「シャキーン」という番組に、はまっている今日この頃である。
何度も見直せるよう、ここまで録画にはまったのは、ピタゴラスイッチ以来。
この番組、NHK教育テレビの朝7:00-7:15に絶賛放映中。小学生向け、頭と心の体操のお目覚め番組である。
お目覚めエクササイズ(耳クササイズは、特に難しい)やクイズ、笑える「どこ切る兄弟・姉妹」、20秒ショー、ほのぼのとする「おべとも学園」など、どのコーナーも面白いのであるが、
【知るや君】
という歌。これが、抜群に良い。
♪♪♪
「知るや君」
こゝろもあらぬ秋鳥の
声にもれくる一(ひと)ふしを
知るや君
深くも澄める朝潮(あさじほ)の
底にかくるゝ真珠(しらたま)を
知るや君
あやめもしらぬやみの夜に
静(しづか)にうごく星くづを
知るや君
まだ弾きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音を
知るや君
♪♪♪
調子のよろしい、七五のリズム。
ロマンチシズム満載の歌詞。
「あやめ」とは「文目」で、古語で「ものの条理」の意。
それが「あやめも知らぬ」では、「ものの区別がつかぬ」ということで「闇」に係る次第。
【参考1】大正天皇御大葬奉悼歌(参考文献 三浦綾子「銃口」)
地にひれふしてあめつちに
祈りし誠いれられず
日出ずる国の国民は
あやめもわかぬ闇路行く
【参考2】 凡河内躬恒/古今集
春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる
さらに「あやめも知らぬ」が「ものの分別がつかぬ」の意となって、「恋」に係る言葉になるとは、夙に知られたところ。
【参考3】 よみ人しらず/古今集
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
すなわち、この段の「あやめも知らぬ」を、「恋」を予感させる伏線にしておいて・・・
「まだ弾きも見ぬをとめごの」「琴の音を」
へと展開し、オチを付けるという、この手だれ。あるいは、「恋」という言葉を、一回も使わずして、切なくもひそやかに美しい恋心を歌い上げる、この力量。
只者ではないぞよと、思うことしきり。
同時に、昔、教科書でみた島崎藤村の「初恋」に通ずる雰囲気があるぞよと感じ、調べたところ、果たして藤村の詩であった(若菜集)。
歌だけでなく、背景のイラストも、また泣かせる。
歌詞に対応するシーンが、一枚の大きな絵であるがの如く連続して描かれ(空から海、海から夜へと展開する際のつながりの巧みなこと!)、それを歌の進行にあわせてカット抜きの長尺で、流れるように回していき、元へと戻る、この映像の美しさ。作り手のセンスを感じる。
【しかしながら】
いかんせん文語。中学生ならいざ知らず、小学生向けの番組のコンテンツとしては、無理があるんでないかい、と正直思うた。
ところが、である。
別の日のシャキーンで、あっと言わされる展開が待っていた。
同じイラスト、同じイントロで、今日も「知るや君」が流れてくる。
歌が始まって、本当に「あっ」と声を上げてしまった。
文語の歌詞が、「現代語」に訳されていたのである。
♪♪♪
「知るや君(現代語バージョン)」
ないてるだけの とりたちの
こえにかくれた そのきもちを
しってるかい
ふかくてすんだ うみのそこ
ひそむしんじゅの きらめきを
しってるかい
なにもみえない よぞらにも
ほしがしずかに うごいてる
しってるかい
こいをしらない おとめにも
むねにひめてる こいごころ
しってるかい
♪♪♪
訳の巧みさにも、唸らされる。
「知るや君」を「しってるかい」と訳すなど、私には考えもつかぬ思い切りの良さである。何より、文語バージョンの「琴の音」の段を「こいごころ」と素直に訳すおおらかさ。何ともうらやましいばかりだ。
さらに、さらに。
こういうことに鋭い視聴者のご指摘によれば、文語と現代語の歌詞のイントネーションにあわせて、歌のメロディーを一部修正しているとのこと。聞きなおしてみると、本当にそうだった。
文語バージョン: 知るや君 → ファソミ「シ」ド
現代語バージョン: しってるかい → ファソミ「レ」ド
参った・・・・・
なまら、でら、めっちゃ、ばり、でーじ、すごい。すごすぎる。
お子様ではない、ご多用の大人の皆さんには、水曜日19:25-19:45、土曜日24:25-24:45の「シャキーン・ザ・ナイト」がお勧め。ここでは、朝のシャキーンの内容を先取りしたり、過去のコンテンツのリクエストが放映されるほか、最近では、シャキーン・ザ・ナイトでしか見られないコーナーを見ることができる。お得である。
「知るや君」の文語版は、いまのところ、Youtubeにアップされていた。「知るや君」か「シャキーン」で検索なさるがよかろう。
何度も見直せるよう、ここまで録画にはまったのは、ピタゴラスイッチ以来。
この番組、NHK教育テレビの朝7:00-7:15に絶賛放映中。小学生向け、頭と心の体操のお目覚め番組である。
