Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

野菊の花束

2016-10-18 | Walk on

 

あなたに送りたい。野辺の風情を添えて、野菊の花束を。

 

秋の日差しは、一年で一番美しい。

黄昏の光の美しさには、陶然となってしまう。

夕映えという言葉そのままに、すべての事物が際立った色彩を放ち始める。

赤みを帯びた波長の長い光が魔術的な時間を演出してくれる。

マジックアワーの天才、テレンス・マリックの映像世界を観るように。

風景が西日に照り映え始めた遅い午後の時間、息せき切って山裾の草叢までやって来た。

芒の穂が黄金に輝き、野罌粟(のげし)も綿毛を付け始めている。

草叢は一面の野菊。

これは嫁菜(よめな)ではなく大柚香菊(おおゆうがぎく)だろうか?

休耕田の湿地には溝蕎麦の大群落。

夕陽を浴びた秋茜(あきあかね)が、力なく翅を震わす。

その中に一叢の野菊があった。

花蓼(はなたで)の葉っぱが赤く色づき、山影の草叢には、まだ露が残り野菊の花片を輝かせる。

山裾に奇跡的に残った野菊の咲き乱れる、秘密の花園(笑)

 

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21 コメント

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母の面影 (misa)
2016-10-18 20:37:59
野菊の画像にドキッとしました父の死を境に他人になってしまった母が大好きな花だから

そして生きがたみのようになってしまったある方の写真集の一ページが脳裏を霞めました

「野の花に語らいて」       京篠幸子
その中にサワシロギクが掲載されています

野辺の斜面(なだり)に
腰をおろし
青い風を
聴いています


私の五感は
全開しているのです

この全開した五感から
世俗のブツブツが
消え去って
行きそうです


今日は石鎚回避して
徳島の高原で過ごしました
秋草風情は難しい (ランスケ)
2016-10-18 22:02:20
野菊は難しい花です。
素朴で草叢の中に埋もれるように咲いているので、その野趣溢れる美しさを引き出すのに苦労します。
今回も雨上がりの露と黄昏の斜光線を狙いましたが、
どちらもダメでした。
また、もう一度、気象条件を見計らって再挑戦してみましょう。

そうですか…
misaさんにとっても琴線に触れる花ならば野菊の花束、添えられた詩に託して送りましょう。
万葉の昔から日本の秋を代表する野辺の花ですから。

オマケで帰路、目についたコスモスをパチリ。
こちらは近代化以降の日本の秋を代表する花。
この花はシンプルで中間色が多いので誰が撮っても失敗しない花です。
ヒマワリと一緒で定型化されたイメージを如何に破るか?ですね。

今日は昼間のお天気が、思うように晴れませんでしたね。
落葉松を外して、徳島の高原でススキ狙いでしたか?
なぜ「土人」なのか? (ランスケ)
2016-10-20 17:26:15
沖縄の大阪府警機動隊員による「土人」「シナ人」罵声動画が、色んな反響を呼んでいます。
この山崎雅弘のツイートが、この問題の本質を一番ついていると思えます。
そして大阪府知事の発言も、この文脈に従えば「なるほど」ですね。
おおさか維新とは、そういう信条の政治集団ですから。

山崎 雅弘 ‎@mas__yamazaki

古今東西の軍隊でよく使われる手法だが、
殺人や略奪、住居破壊などに伴う罪悪感を消すため、相手国の住民を「自分と同じ人間ではない何か」
だと錯覚させるための蔑称や言い換えが推奨される。

日本軍人も蔑称を使ったし、米軍も対日戦やベトナム戦争、対テロ戦争で蔑称を使う。
蔑称は暴力性を助長する。
相手国の住民を「自分と同じ人間ではない何か」だと錯覚させるための蔑称や言い換えは、
新兵訓練などの段階でもしばしば植え付けられる。

