7月1日、山元町での視察後、海岸線を南に下り、福島県に入りました。
道路は、県道相馬亘理線で別名ストロベリーラインと呼ばれています。本来であれば、きれいな海岸線を見ながら、イチゴをはじめ果物を作っている温室が建ち並んでいたと思われます。しかし、大津波で海岸線は荒らされ、道路も仮補修されたとはいえ、たくさんの段差がありました。
福島県新地町を通り、相馬市を過ぎ、南相馬市に入りました。南相馬市は、市民ランナーとしても有名な桜井市長が就任しています。また、震災後、福島第1原発の放射能のため、南相馬市の南半分は立ち入り禁止区域になっていました。立ち入り禁止区域がようやく解除されたとはいえ、昨年3月11日以降、ほとんどほったらかしの状態でした。
そのため、南相馬市の途中から、町の様子が全く違っていました。人が住まなくなった町は、文字通りゴーストタウン化していました。大津波が襲来した際、道路脇に突っ込んだ車はそのままですし、水田の中に放置された車を覆うように雑草が茂っています。ほとんどの民家は、倒壊寸前のように荒れ果てていました。持ち主が、帰ってきて家の清掃をしている姿に出会いました。いつ片づけられるとも分からない状態でも、黙々と働かれていました。震災後1年4ヵ月後、これからが復旧活動が始まるという段階です。
南相馬市から浪江町に入る国道6号線は、警察により検問所が設けられ、封鎖されていました。皆さんもご存じのように、浪江町の南隣が福島第1原発のある双葉町です。
福島県は、宮城県や岩手県の被災県と異なり、福島原発による放射能問題が震災復旧活動を遅らせています。全く復旧活動が手つかずのところが数多くあります。また、福島産の米や果物、福島漁協の水産物は、放射能汚染を恐れ、消費者が買おうとされます。福島県の特産品が売れないために、より雇用を深刻にしている現状があります。
私は、福島県の置かれている現状を日本全体でしっかりとつかみ、長期的な支援活動が必要だと思いました。
道路は、県道相馬亘理線で別名ストロベリーラインと呼ばれています。本来であれば、きれいな海岸線を見ながら、イチゴをはじめ果物を作っている温室が建ち並んでいたと思われます。しかし、大津波で海岸線は荒らされ、道路も仮補修されたとはいえ、たくさんの段差がありました。
福島県新地町を通り、相馬市を過ぎ、南相馬市に入りました。南相馬市は、市民ランナーとしても有名な桜井市長が就任しています。また、震災後、福島第1原発の放射能のため、南相馬市の南半分は立ち入り禁止区域になっていました。立ち入り禁止区域がようやく解除されたとはいえ、昨年3月11日以降、ほとんどほったらかしの状態でした。
そのため、南相馬市の途中から、町の様子が全く違っていました。人が住まなくなった町は、文字通りゴーストタウン化していました。大津波が襲来した際、道路脇に突っ込んだ車はそのままですし、水田の中に放置された車を覆うように雑草が茂っています。ほとんどの民家は、倒壊寸前のように荒れ果てていました。持ち主が、帰ってきて家の清掃をしている姿に出会いました。いつ片づけられるとも分からない状態でも、黙々と働かれていました。震災後1年4ヵ月後、これからが復旧活動が始まるという段階です。
南相馬市から浪江町に入る国道6号線は、警察により検問所が設けられ、封鎖されていました。皆さんもご存じのように、浪江町の南隣が福島第1原発のある双葉町です。
福島県は、宮城県や岩手県の被災県と異なり、福島原発による放射能問題が震災復旧活動を遅らせています。全く復旧活動が手つかずのところが数多くあります。また、福島産の米や果物、福島漁協の水産物は、放射能汚染を恐れ、消費者が買おうとされます。福島県の特産品が売れないために、より雇用を深刻にしている現状があります。
私は、福島県の置かれている現状を日本全体でしっかりとつかみ、長期的な支援活動が必要だと思いました。
言われていること、もっともだと僕も思います。現在の福島の状況を、故郷に帰ることのできない多くの方がいることを、日本人として直視すべきだと思います。