高野 光二郎です !!

高知県選出の参議院議員として、国の実情を地方の視点から綴って参ります。

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石巻、東松島で

2011年06月28日 06時11分58秒 | 日記

毎日のように余震を感じながら


6月25日 まずは、東松島町へ。




海水がが抜けない田んぼ。




銀色は水道管。黒は電話線。



この地区は壊滅的ですが、避難所である県の施設は、縄文土器や遺跡がたくさん発見された施設。http://www.satohama-jomon.jp/


不思議中ことに湾内から50mくらいしか離れておらず、海抜もおそらく2.3mしかないところに建っているもののまったく無事。施設の後ろの住宅群も。縄文時代からの人間の生活の知恵を感じます。200名近い避難者が今も暮らしています。


安部県議が炊き出しのボランティアの受け入れをされたアテンダントされた兵庫県三田市の市議会議員さんを含む、ボランティア隊。



三田市議の笠谷圭司氏は、「安部県議からお話を聞き、高野さんのブログ見て参考にしていました。」と。


兵庫県からワゴン車で乗り付け、三田市のゆるキャラ「キッピー」の着縫い組を持ちこみ。やる気満々。



しかも、名品 三田牛。


ただ、10名近くで回されたそうで200名相手は流石に大変だっと言われていました。


そして私は、


もう一つの避難所へ。



東北も梅雨に入りました。綺麗なアスファルトなど皆無の為、長靴は不可欠です。


高知応援隊が残して行ってくれた新品の長靴を直接、避難された方々へ。



「この長靴かわいい。あんたより私の方が似合う。」ととっても喜んでおられます。


被災後は、自衛隊のお風呂を運動場設置されていましたが、今はありません。「お風呂になかなか入ることが出来ない」と。


この日も熱かったです。



東松島を後に石巻市へ。





左の女性は、牧島かれん氏。15年来の同志です。http://makishimakaren.com/index2.php神奈川県箱根町から、小田原箱根商工会議所の青年部の方々や、町の議長や議員さん。そして職員さんと40名近くで関東から、バス泊、そして朝食、昼食とボランティアに来てくれました。



ほぼ全員の避難されている方々お話をさせていただき、屈託のない笑顔のこの少年に心を打たれました。


高野「ここ、たくさん遊ぶものがあるろー。何が欲しい。何が足りん。」


少年「お家が欲しい。」


高野「今、何がしたい。」


少年「○○ちゃんと○○君と遊びたい。」


高野「その子たちは?」


少年「もう、いないよ。」と。


不覚、こんなことを少年に言わせるなんて。涙をこらえながら。


「あそこに天下の剣、箱根町の温泉がきてるから、一緒に行こう。気持ちいいぞー。」



素晴らしいお母さんがすぐそばで彼を守っていること。そしてこの笑顔。


又、心に「人として何が必要なのか」「政治は何が出来るのか」を強く心に問い掛けました。


さらに移動して東北大学農学部へ。



どうしても聞きたい講義があったので。宮城県には大学や大学院が沢山あり、たくさん市民開放もしているので、教育環境は素晴らしいです。



研究する大学教授から、「市町村、県、国とそれぞれがバラバラに復興計画を作っている。権限が分かれていて、復興に対して行政の縦割りがその妨げとなっている。」とズバリ。




そして、


「この大震災で住民は、命と財産とそして記憶を失わされた。」と子どもの時から住み続けた様々な記憶を大事にしている、まったくの跡形もなくなったまちなみ、そしてあらたな街づくり。


確かに大事な記憶を失う事になる。



そしてこれ。確かに分かります。


人は与え続けられれば、人間としての尊厳を失うことにも関わってきます。



その後、松島町へ。高知応援隊もお世話になった野外活動センターへ。




 


 


 


 


 


 

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