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マルクスの信仰心と経済観、新約聖書に記されている最低賃金制

2016-10-13 10:55:45 | 日記
   僕は知らなかったが、マルクスは若い時は熱烈なクリスチャンだったそうだ。確かに、『資本論』を少し見ても、死んだと書く所を「天国に行った」と書いてあるなど、無神論者らしくなく、僕は首をかしげていた。又、資本論には、新旧聖書からの引用が多く、ヨーロッパ大陸のカトリック司祭を尊敬した書き方も目立つ。それが、イギリスに渡り、資本家たちが労働者搾取の為に聖書を利用している姿を見て、非常に感情的になり、つい「宗教はアヘン」とか述べたのだとも考えられる。後世のマルクス主義者たちが文脈は見ず、ただ宗教を敵視して、禍根を残したと僕には思えてならない。マルクス自身はイギリス以降も隠された形で信仰心は持ち続けたのではないか。


  マルクスは「必要に応じて働き、必要に応じて与えられる」との経済観を持っていた。それは僕が確認した所、新約聖書に根拠がある。新約聖書のマタイ20章などには、ぶどう園で働く労働者の賃金の事が書かれてあり、何時間働いても「デナリオン銀貨1枚」とある。8時間働こうが、1時間働こうが賃金は同じなのである。それについては、数年前、ラジオの番組で牧師が「それは最低賃金の事である。当時のユダヤ国では、デナリオン銀貨が1日の生活の必要量を満たしていた。農園の主人は、労働者たちが飢えないように心使いをして、一時間しか働かなかった人にもそれだけのお金を与えた」と判りやすく解説していた。その牧師は最低賃金制導入推進の考え方のようでもある。それを聞き、僕も聖書のその個所は理解できたし、まさにマルクスとも通じる考え方だと思った。コピーと言おうか。その新約聖書の発想は旧約聖書のどこかにあるのかもしれないが、僕はまだ確認していない。また、キューバのカストロ議長が「資本主義よりも、社会主義の方が聖書の考えに近い」と述べた事は有名である。確か、ヨハネ・パウロ二世に対して述べた言葉だったが。

  もう一つ。「天国に行った」とさえ述べたマルクスだが、死後の事はどのように考えていたのだろうか。推察はできないが、「死んでみなければ判らない」と正直に思っていたかもしれない。落語やコメディみたいに。その後のマルクス主義者たちの中には、死ねば意識が消えると思う人が多くなり、死後の意識消滅を恐れてノイローゼにかかる人も多くなった。スターリンもその一人だったと伝えられている。その後、日本で死後生も研究された、丹波哲郎氏の話によると、「ソ連では死後生の研究が盛んで、科学者たちが徹底的に調べている」とか。残念ながら、その研究成果は僕はお目にかかった事はない。いかなる研究なのか。当然、今のロシアにも引き継がれているわけだし。今日は深くは述べないが、誰でも死ぬ以上は死後生の行方は世界的に切実な問題である。死後生が確認されれば、どんなものでも、自分のお金は持って行けないから、また人類の経済観も変わるわけである。お金への執着が薄れるのではないかと。結果的に、マルクスの説いた「必要に応じて働き、受け取る」に経済構造が近くなるのかもしれない。案外、経済観と死生観は相互関係があるのかもしれない。

  とにかく、人類の古典の一つとしてもマルクス思想は客観的に見ていく必要があろう。
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