組織の指導部が、配下の人間を「効率的に任務を遂行する機械」のように鍛える手段として、
人間性のスイッチを切るため蔑称を利用し、蔑視の思想を心に浸透させる。

こうした訓練を受けると、性格が単純で真面目な人間ほど、
忠実に「蔑視の思想」を心に浸透させ、暴力や傲慢への心理的抵抗が消える。

逆に、上官から「敵」だと教えられた相手を蔑視し、相手を蔑ろにするほど、
上官や上層部に評価され、喜ばれると思い込む。
機動隊の一部は自国民相手にそれをしている。
野菊 (鬼城)
2016-10-20 20:32:48
秋の花、野菊、秋桜・・・
枯れた夏草など風情がある中に政治のごたごたがまた・・・
天候不順も彼らの所為と言いたくなるような気がします。
なんの気無しに見る風景の切り取りに癒やされます。トレーニングしていた所為か、疲れはあまりなかった。
来年目指して・・・
そんな状況に慣れてしまうことが怖い (ランスケ)
2016-10-20 22:38:50
怖いですね。
こういう相手の人格を貶めるような差別的発言が常態化しています。
一番怖いのは、こういう状況に慣れてしまうことです。
「おかしい?」と思ったら立ち止まって何が起こっているのか?考えてほしい。
放っておくと周囲に流されて、人は簡単にそんな状況に慣れてしまいます。
前回、紹介した100mの移動距離も車を利用する極端な車依存症も、
ドナルド・トランプをここまで押し上げたポピュリズムも同じ現象だと思います。

鬼城さんの何十年ぶりかの石鎚登山は快挙でしたね。
そうなんですよ。
思っている以上に人の身体はトレーニング次第で頑張れるものです(笑)
人の身体運動の基本は二足歩行です。
それを忘れた車依存症は、当然のように身体機能の退化を加速するだけです。

心と体が健やかだと、見えてくる風景も違ってきますよ(笑)
野辺の母さん (ホッホ)
2016-10-22 03:23:37
ランスケさん野菊好きですよね、なんて綺麗で美しい母親のような花ですね。4389
ディランのノーベル賞拒否? (ランスケ)
2016-10-22 08:48:17
あら、ホッホさん、久しぶりですね。
元気にしていましたか?

なぜか、この素朴な野辺の花、野菊に惹かれますね。
笹百合のような華やかさはないのにね。

ホッホさん、御指摘の通り亡き母を思い出すのかもしれませんね?
山からの帰りに路傍の野菊や芒、水引などの秋の野草を摘んで母のために活けました。
身体の衰えた母に秋の風情を愉しんでほしかった。
叶えられなかった想いもあるのでしょう?

そういえば今朝の新聞にボブ・ディランの公式サイトからノーベル文学賞受賞の文字が消えたとか。
ホッホさんの敬愛するディランの受賞拒否が、いよいよ現実味を帯びてきました(笑)
以下の小田嶋隆のディランの記事は笑えます。
皆さんも御一読を。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/102000066/
天才とは第2の目を持つ人 (ホッホ)
2016-10-22 11:22:36
野菊の写真を見るとなぜか割烹着姿の悦子お母さまが出てきます。小田島さんの記事面白いですね。ノーベル文学賞の選考委員より受けるか、受けないかの選択がディランにあるのは、立場が逆で痛快です。
ノーベル文学賞に対する疑問 (ランスケ)
2016-10-22 12:48:39
ねっ、面白いでしょ(笑)
ディランの性癖を知っていれば、この経緯は納得ではあるのですが。

でもノーベル文学賞の受賞履歴を観てみると、
必ずしも、その時代の最も優れた文芸作品を発表してきた作家が受賞しているわけではない。
ということが分かってきます。

1901年からの受賞作家の一覧は、こちらに。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E

20世紀最高の文学として必ず名前が挙がってくる、
「失われた時を求めて」のプルーストや「ユリシーズ」のジョイスも受賞していません。
現代文学でいうとトマス・ピンチョンも候補には何度も上がるようですが、未だ受賞していません。
もっともピンチョンの場合は数々の文学賞を拒否してきた経緯もありますからね(笑)