お目覚めエクササイズ(耳クササイズは、特に難しい)やクイズ、笑える「どこ切る兄弟・姉妹」、20秒ショー、ほのぼのとする「おべとも学園」など、どのコーナーも面白いのであるが、
【知るや君】
という歌。これが、抜群に良い。
♪♪♪
「知るや君」
こゝろもあらぬ秋鳥の
声にもれくる一(ひと)ふしを
知るや君
深くも澄める朝潮(あさじほ)の
底にかくるゝ真珠(しらたま)を
知るや君
あやめもしらぬやみの夜に
静(しづか)にうごく星くづを
知るや君
まだ弾きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音を
知るや君
♪♪♪
調子のよろしい、七五のリズム。
ロマンチシズム満載の歌詞。
「あやめ」とは「文目」で、古語で「ものの条理」の意。
それが「あやめも知らぬ」では、「ものの区別がつかぬ」ということで「闇」に係る次第。
【参考1】大正天皇御大葬奉悼歌(参考文献 三浦綾子「銃口」)
地にひれふしてあめつちに
祈りし誠いれられず
日出ずる国の国民は
あやめもわかぬ闇路行く
【参考2】 凡河内躬恒/古今集
春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる
さらに「あやめも知らぬ」が「ものの分別がつかぬ」の意となって、「恋」に係る言葉になるとは、夙に知られたところ。
【参考3】 よみ人しらず/古今集
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
すなわち、この段の「あやめも知らぬ」を、「恋」を予感させる伏線にしておいて・・・
「まだ弾きも見ぬをとめごの」「琴の音を」
へと展開し、オチを付けるという、この手だれ。あるいは、「恋」という言葉を、一回も使わずして、切なくもひそやかに美しい恋心を歌い上げる、この力量。
只者ではないぞよと、思うことしきり。
同時に、昔、教科書でみた島崎藤村の「初恋」に通ずる雰囲気があるぞよと感じ、調べたところ、果たして藤村の詩であった(若菜集)。
歌だけでなく、背景のイラストも、また泣かせる。
歌詞に対応するシーンが、一枚の大きな絵であるがの如く連続して描かれ(空から海、海から夜へと展開する際のつながりの巧みなこと!)、それを歌の進行にあわせてカット抜きの長尺で、流れるように回していき、元へと戻る、この映像の美しさ。作り手のセンスを感じる。
【しかしながら】
いかんせん文語。中学生ならいざ知らず、小学生向けの番組のコンテンツとしては、無理があるんでないかい、と正直思うた。
ところが、である。
別の日のシャキーンで、あっと言わされる展開が待っていた。
同じイラスト、同じイントロで、今日も「知るや君」が流れてくる。
歌が始まって、本当に「あっ」と声を上げてしまった。
文語の歌詞が、「現代語」に訳されていたのである。
♪♪♪
「知るや君(現代語バージョン)」
ないてるだけの とりたちの
こえにかくれた そのきもちを
しってるかい
ふかくてすんだ うみのそこ
ひそむしんじゅの きらめきを
しってるかい
なにもみえない よぞらにも
ほしがしずかに うごいてる
しってるかい
こいをしらない おとめにも
むねにひめてる こいごころ
しってるかい
♪♪♪
訳の巧みさにも、唸らされる。
「知るや君」を「しってるかい」と訳すなど、私には考えもつかぬ思い切りの良さである。何より、文語バージョンの「琴の音」の段を「こいごころ」と素直に訳すおおらかさ。何ともうらやましいばかりだ。
さらに、さらに。
こういうことに鋭い視聴者のご指摘によれば、文語と現代語の歌詞のイントネーションにあわせて、歌のメロディーを一部修正しているとのこと。聞きなおしてみると、本当にそうだった。
文語バージョン: 知るや君 → ファソミ「シ」ド
現代語バージョン: しってるかい → ファソミ「レ」ド
参った・・・・・
なまら、でら、めっちゃ、ばり、でーじ、すごい。すごすぎる。
お子様ではない、ご多用の大人の皆さんには、水曜日19:25-19:45、土曜日24:25-24:45の「シャキーン・ザ・ナイト」がお勧め。ここでは、朝のシャキーンの内容を先取りしたり、過去のコンテンツのリクエストが放映されるほか、最近では、シャキーン・ザ・ナイトでしか見られないコーナーを見ることができる。お得である。
「知るや君」の文語版は、いまのところ、Youtubeにアップされていた。「知るや君」か「シャキーン」で検索なさるがよかろう。
さっそくヨウツベで確認します。
それ以上に嶽南亭ご主人の含蓄の深さには平伏す次第です。
ご来駕、有難うございます。のみならず過分のお言葉を頂戴しました。恐縮です。
シャキーンの歌は、どれもがスグレモノでして、「なまら、でら、めっちゃ、ばり、でーじ」などは、私のもう一つのお気に入りでございます。拙ブログでもご紹介申し上げるつもりです。
業務の繁多により、なかなかお目にかかれませんが、厚岸の牡蠣が恋しくなるこの頃。近々伺いたく、よろしくお願い致します。