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戦争の収め方の難しさ・映画「永遠のゼロ」を見て

2015-08-04 15:37:11 | 日記


  神風特攻隊の生き残りの高齢者の証言を小説化した「永遠のゼロ」を見た。内容は省略するが、神風特攻隊が現れたのはアジア太平洋の末期である。日本は敗戦の気配が強く、かなり追い詰められての状況下だった。同じころの中国戦線でも悲惨な戦闘と民衆虐殺・飢えが泥沼化していた。

  戦後になり、多くの人が「日米戦争はミッドウェイ海戦の時に終わらせていれば良かった」とか「中国に深入りせず、早くに国民党政府と和解すべきだった」と述べている。僕もそのような話はテレビなどで何百回も聞いた。でも、それらは戦後の人たちの感覚で語ったものであり、戦争当時の日本人たちの気持ちを理解してのものではないと思う。

  実際は「撤収のタイミングが誰も判らなかった」だったはずだ。軍部も、政治家も、昭和天皇も。ヨーロッパ戦線もそうだったではないか。ナチス軍はロシアに侵攻したが、引くに引けず、ヒットラーが自殺するまで戦争は続いた。戦争はそのようなものである。戦後のベトナム戦争にしろ、ソヴェト・ロシアが侵攻したアフガニスタン戦争にしろ、近年のアメリカ・アフガニスタン戦争にしろ、そうだった。

  将棋やチェスとは違い、戦争のルールなんて存在しない以上、誰も撤収の時期は判らないわけである。殺し合いの他、そのような事も戦争の恐ろしさであり、戦争はしてはいけないし、戦争につながるような事は一切排除しなければならないわけである。

  お国の別なく、戦争犠牲者の多くの死を無駄にしないためにも、しっかりとした平和政策をする国会議員を日本も作り出さなければならないと思うが。

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