そんな批判もあっての、今回のボブ・ディランの受賞なのでしょうかね?
でも、もっとも権威から遠い人ですから如何なりますやら?
風景の向こう側 (ホッホ)
2016-10-22 13:28:19
ノーベル文学賞116人が受賞してるんですね。読めば、その時々の時代背景や多様な価値観が垣間見えて感慨深いでしょうね。ランスケさんの風景写真の向こう側から立ち上がってくる詩情性や摂理は健在ですね。
身の丈を知る (ランスケ)
2016-10-22 17:38:51
さぁ、どうでしょうね?
年齢と共に体力は確実に落ちてきています。
先日の堂ヶ森も、向かい風だったとはいえ、自転車、山越えでへばってしまいました。
それから山登りして、避難小屋に到着したのは、とっぷり夜の更けた9時過ぎでした。
そろそろ自分の限界と向き合わなければならない年齢なのでしょうね。
自分の身の丈を測るには、自転車は恰好の物差しですよ(笑)

さて、ボブ・ディランのノーベル賞関連で新しいニュースが出ています。
小田嶋隆の予想した通りに、選考委員のスウェーデン・アカデミーから以下の発言が。

http://news.livedoor.com/article/detail/12180594/

すっかりディランに見透かされいますね(笑)
ノーベル賞の権威主義なんて、こんなものです。
ミケランジェロ現象 (ランスケ)
2016-10-23 10:37:09
今朝のETV日曜美術館の「ミケランジェロ」を観ていて出演していた茂木健一郎のツィートから。

漱石の『夢十夜』の第六夜は、運慶が彫刻する話である。

見物人が、運慶の腕の見事さを讃えて、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。
あの通りの眉や鼻が木の中に埋うまっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。
まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」
という印象的な発言がある。

この話を書いた時の漱石の脳裏には、ミケランジェロがあったのかもしれない。
代表作「ピエタ」に象徴されるように、まさに、大理石の中にそのような姿があって、それを掘り出しただけにさえ見える、
ミケランジェロの見事な技量。その圧倒的な質感は、見る者の心を美の理想で満たす。

心理学で、「ミケランジェロ現象」(Michelangelo phenomenon)というものがある。
お互いに、相手の中にある理想の人間像を認知し、それを掘り出し、引き出すように接することで、お互いの人間性を高める。
そのような関係は、理想の関係だろう。

「この人には、こんな素敵なところがある」「こんな美しい心がある」そのことを発見し、相手にも気づかせるように促し、
接している時の微妙な言葉遣い、行動を通して、次第にそのような美しい性質が顕在化するようにする。
これが、ミケランジェロ現象である。

私たちには、ミケランジェロのような見事な彫刻はつくれないかもしれないが、
日々、他人に接する時に、相手の中の良い側面を見出し、
引き出すような「人間関係の彫刻家」にはなれるかもしれない。
そのためにも、たくさんの美しいものを見ることだ。

まったく同感だ。
先人が築き上げてきた偉大な美の遺産と神々からの天啓である天然自然の美の瞬間を
可能な限り観ていたい。
夕方の日曜美術館も必見です (ホッホ)
2016-10-23 11:53:28
今朝の日曜美術館見逃しました。
「ミケランジェロ現象」初めてしりました。「人間関係の彫刻家」参考にしたいですね。
ダビィンチに対するミケランジェロ本人の心境は複雑ざったと思います。

運慶は見事ですね「無着像」は歌人・西行がモデルだったと田中英道のHP美の探究者にありますね。
一見どこにでもいる老人がモデルですが、そのあたりにいるポンコツ爺さんとは面構えが違いますね。

