澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

高畑淳子の大学受験

2016年09月06日 13時13分38秒 | 社会

 ごく最近、「ヤフー知恵袋」に「高畑淳子が早稲田大学を合格していたら、絶対早稲田に行っているはず」とする質問が掲載された。

「高畑淳子は早稲田受かっていたら早稲田入学して演劇部に絶対に行っているはず。ですよねという事は早稲田大学文学部合格も嘘なのでしょうか?高校は香川県のトップ校高松高校だったので普通ならば早稲田合格でおかしくないですが、もし嘘ならあの記者会見も嘘かもしれません。あの記者会見を見て正直思った事は一つだけやはり高畑淳子は演技うまいなだけです(>_<)」

 息子が犯罪を犯したため、以前からの高畑淳子の言動が蒸し返されているようだ。彼女は、TV番組や雑誌のインタビューで「お茶の水女子大、慶応、東女を受かったのだが、演劇がやりたくて桐朋短大に進んだ」と何度も応えている。私もTV番組で同じように話すのを聴いた記憶がある。ネット上では、上記三大学に加え、早稲田、津田塾にも合格したと書かれている。ある業界誌のインタビューでは、本人が「学校に指示されて受験したお茶ノ水、早稲田、慶応、津田塾、東女にはすべて合格しました」と明言している。



 高畑のこの発言には、ネット上でいろいろな疑問が提示されている。当時の受験事情を考えれば、私もまた高畑発言は到底「信じられない」と感じる。まず、当時の国立大学と私立大学の格差は現在よりもずっと大きく、国立一期校であるお茶の水女子大学に合格した人が、滑り止めで受けた早稲田、慶応などの私立大学に行くことなど考えられなかった。国立大学は少数精鋭の本格的教育研究の場、私立大学はマスプロ教育で、サラリーマンの大量養成所という感覚だった。私立大の授業料が国立の8~10倍もした(現在は3倍程度)のだから、国立大学の”価値”は相対的に高かった。ましてや、桐朋短大演劇科の授業料は四年制私立大学の三年間分の学費と匹敵するほど高額だったはずだ。四国から受験で上京するとき、交通費、滞在費だけでも相当なおカネがかかったはず。さらに学費や生活費を考えれば、何故、”合格”したお茶ノ水女子大に行かないのかと疑問に思うのは当然だ。
 
当時のお茶の水女子大は、優秀な女子生徒のあこがれの大学であった。女性の大学進学率が低かったから、現在のように優秀な女子高生が東大などの旧帝大を受験するケースは少なかった。言ってみれば、全国の女子高校生の最優秀部分は、東大を合格する実力があっても、お茶の水を志望する人が多かった。それほどの大学を「演劇をやりたい」という理由だけで「棄てる」などとは、よほどのことがなければ考えにくい。「演劇」という分野は、技術的に演技を教わることなどよりも、幅広い教養や実体験から上達するものだろうから、お茶の水女子大で学びながら、演劇に関わることも十分可能だったはずだ。母校である県立高松高校の進路指導主任も「お茶の水に行ってから進路を考えなさい」と諭したはずだ。彼女の話が本当だとすればだが…。

 また、素朴な疑問として、入学金・授業料の納付時期の問題がある。当時は、一度に払い込んだ入学金・授業料は、入学を辞退しても返還されなかった。合格発表と入学金・授業料の納付時期は、①短大、②早慶以外の私大(この場合、津田塾、東女)、③早慶、④国立(この場合、お茶の水女子大)の順だっただろう。学力優秀だったという彼女が、何故、こんな大学の選び方をしたのか、実に不可解だ。上述の「学校に指示されて受験したお茶の水、早稲田、慶応、津田塾、東女にはすべて合格しましたという彼女の発言がそのとおりだとすれば、県立高松高校の「指示」とはどういう根拠(データ)に基づいて行われたのか、疑問に思えてくる。
 国立二期校の存在に触れていないことも理解に苦しむ。当時、地元の香川大学や愛媛大学は二期校だったはずで、そこは受けるつもりなどなかったということか。
 
 私の友人は、大学紛争の影響で、滑り止めに受けた弱小私大に行く羽目になり、いい歳になった今でも、時折悪い夢を見るという。彼は「もうひとつ受かっていたK大学に行っていれば、ここまでこんなイヤな目に合わなかっただろう」と回顧している。学歴とはそこまで尾を引くものなのだ。

 私の感想は、高畑淳子という人は、エキセントリックな性格で、虚言癖の傾向もある、ということ。還暦を越えてまで、「受かったけど行かなかった大学」を並び立てるのは、よほどのトラウマと隠された事情があるに違いない。