今日は一月六日ですね。二週間ほど続いてきたクリスマスの祭りも今日で終わりです。この日は一般に「主の顕現日」と呼ばれています。聖書の中にある逸話、東方の三人の博士が星に導かれて生まれたばかりの幼子イエスのもとへ、黄金、もつ薬、乳香を携えて訪れた、という出来事を記念する日なのです。
アイスランドではこの日はThrettandi(スレッタンディ)と呼ばれます。クリスマスの日から勘定して「十三日目」を意味します。この日をもってクリスマスツリーやイルミネーションの灯りは姿を消すのが一応の決まりです。
ちなみにロシアやギリシャその他広範な地域で盛んな正教会のクリスマスは明日の一月七日です。これは正教会が古いユリウス暦を用いていることからくるギャップで、ここアイスランドの正教会も明日クリスマスを祝います。
さて、こういう教会的な話しは飽きましたので話題転換です。
年末年始にはヒマな時間がありましたので、久々にのんびりネットで日本のテレビを楽しみました。というのは多少ウソで、(日本番組の)ネットTV中毒を避けるためにしばし禁欲していたのです。
もともと社交がそんなにない生活ですので、年末年始とかはネット三昧の大義名分になります。
「ロンドンハーツ」のクリスマススペシャルや「相棒」の元旦スペシャルを楽しみましたが、実はワタシは有吉弘行さんの結構なファンで、有吉番組を中心として番組を拾い見していました。
面白かったのは見落していた夏のハワイスペシャルで、有吉君が気に入った仲間何人かとハワイへ夏休みに行った珍道中のスペシャルでした。
「結婚したい」という彼の願望は普段からかなりいじられていますが、もうひとつよく口にされるのが「俺、友達いねえからなあ...」です。
ハワイでもアンジャシュの児嶋さんに「俺、児嶋さんほどにもトモダチいねえからなあ...」と発せられていました。ウソかマコトかは知りませんが、有吉君は嘆きながらも「関係ねえエや」という向きがあり、その辺がワタシは気に入っています。(さらに言うと、100%どうでもいい訳でもないというところ)
というのはですねえ、他でもないワタシ自身がトモダチいないからなんです。邦人の方の中に仲良しさんはいますが、これはむしろ「家族的関係」になっていて普通の意味での友人というのともちょっと違う気がします。
友達がいない人というのは、暗くて人を寄せ付けない人間、と思う人もあるかもしれませんが、私はそれは違うと思いますね。私なんかむしろかなり広範に人には好かれてますし(多分。加えて蛇蝎のように嫌われている人も多数いますが)、良い同僚や仕事仲間にはとても恵まれていると思います。
ただ「友達」とは違うんですよね、それでも。何がその違いなのかはビミョウな域に属するのでしょうが、要するに一緒にいなければならない環境ではなごやかに恊働できるのだが、一緒にいるかどうかを選択できる場合にはそれを選択しない、というのが「良き同僚」なのではないでしょうか?
このような「ふるい」は、もう何度も経験しましたよー。
牧師仲間たちの集まる大会や同僚の誰かの誕生会など。大勢人が集まる場ではまず確実に「孤立化」してしまいます。それはそのはず?で、何しろ敵は皆自分の同窓生や昔からの知己があるので、どうしたってそれで群れたがるからです。こちらは群れる仲間がありません。オレ、ガイコクジンダッタンダ...
しかもアイスランド人というのは概して周りに気を配らないので、パーティーとかで明らかに輪から取り残されている人がいても、全く気にしません。
まー、変に憐れまれて気を遣われるよりはいいかー?
とボヤキながらもワタシはもうそれほど気にはしません。トモダチいない生活もそれなりに風情と哀愁があります。と開き直ることにしています。
「父ちゃん、新年の誓いは?」と正月に娘が訊くので(娘はいつも「父ちゃん」と言います。「クレヨンしんちゃん」の影響です。二十歳まで矯正されずに来てしまいました)、「何にしようか?そうだなあ...:ひとりでいろんな所へ行っていろいろすること」と答えました。
というわけでトモダチのいないワタシのニー・アウルス・ヘイティ(新年の誓い)は「ひとりでいろんな所へ行っていろいろすること」です。
...でも、変な所へ行って変なことはしません...
