トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

鮮やかな緑よ 明るい緑よ・・・

2018-01-18 | 性向有毒の翁なれば
 拠点でイベント用の玩具工作中、何気に栗の木を見上げた。葉は茶色に枯れていても全て落葉した訳でもなく寒々しい残り方を見せている。
 その中にひときわ明るい緑の点が見えた。「寒の最中に青虫でもあるまい。青葉でもあるまいに…」と不審に思い樹下に行った。見上げても親指大だくらいの情報しか得られなく脚立を出し近づいてみた。

 半分は葉の陰だったものの全貌が現れヤママユガの繭だと分かった。小生的には、この中で蛹が越冬しているとばかり思っていたのだが、調べてみると秋に成虫となり卵の状態で越冬するのだとかと書いてある。
 同じ黄緑色でも俵型も見られるが名前が出てこない。これはカマス型で、小生の美的感覚ではこちらの方が好みである。理解できないのは、既に必要のない繭が鮮やかな色彩を保っている事で、この糸で織物を作れたら染色せずとも素晴らしい。市販されている黄金色の絹織物はこの手なのか家蚕種なのかどうか、既に記憶から消えている。

 童謡だったか唱歌になるのか冒頭の一番だけ歌えたが最後までは無理で記憶が蘇えらない。このような歌は、教育現場でも日常でも歌ったり耳にする機会はとうに消えている…。
 四季の移ろいや日々の想いや情景を歌わなくなった現代社会、感覚や情感でさえ共有出来るものも少なくなり「これで良いのか日本」であって、人手不足で中小企業が消えていく事と重なる。あちこちが虫食い状態で国の将来は衰退一直線だろう。

 写真の繭の様に色鮮やかで新鮮そうでも中身が無い。まあ、少子高齢化社会だって小生が青年の頃に予想されていた事態で、未だに手を打てない。税金泥棒と言っても構わないだろうが政の全てが「乞食のお粥」で「税金泥棒」と投げ付けたところで君子が携わらない職業なので「蛙の面に小便」が落ちである。

 小生の苦々しく腸が煮えくり返る体験だったのだが、5カ月後に定年退職を迎える11月、施設で二か所あるトイレの片方の主汚水管が地中で割れ砂礫が入り込み使用不能となった。早急な修理が必要だったのに役所は「100万円以上の工事は当方で行う契約で補正予算が通る年度末以降まで修理できない」の返答だった。
 「施設側で費用を捻出するから修繕させてください」の要望も聞き入れられず、そんな中、正月明けノロウイルスが持ち込まれ、トイレのない棟から一カ所だけのトイレ経路の利用者に散発的に発生し続けた。
 小生は50日間に及ぶ連日、午前と午後に廊下・手すり・便器の拭き掃除を続けるのが日課となったのだが、この時期になると思い出される…。
 監査や調査など、折に触れて「受益者や利用者のために」とチェックされ指導される立場だったけれど「建前」の本質を痛く身に染みさせられた体験だった。何回もあった鳴り物入りでの「グランドデザイン」もこの手だったし総じて役所と上部組織のかかわりと心証はこれに尽きる。

                             

この記事についてブログを書く
« 大石ゴロリンに続く水路の改修 | トップ | U字溝の復旧 »
最新の画像もっと見る

性向有毒の翁なれば」カテゴリの最新記事