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元医者の反学校運動と、日本の医学教育の欠陥

2017-07-13 14:53:43 | 日記
  70年代後半の東京でそのような例を見てきた。元々は小児科医。優れた医者だったようだが、自ら障碍児の行く学校を選別判定する任務に疑問を持ち、更に学校教育自体にも疑問を持ち、近代欧米と明治以来の学校教育の事を徹底的に学び、特に国家目的に学校教育が利用された事を知り、能力本位の教育にも反対し、教育関係の運動を志した。そして、障碍児も公立校に入れる機運が高まっていた社会状況の追い風もあり、障碍児を公立校に入れて、能力本位の学校を改革する運動を展開した。「反学校」を唱えたそうである。そのような会を作り、会長にもなった。僕もその会長の講演を聞いた事がある。76年11月だから、かなり古い事だが、障碍児一人一人の事を考えていないなど、非常に冷たい印象を受けた。障碍児を学校改革の道具としか見ないような感じだった。実際、方々で色々な考え方の人たちからそのような非難を受けていたわけである。保守的な考え方の人たちも、左翼系の考え方の人たちからも叩かれていた。それから、僕は「目的の為には法律を無視して良い」という言葉も聞いたが、それも変に感じた。でも、その会長は一部の障碍児の母親たちに近付き、その運動を展開した。僕は教育畑ではないので、その道筋で公立校に入った障碍児たちの行方は判らない。だが、養護学校の先生たちからは「そのような子は不幸になっている。育たない」と聞いた事がある。


  学校改革の道具みたいにされては育つ訳がないだろう。悲惨な運命になって行った事が僕にも読み取れる。確かに、冷たい。大体、教育関係は本で勉強すれば良いものではない。実際、教師になり、子供たちを何年も愛情を持って育てないと教育関係は判らない。その会長は教師経験はない。それでは教育関係の運動などはできないわけである。愛情が明らかに欠けている。

  「本を多く読んで、教育関係を知った気持ちになった」ことから今の僕は気が付いているが、それは明治以来の日本の医学教育の手法である。それを教育関係に当てはめたわけだ。だから、おかしな運動になったと。確かに、日本の明治以来の医学教育では患者を機械のように見て、生身の人として見る事が少ない。だから、マスコミが取り上げるまでは、方々で患者相手の人体実験が陰で行なわれて問題になっていたが、以上はその図式と同じである。「本を読む」は勉強のほんの一部であり、むしろ、人間的なふれあいから学ぶ事の方が医学関係でも多いわけなのに。

  因みに、日本の明治以来の医学教育はドイツから導入された。ドイツではその後、ナチスが盛んに人体実験を行なったが、ヒットラーも、ゲッペルスも医者ではないし、何も彼らが考え出したものでもないだろう。元々近代ドイツの医学関係には人をモルモットみたいに見るように冷たい気風があり、それがナチスにより、発展して恐ろしい事になったり、日本に導入されて、患者をモルモットにしていったのではないかと。そんな気がする。

  以上の「会長」だが、畑違いの教育ではなく、「患者をモルモット」みたいな日本の医学関係に目を向ければ良かったと思う。そうしたら、素晴らしい運動ができたのに。非常に残念である。(因みに、5月末以来、以上の関係の問題を思い出していたから、ブログを書く回数が減っていたわけである)
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