場合に遭遇されることはない。主は、非常に複雑で奇妙な病を扱われなければならなかった。しかし主は一目見ただけで、どのような治療を施せばよいかをお知りになるのである。主は唯一の万能医師であり、主が与えてくださる薬は、すべての病をいやすことのできる唯一のものである。
私たちの霊の持病がどのようなものであっても、私たちはただちにこの医師である神に相談すべきである。イエスがいやすことのできない心の悲しみはない。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」
主がちょっと手を触れられただけで、数えきれないほどの人があらゆる病からいやされた事実を考えてみよう。そうすれば私たちは、喜んで自らを主の御手にゆだねるであろう。私たちが主にゆだねるならば、罪は死ぬ。私たちが主を愛するならば、恵みは生きる。主を待ち望むならば、恵みは強くされる。私たちが主を目のあたりに見るならば、恵みは永遠に全うされる。

 

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「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ…

2014年05月31日 16時46分47秒 | 聖書

それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり…」(エレミヤ29:11)

ジグソーパズルをした事があるだろうか。
一つ一つのピースは、断片でわけがわからない。
しかし、それぞれのはまるべき場所に埋めて行くと、素晴らしい見事な絵が完成する。
一つのピースとして無駄なものはない。
全ピースが必要なのだ。
そのように、私達の日常に起こる一つ一つの出来事も、なぜ?どうして?と思う事が多い。
わけがわからない事がある。
しかし、一つ一つの出来事に神の計画と意図がある。
全体が見えて来ると、主のお心がわかって来る。
教えようとして下さっている事がわかる。
一つ一つを、後で考え合わせた時に、ピタッとはまって解き明かされる事を経験した事があるだろう。
一つとして無駄な出来事はない。
今、困難があるか。理解は出来ないが、主の御手から来ている。
一羽の雀さえ父のお許しなしには地に落ちない。
神のなさる事は時にかなって美しい。
最善だと、信仰によって受け入れよう。
--------------------
主は完全な、そして愛の御手で養い育てて下さっている。
あの事があったから、今の自分がある、あの事が益となり、このようになった。
今までの軌跡を考えるとパズルが埋まるように、思い当たる。

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「ただ働き合法化」と「解雇自由化」/安倍「雇用改革」(上) ・・・

2014年05月31日 07時57分28秒 | 聖書
許してはいけません。全労働者・全国民の反対で、安倍のよこしまな企みを粉砕しましょう!!

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◆利 益 と 欠 損

2014年05月31日 07時54分13秒 | 聖書

すべての勤労には利益がある。
おしゃべりは欠損を招くだけだ。   (箴言一四23)

石油ショック以来、いろいろの国や国民や会社が石油問題で苦しんでいます。
ところで三年近く前のこと、ある産油国の様子をテレビで見ました。採掘や精製に使う設備が保全や修理がされないで、ほったらかしになっています。そこで、自分の国で使う灯油にまで事欠いて輸入しなければならない情況になるだろうと、くさったりさびたりした設備の写真が映し出された時には、心を刺されました。産油国であるその国にも、いろいろむずかしい複雑な事情もあることでしょう。しかし、石油でもうけて、なまけていて全く働かなかった結果を見せつけられたような気がしました。
勤労と労働は、人間に神が与えてくださった祝福です。
「働かざる者は食うべからず」(Ⅱテサロニケ三10参照)も、聖書のことばです。働くことをいやがったり憎んだりするのではなく、神からの贈り物とすることは、どんなに大切なことか分かりません。こう考えて、社会が必要とするものを骨身を惜しまずに生み出し、社会が必要とする仕事につく時、人は、自分の値打ちを認識できます。
そこには、働く喜びが伴います。自分のしていることが、教えることであれ生産であれ商売であれ、神の任命によっていることが分かり、生きていく力が与えられます。経済的な収入面ばかりではなく、目に見えないその他の点や目に見える多くの面で、利益・収益を得るのです。勤労と労働を尊ばない時、人生に必ず何かの欠損が生じるでしょう。
愛してくださる神のもとで、神から与えられ預けられた人生を、神から与えられた仕事のために労する勤労は尊いのです。

