野田順康 

つぶやき

集団的自衛権の閣議決定を憂慮する

2014-06-23 15:59:56 | Weblog
戦争・紛争の復旧・復興対策に長く従事した者として、国民に対する十分な説明もなく、集団的自衛権及び集団安全保障を正当化する閣議決定がなされようとしていることに強い懸念と憂慮を感じます。様々な違法性を認識するばかりでなく、国民にかなりの危機を与えるものです。例えば、政府が示した15事例の⑨(周辺有事で武力攻撃を受けている米艦の防護)で、防護を実施するためには、国連憲章第51条に基づき集団的自衛権を発動した旨を国連安全保障理事会へ報告する義務があります。事実上の宣戦布告となります。これは憲法9条が否定している交戦権の行使に当たると考えられ違憲性が高いと言わざるを得ません。また、我が国の防護行為に対して報復攻撃がなされ、一般国民を危機に巻き込む可能性が高いと考えられます。

私の論点を以下に整理します。良く御検討下さい。

1.人口減少と経済の縮小、超高齢化の進行に対する国家的また国民的対応を明らかにするとともに、領土・領海の防衛あり方について時間をかけて国民的に議論し、コンセンサスを形成することが今最も重要な課題と言える。国民が十分に理解できていない中で、いきなり集団的自衛権に対する憲法解釈の変更を閣議決定することは余りにも乱暴過ぎる。

2.平和憲法下においては、国民にとっては平和であることが当たり前で、戦争や紛争の実態を理解することに不慣れであり、時によっては戦争、紛争の実態について議論することを避けて通ってきた側面がある。1992年以降の我が国の国際平和協力や周辺事態の安全に関する法律の流れは、一般には十分に理解されておらず、とても集団的自衛権を議論する段階に至っているとは思われない。

3.集団的自衛権の正当化は、安倍政権の強い日本を復活するという政治的演出に沿って議論されるとともに、米国からの日米安全保障に対するプレッシャーや中国の南下政策に対応する形で検討されているが、議論をしている当事者で実際に近年の湾岸危機、アフガン戦争、イラク戦争等を肌身で経験した者は見当たらず、空理空論の机上の議論が展開されている。集団的自衛権の行使によって、どの様な戦闘状態が発生する可能性があるかを一般に知らせることなく憲法解釈を変更することは、かなり乱暴な手続きであり、後世に大きな禍根を残しかねない。

4.我が国の緊急援助等における人的貢献の欠如への批判に対応して1987年に国際緊急援助隊法が制定されたが、1990年の第一次湾岸危機においては十分な人的対応が出来ず、戦費を2兆円拠出したものの、クウェート政府からは謝意も無かった(このことに関する国民的評価もなされていない)。以降、日本政府はPKO法、テロ特措法、イラク特措法の制定を通じて国際緊急事態に対する人的貢献(自衛隊の海外派遣)を実現し、国内的には周辺事態法、武力攻撃事態法、国民保護法を制定して軍事行動の準備を整えた。しかしながら、国民への説明は全く不十分であり、この四半世紀に政府がどれほど大きな方針転換を図ったかは国民に殆ど理解されていない。従って、ここで憲法解釈の変更を閣議決定するよりは、憲法改正によって国民的議論を喚起し、自衛権のみならず我が国の行く末に対する国民的合意形成を図ることが最も真っ当な政治的手続きと考える。
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