運慶の像は天上界の人々です。
魂を掘り出す (ランスケ)
2016-10-23 14:53:27
ホッホさんの再登場で、久しぶりに突っ込んだ話ができますね(笑)
私の独り言じゃ話が膨らまない。

ちょうど村上春樹の文庫新刊、「職業としての小説家」を読み終えたところです。
この本は、書評の評価も高かったけれど、確かに読み応えのある内容でした。
改めて表現することの意味を深く考えさせられました。

日曜美術館は、出かけていなければ大抵、日曜の朝、寝っ転がって観ています。
特に興味がない作家でも何らかの発見がありますよね。
私たちは限りなく無知ですからね。
知らない世界を垣間見ることは、ちょっと世界が広がったような幸福感があります。
一時の錯覚ですけど(笑)

さて村上春樹の本の中で、最後に亡き河合隼雄のために京都大学で講演した内容が収められています。
「考える人」にも掲載されたのでホッホさんも読んでいるかもしれません。

河合隼雄と村上春樹の間には、「何かを共有する物理的な実感があった」と語っています。
それは何かというと、「物語というコンセプト」であったと。
物語というものは、魂のいちばん深いところにあって人と人とを根元でつなぎ合わせていることができるものであると。

太古の昔から物語を語るということは、宗教以前のスピリチュアルな霊性の領域なのでしょうね。
世界各地に伝わる神話世界には底流に共通する物語が沢山あります。
仏師が原木から仏を掘り出すのも、ミケランジェロが大理石から聖母子像を掘り出すのも、
語り部が深いところまで降りて魂の物語を紡ぎ出すのも、みんな同じ作業だと思います。
もちろん音楽家の仕事も同様です。

世界中の人が共感できる創造物や表現は、洗練ではなく、もっと古層の記憶を呼び覚ますような何かなのかもしれません?
優れた表現者というのは、熟練した鉱山の工夫や埋蔵物を発掘する考古学者のようなものなのでしょうか?
人間解剖しちゃうど。 (ホッホ)
2016-10-23 18:01:19
ランスケさんが水先案内人で、私寄りの話題を提供してくれるので、・・。投稿します。
最近思うのは、人間も65歳前後になると何時、死んでもおかしくないという事です。
死は誰にでも訪れる生き物としての宿命です。
私たちは、幾つになっても物欲と嫉妬とコンプレックスに苛まれながら生きています。
60歳も過ぎると、そういう物欲(マイナス感情)を捨てていく年になってきたのではないかと思います。
神道の世界では、魂は、もともと一つで「別け御霊」と呼ばれる教えがあり、一つの魂から人間一人一人に<分魂>をしていて、私たちが、今現在生まれてきて同時期に同じ空間に存在しているのは意味があり「木の葉1枚落ちるのも神は知っている」という言葉もありすべての事柄は必然という教えです。
それに私たちは何も気づかず「身の丈を知らず」「分相応」や「足るを知る」ことも知らず、毎日、贅沢を追い求めて生きています。
でも、私たちがあの世に持っていける財産とは、この世でのエピソードであり、生まれてから死ぬまでの様々な出来事と、その時々の自分の感情や行動、そして思いが全てではないでしょうか、思うにエピソードに優劣などがあるはずもありません。
常識や価値観は時代によって変わるように、良し悪しは人間が勝手に決めている事で、その時に起こった出来事に対して自分がどう思いどう行動したかが重要だと思います。
生まれてきた私たち、一人一人に与えられた人生の物語を心にい抱き次の魂の世界へと行ければ、本当に別け隔てのない生き物として幸福な最期を迎えられると思います。
「老人の壁」の著者・解剖学者の養老孟司さんも言われているように「終活」などという馬鹿げたことをする気はありません。
人間誰でも死ぬときは死にます。
ミニマリストへ軌道修正中? (ランスケ)
2016-10-23 19:52:16
何かの必然の中で生きているという因果律は、どうも最近分が悪いですね(笑)
生命科学の本を読んでいると、すべては偶然の賜物であると。
生命現象の本質は変わり続けることであると。
仏教思想もそこに行き着きますよね。
自然現象をずっと観察していると私も、Like a rolling stone がしっくりきます。