 

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◆王はキデロン川を渡り……。

2014年05月31日 07時53分00秒 | 聖書

(Ⅱサムエル一五・二三)

ダビデは裏切りの子アブシャロムに追われ、悲しみのうちに部下とともに陰気な川を渡った。神のみこころを求めていた彼は、困難から除外されていたのではなく、むしろその生涯は患難に満ちていた。彼は主に油注がれた者であると同時に、主の悩みを負う者であった。それなのにどうして私たちが困難を免れることを期待できるだろう。悲哀の門の前で、最も気高い人々が灰をかぶって座していたのに、私たちは困難に際して全く予期しないことが起こったかのように不平を言うことができようか。
王の王も楽しい立派な道を歩まれなかった。エルサレムの汚物が流れているキデロンの濁流を渡られたのである。神は罪のない子をただ一人もっておられたが、むちを加えられない子は一人ももたれなかった。イエスがすべての点において私たちのように試みられたことを信じるのは、私たちにとって大きな喜びである。
今朝私たちの渡るべきキデロンは何か。不信の友か。悲しい死別か。中傷か。暗黒の前兆か。私たちの王はこれらのすべてを渡られた。肉体の苦痛、貧困、迫害、侮辱か。私たちの王は先に立ってこれらすべてのキデロンの上を行かれた。私たちの試練が特珠なものであるとの考えは、ただちに、また永遠に捨てなければならない。なぜならすべての聖徒のかしらなるお方が、そのご体験により、私たちが特別なものと考えているその悲しみを知っておられるからである。すべてのシオンの民は、インマヌエルがかしらであり隊長である名誉ある哀悼者の群れに加わらなければならない。
ダビデは一時卑しい身分に下ったが、やがて勝利を得て都に帰り、またダビデの主は勝利を得て墓からよみがえられた。だから私たちも勇気を奮い起こそうではないか。なぜなら、私たちもまたいつの日にか勝利を得るからだ。今しばらくの間は罪と悲しみの汚れた流れを渡らなければならないが、やがて喜びにあふれて救いの井戸から水をくむのである。十字架の兵士よ。勇敢であれ。王ご自身がキデロンを越えて勝利を得られた。あなたもまた同様に勝利を与えられる。

 

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第1サムエル記25章18-22節

2014年05月31日 07時51分20秒 | 聖書

25:19 自分の若者たちに言った。「私の先を進みなさい。私はあなたがたについて行くから。」ただ、彼女は夫ナバルには何も告げなかった。
25:20 彼女がろばに乗って山陰を下って来ると、ちょうど、ダビデとその部下が彼女のほうに降りて来るのに出会った。



 主人に仕える若者から事情を聞いたナバルの妻アビガイルは、びっくりしました。

そして自分の夫が不正を行ったということを知った時、彼女は、自分でダビデの下に行って謝ろうと思いました。

 そこで彼女は、パン200個、葡萄酒の皮袋2つ、料理した羊5頭など、いろいろな物を準備して、若者達を先に進ませダビデの所に急ぎました。

このことは、夫には何も知らせませんでした。

そして彼女が進んでいった時に、このナバルに報復の思いで向かっていたダビデの一行に出くわしました。

 彼女は夫の愚かさを、自分で補おうとしました。

ですから、一生懸命、持てるものを準備して、ダビデの下に急いだのです。

夫の誤りを認め、ただ夫を愚か者というのではなく、自分でその夫に代わって対処をしたのです。


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マルコによる福音書9章29節、詩篇31篇

2014年05月31日 07時47分13秒 | 聖書

 ★  するとイエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」

■O:今日のコラム

悪霊に憑かれている人を見たことがありますか?

