雑賀衆・雑賀三緘について

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先祖 雑賀衆・雑賀三緘(サンカン)について:(三回) 将軍摂州御發向之事付一向門跡之事

2011-11-13 19:35:58 | 調査
前回祖母の家譜に記載ある人物「雑賀小蜜茶三緘」が、「後太平記」に記載ある旨報告したが、記載箇所は下記の通り。


「通俗日本全史」 早稲田大学編三輯部 多々良一龍(撰) 早稲田大学出版部 ※記事内容は字数に限りがあるため省略。
・下巻 地部巻40:
「将軍摂州御發向之事付一向門跡一揆之事」
・下巻 地部巻41:
「諸城警禦之事」
・下巻 地部巻42:
「摂州大阪一向門跡合戦之事」
に記載あることが判明した。
が、「後太平記」は仮託・仮作と一般的には評価されているとのことで、「信憑性」に問題があるとのことのようである。
出典元の調査が肝心のようで、其れを探す調査が始まった。

調査手段はインターネット検索を主体にし、目安をつけ国会図書館に出向き調査するという段取で、その繰り返しの作業である。
調査開始してから2ヵ月位して下記記事を発見。
それは「後太平記」に記載ある和歌が半分以上同一と指摘されている「古文書」があり、確認しているとの記事である。
指摘しているのは、甲南女子大学文学部教授渡辺真一氏・西丸佳子氏であり、その古文書は豊臣秀吉の命令で右筆・山中
長利が書いた長編歴史書「中古日本治乱記」というものである。
又、「中古日本治乱記」については東京学芸大学准教授湯浅佳子氏は『「鎌倉管領九代記」の歴史叙述ー「中古日本治乱記」
との関連を中心に・・・』の論文にて「中古日本治乱記」の東国箇所とにていると指摘されており、「中古日本治乱記」は
「後太平記」の毛利氏を中心にした西国関連事案を、「鎌倉管領九代記」の東国関連事案の元になっているようである。
「鎌倉管領九代記」は今回の私の調査対象外のため未検証であるが、戦国時代の織田信長を中心にした東西の中心に位置し、
そのなかで重要な役割を果たした豊臣秀吉の右筆であったからこそ山中長俊は両国の情報を把握出来たのではないか。
関東と関西のそれぞれの教授が別々に指摘し、その出典元が「中古日本治乱記」というのも興味を引く。
「中古日本治乱記」は文学者には興味が湧くようである。

「後太平記」「中古日本治乱記」がほぼ同一内容であることが判明したため、国会図書館に出向き、それぞれを複写して
頂いたが、両方とも記載年代が「太平記」以降からの二百年間近くに亘るために「信憑性」がないと言われる所以ではないか。
「後太平記」の毛利関連事案については、江戸時代に萩藩で「閥閲録」を編纂した永田政純が「親裁軍記」緒言にて確認して
いるくらいであるから、いい加減な歴史書は数多くあったと思われる。

其れならばと、信憑性が高いと言われる「信長公記」に於いて、「後太平記」「中古日本治乱記」と同様な事案がないかを
調査してみる事を思いつく。「中古日本治乱記」は九十数巻にも及ぶために戦国時代以降に限定し関連記事を複写。
又、同様に「後太平記」「信長公記」も複写して頂いた。

比較調査はそれぞれ複写した事案を比較検討し易くするために一枚のシートに記載する方法をとる。

・・・・・・・・・・続く・・・・・・・・・・





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