民内利昭のブログ

民内利昭の教育と陸上指導に関する色々

天才の終焉

2017-04-21 21:34:11 | 日記

フぃギュアスケートのA選手が、引退を宣言しました。周囲は、その選手の功績を称えるに加えて、引退を惜しんでいます。私は彼女に関しては、別の見方をします。どの世界でも天才をしっかり育てることのできる指導者は少ないようです。中国の故事の中に出てくる伯楽に関しては、以前にも書きましたが、次のような内容が記されているようです。

すなわち「千里を走る馬となるべき駿馬は、比較的どこにも存在する。しかし、それを千里を走る馬に育成することのできる人物は、限られてくる。」確かにA選手は、天才であったようです。しかし、その選手が育つに当って、育てることができる指導者を選択し損なったように私には感じられます。

選手が強くなってくると、その選手は年齢が若ければ若いほど、わがままになってくるようです。その時に、指導者のとる行動に選手がいかに対応するかによって、その選手がそこで終わるか、もっと伸び続けられるか、が決まってくるように感じています。非常に能力の高い指導者であったら、誉めそやしながら伸ばすことも可能でしょう。しかし、一般の指導者であったなら、所々で自身の指導ステータスと異なる行動を取る選手に対して、苦虫を噛み潰すことが多くなってくるのではないでしょうか?

なぜ、A選手が天才と言われたのに、大成し切れなかったのか?私にとってみたら、答えは簡単です。自身が伸びて、その才能を十二分に発揮できている時の、指導者の指導を最後まで扇ぐことができなかったところに、運命のあやがあったと。かつて陸上競技の障害走で、若干22歳で世界記録を更新した選手が出てきました。その選手も、残念ながら、その才能を伸ばすことができませんでした。また、オリンピックで金メダルを取った選手が、指導者を替えた途端に、走れなくなっています。私にとってみたら、この三つのケースはまったく同じように思えてなりません。すなわち、伯楽には誰でもなれるわけではない(競技レベルが高かった者、多くの知識を保持している者が、必ずしもなれるわけではない)のですよ。

前にも書きましたが、強くなればなるだけ、多くの人がいろいろなことを言ってきます。そのときの指導の良し悪しの判断基準を忘れてはいけません。その答えは簡単なのですが、有名になってきた選手にとっては、多くの情報が入ってしまっているために、判断できなくなってしまうようです。要は、自身の成績がしっかり出せている(伸びている)時の指導者の指導・助言を、自身が納得した形で常に選ぶことができるかどうかではないでしょうか?

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