日本ではこの18節にあるようなひどい症状を引き起こす悪霊憑きは稀のように思われるかもしれませんが、アフリカなど魔術のはびこっているところでは、こういう悪霊の働きが今でも沢山あります。

日本でも実は、口をきけなくする霊や、耳を聞こえなくする霊も見えないように働いていています。自殺に追い込む悪霊の働きが活発なのはお分かりだと思います。

癒しの祈りをして聞かれないのは、受け取る側の信仰もありますが、
悪霊が入り込んで病気の源となってるケースも多く、こういう時は、癒しと同時に悪霊に命じて追い出さなければなりません。

イエスを主と告白し心から信じてその救いを受け取っているクリスチャンであるなら、弟子たちが追い出したように、イエスの御名を行使して、悪霊を追い出すことができます。その権威がクリスチャンには与えられているからです。(マルコによる福音書16章17節)

ではここで言ってる祈りによらなければ何によっても追い出せない「この種のもの」とは何でしょうか。

それは悪霊でも階級の高い悪霊です。
この悪霊を追い出すことのできる祈りとはどんな祈りでしょう?

聖霊による祈り、つまり「異言」の祈りです。

私たちが肉の力で祈る時、そこには限界があります。
イエス様が受難の前にゲッセマネで祈られたとき弟子たちも共に祈るのように2度も言われたのに、3回も寝込んでしまい祈り続けていることができなかったように。

この時、弟子たちがこの悪霊を追い出せなかったのは、聖霊がまだ
下っていなかったので、この祈りができていなかったからでしょう。

異言は霊の賜物の中でも一番最後に書かれている小さな賜物のように思われがちですが、神様は小さいものを使って大きなことをなさるお方。

小さな賜物を求めて、頂き、それを忠実に使いこなす時、次の霊の扉が開いて行きます。異言の祈りは天にある全ての霊的祝福を解き放つ小さな鍵なのです。

私たちはこの祈りをないがしろにしてはなりません。

何故なら、リバイバルが始まっている今、敵も攻撃の手を強めており、霊の世界で激しい戦争が起こっているからです。私たちが異言で祈る時、霊の力が強められ、天使の援軍がドンドン送られてきます。
   
異言で祈ることを辞めるなら、モーセが手を下してしまったとき
敵が優勢になったように、悪霊の力が優勢になってしまうのです。

去年の夏、富士山噴火をとどめる祈りをするため、シャロームの祈り部隊が行って、山頂、7合目、5合目においてそれぞれチームごとに分かれ、激しい祈りと賛美を深夜から翌日昼までの12時間行ったとき、私は5合目で10数人で賛美しつつ大声で異言の祈りをしていたら、一瞬ですが、主が霊の目を開いてくださいました。

それは肉の目では見えないけど、目の前で起こっている天使と悪霊の戦いでした。私たちが大声で祈り賛美をしていると、天使が次から次へと送られてき、目の前の敵を撃ち落していました。その時は、物凄い勢いで天使達が優勢でした。

これで、富士山の噴火はとどまるとはっきり確信した出来事でした。

ラストスパートに入った今の時、主は私たちに超スーパーナチュラルな出来事をたくさん体験させたいと思ってらっしゃいます。

肉の目に見える世界だけの認識ではなく、霊の世界で起こっていることを意識しながら、その領域で生きてほしいと願われているのです。

そこに私たちを導くのが聖霊による祈り「異言」なのです。

■A:考えてみよう

まだもらっていない人は熱心に求めるなら必ず与えらえると聖書に約束されていますから、(ルカによる福音書11章13節)この瞬間から求め始めましょう。

すでにもらっている人は、1日最低1時間の御言葉をむさぼり読む時に+して、1時間は異言で祈ることを始めてください。(すでにできている人は更にもう1時間。)そして、御霊に導かれるなら断食にも従いましょう。

そうすれば、「この種のもの」さえも追い出すことができるようになります。

これから私たちは、自殺の霊を追い出さなければならず、病を引き起こしている悪霊をドンドン追い出していかなければならなのです。

それはイエス様がされていたことで、私たちイエス様の弟子に与えられているミッションだからです。

■P:祈り

宮を離れず、昼も夜も、断食と御霊の祈りによって神に仕えていた女預言者アンナのように、私もあなたに仕えることができますように。
   
イエス様の御名前によってお祈りします。アーメン。

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