https://www.youtube.com/watch?v=4F0ytNzHDj8

そして地球上の物質の最小単位である原子の総数は、ずっと変わらないそうです。
つまり私たちが死んでも、その構成物質は別の何かに置き換えられるということですよね。
輪廻転生です。
だから火葬って、本来はすごく野蛮な埋葬法なのです。
近代化以前の世界は、みんな土葬でした。
キリスト教世界でも火葬は神を冒涜する野蛮な行為でした。

AIによるビックバンが起こって新世紀の産業革命が期待されていますが如何でしょうか?
地球上を構成する物質が一定量で循環しているなら
永久運動のような成長神話よりも、定常経済を目指した方が賢明だと思うのですが。

話が膨らみ過ぎると、収拾がつかなくなりそうですね。
人は死の瞬間まで変わり続けるという考えは、けっこう忙しなくて面倒だけど、
其処に落ち着くと諦めもつきます。
残りの時間を考えると身のまわりを整理しておかないと。
死んだら何も持ってゆけないのですからね。
持ってゆくのは記憶だけに留めて、
物欲は極限まで抑えてミニマリストに軌道修正しています。
膨大な本の山の処分が頭が痛い。
葬儀がある度火葬はどうかと思ってました。 (ホッホ)
2016-10-23 21:10:48
「そして地球上の物質の最小単位である原子の総数は、ずっと変わらないそうです。
つまり私たちが死んでも、その構成物質は別の何かに置き換えられるということですよね。
輪廻転生です。」なるほど。
必然と偶然を同じくくりにしない方が自然ですね。

そういえば、今でも半信半疑なんですが、松井冬子の結婚相手が、諏訪敦。すわーそんなって感じです。
また、どうぞ。 (ランスケ)
2016-10-23 23:03:15
話が取り留めもなくなってきましたね。
今回は、このくらいで打ち止めにしましょう。

「リアルな死の手触り」はETVの諏訪敦の番組が再放送される度に相変わらずアクセスが多いですね。
もう、ああいう記事は書けない。
あれは父母の死と震災の記憶が生々しい時期だったからね。
考えすぎ。 (ホッホ)
2016-10-24 00:18:58
分かりました。一つだけ質問していいですか、「リアルな死の手触り」のタイトルは誰が考えたのでしょう。と言うのはETVスペシャルで、諏訪敦がシベリアで、亡くなった祖母の足跡を訪ねて行った時に諏訪が「死の手触り」と言った後に何ともいえない表情をしたからです。
2011年の記事だから (ランスケ)
2016-10-24 06:58:38
えっ、誰が考えた?って、何処かから引用したか?ってこと。
それはないですね。

あの記事を書いたのが2011年の9月ですから、前年に父と母を相次いで亡くし、
そして3月の震災による夥しい数の死を目撃しました。
生々しい死の記憶に囚われていましたからね。

そんな時にホッホさんに薦められて観た諏訪敦の作品制作過程を克明に映し込んだドキュメンタリーです。
死に囚われたリアリズム絵画と死に囚われた記憶が感応した結果が、
あのタイトルだったのでしょうね。

そうでしたか。
諏訪敦が厭な顔していましたか(笑)
あの記事は検索トップで出てくるので諏訪敦も観ているのでしょう。
諏訪さんの事 (ホッホ)
2016-10-24 12:09:26
シベリアで餓死した祖母の足跡を辿る今回の旅は、諏訪本人が感じてたと思いますが「リアルな死の手触り」の二番煎じで、痩せ衰えていく祖母の姿は想像で、全然リアルではなかったですね。NHKの企画を受けた諏訪さんが気の毒でした。

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