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
アイスランドではこの日はThrettandi(スレッタンディ)と呼ばれます。クリスマスの日から勘定して「十三日目」を意味します。この日をもってクリスマスツリーやイルミネーションの灯りは姿を消すのが一応の決まりです。
ちなみにロシアやギリシャその他広範な地域で盛んな正教会のクリスマスは明日の一月七日です。これは正教会が古いユリウス暦を用いていることからくるギャップで、ここアイスランドの正教会も明日クリスマスを祝います。
さて、こういう教会的な話しは飽きましたので話題転換です。
年末年始にはヒマな時間がありましたので、久々にのんびりネットで日本のテレビを楽しみました。というのは多少ウソで、(日本番組の)ネットTV中毒を避けるためにしばし禁欲していたのです。
もともと社交がそんなにない生活ですので、年末年始とかはネット三昧の大義名分になります。
「ロンドンハーツ」のクリスマススペシャルや「相棒」の元旦スペシャルを楽しみましたが、実はワタシは有吉弘行さんの結構なファンで、有吉番組を中心として番組を拾い見していました。
面白かったのは見落していた夏のハワイスペシャルで、有吉君が気に入った仲間何人かとハワイへ夏休みに行った珍道中のスペシャルでした。
「結婚したい」という彼の願望は普段からかなりいじられていますが、もうひとつよく口にされるのが「俺、友達いねえからなあ...」です。
ハワイでもアンジャシュの児嶋さんに「俺、児嶋さんほどにもトモダチいねえからなあ...」と発せられていました。ウソかマコトかは知りませんが、有吉君は嘆きながらも「関係ねえエや」という向きがあり、その辺がワタシは気に入っています。(さらに言うと、100%どうでもいい訳でもないというところ)
というのはですねえ、他でもないワタシ自身がトモダチいないからなんです。邦人の方の中に仲良しさんはいますが、これはむしろ「家族的関係」になっていて普通の意味での友人というのともちょっと違う気がします。
友達がいない人というのは、暗くて人を寄せ付けない人間、と思う人もあるかもしれませんが、私はそれは違うと思いますね。私なんかむしろかなり広範に人には好かれてますし(多分。加えて蛇蝎のように嫌われている人も多数いますが)、良い同僚や仕事仲間にはとても恵まれていると思います。
ただ「友達」とは違うんですよね、それでも。何がその違いなのかはビミョウな域に属するのでしょうが、要するに一緒にいなければならない環境ではなごやかに恊働できるのだが、一緒にいるかどうかを選択できる場合にはそれを選択しない、というのが「良き同僚」なのではないでしょうか?
このような「ふるい」は、もう何度も経験しましたよー。
牧師仲間たちの集まる大会や同僚の誰かの誕生会など。大勢人が集まる場ではまず確実に「孤立化」してしまいます。それはそのはず?で、何しろ敵は皆自分の同窓生や昔からの知己があるので、どうしたってそれで群れたがるからです。こちらは群れる仲間がありません。オレ、ガイコクジンダッタンダ...
しかもアイスランド人というのは概して周りに気を配らないので、パーティーとかで明らかに輪から取り残されている人がいても、全く気にしません。
まー、変に憐れまれて気を遣われるよりはいいかー?
とボヤキながらもワタシはもうそれほど気にはしません。トモダチいない生活もそれなりに風情と哀愁があります。と開き直ることにしています。
「父ちゃん、新年の誓いは?」と正月に娘が訊くので(娘はいつも「父ちゃん」と言います。「クレヨンしんちゃん」の影響です。二十歳まで矯正されずに来てしまいました)、「何にしようか?そうだなあ...:ひとりでいろんな所へ行っていろいろすること」と答えました。
というわけでトモダチのいないワタシのニー・アウルス・ヘイティ(新年の誓い)は「ひとりでいろんな所へ行っていろいろすること」です。
...でも、変な所へ行って変なことはしません...
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com