とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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カボチャ大王に会ってみたい

2008年09月30日 20時22分07秒 | エトセトラ
いつの頃からハローウィンが日本でもポピュラーになってきた。
ショッピング街ではハローウィンの飾り付けが盛んで、グッズも沢山売られている。

あの映画「E.T」が公開された時は映画の中のハローウィンはまだまだ知られておらず、
「なんじゃい?あの仮装行列は、時代祭の一種?」
とクエッションマークを灯していた人もいただろう。

ハローウィンが日本で有名になったのはアメリカに留学していた青年がハローウィンの仮装で他人の家を訪問しようとしたら「フリーズ!」と言われ「プリーズ!」と勘違いして撃ち殺された事件に違いない。
当時は「聞き取りが悪いのどうの」「他人の家に近づくなんて」と殺された青年を非難する声が沢山聞かれたが、「なんで普通の人がショットガンなんか持っているの?アメリカって変じゃない?」と当たり前の疑問を呈する人は意外に少なかった。
ともかく、ハローウィンのお祭りが招いた悲劇だった。

だからかどうか知らないが、
「アメリカの文化を入れちゃいかん!」
とばかりに吼え立てているのはプーチン率いるロシアだそうで、「ロシア正教ではハーロウィンは祝いません」とばかりに国家をあげて仮装したがる老若男女を取り締まっているそうだ。

さすが侵略国家。
他国の文化に侵略されるのは、そのプライドが許さないのかもわからない。

さて、私はといえばハローウィンで思い出すのが「カボチャ大王」。
スヌーピーとチャーリー・ブラウンで有名な漫画「ピーナッツ」のライナスが信じて止まない架空のキャラクターだ。

日頃は毛布を抱きしめて指をくわえているライナスだが、その弁舌は論理的。
ピーナッツのキャラクターの中でもその雄弁さはぴか一だ。
学校の生徒会長の選挙戦でもライナスの論理性は学生の注目を浴びて当確寸前。
しかし最後の候補者演説会で「カボチャ大王」を語り始めてしまったために、あえなく落選。

そのユニークなエピソードをテレビで見て以来、私は「カボチャ大王」を見てみたいという欲求にかられている。

ハローウィン。
私にとってのハローウィンは「カボチャ大王」なのだ。

和泉の国JazzStreetはかなり良かった

2008年09月29日 22時24分57秒 | 音楽・演劇・演芸
大阪府和泉市といえば堺市なのか岸和田市なのかわからない中途半端な大阪南部のレジデンシャルエリアだ。
この和泉市の特徴はそこそこ面積が大きいにも関わらず大阪湾に面していないことで、工業地帯がない。
したがって税収が......少ない。

その税収の少ない和泉市が数年前に巨費を投じて建設したのが泉北高速鉄道和泉中央駅前にある和泉シティプラザだ。

ちょっとした中ホールやコンベンションスペース、市立の図書館などが整備されており、なかなかのもの。
しかし他府県や隣町から来た人びとにとっては、この場所も泉北ニュータウンの1画に位置するために「あ、堺市の施設ね」と勘違いされ、将来は大阪府堺市和泉区になるのかもわからない。

そんなこんなを書いていると和泉市の市民の皆さんに叱られそうなので、やめにするが、そんな和泉市がこんな素敵なイベントを開いているとは知らなかった。

和泉の国 Jazz Street

私の会社に勤めるTくんがメンバーのビッグバンドも出演するとあって、いざ行かん!
昨日の日曜日にカメラを持って出かけたのだった。
しかし、音楽のイベントなのでよくよく考えてみるとカメラよりもビデオカメラやデンスケ(古い)のような録音機を持って行く方が正しかった、と後で気付いたがすでに遅かった。
でも彼のバンドをはじめ、数々のジャズバンド(中にはとてもジャズと言えないグループもあるにはあったが)を楽しむことが出来たのであった。

しかも無料で。

Tくんの所属するバンドは30年以上も歴史を持つバンドだそうだが、なかなかなもんであった。
数年前に公開され大ヒットした「スウィング・ガールズ」のバンド何ぞ話にならないくらい陽気にスウィングしていたのであった。
他バンドのコピーが多いのが気にかかったが、きっと普通にはオリジナル曲何ぞも持っているのだろう。

演奏された曲の中でも私は「オースティン・パワーズのテーマ」が大好きで、誰か客が踊っていないかと確認したのだが、私も含めて客のノリはあまり良くなく「サイケデリック」に無茶をしているヤツは一人もいなかった。

ともかく、毎年春に開催しているFM COCOLO主催のビッグリバージャズフェスタよりは、良かったような気がする。

駐車場も安かったし。

なお、和泉市では毎年10月に「和泉商工フェスタ」という手作り祭りが池上曽根遺跡で繰り広げられているが、こっちはJazzStreetほどおしゃれではない。

「Four Jack!」ポール・ニューマン死す

2008年09月28日 22時12分07秒 | 映画評論
サンダンス映画際の1回目。
主催した俳優で監督でプロデューサーのロバート・レッドフォードにちょっと変わったプレゼントが届けられた。

「ロバート・レッドフォードの似顔絵が印刷されたトイレットペーパー」

贈り主はポール・ニューマンだった。

そのポール・ニューマンが亡くなった。
享年82歳。

私にとってはポール・ニューマンは生まれて初めてファンになったアメリカ映画の俳優だった。

高校時代は私が映画に目覚める時代だった。
時代は1970年代の終わり。
スターウォーズの大ヒットに始まるSFブームで映画館は大盛り上がり。
毎月のように封切られる超大作にワクワクして劇場に足を運んだものだ。
同じ映画を観ることも少なくなく、その最多数はスターウォーズの13回。
夏休みを利用して一週間に何度も繰り返し見に行った。
当時はビデオもDVDもなかったのから映画館で見なければ、次はいつ見られるのかわからなかったからでもある。

でも、実際に沢山見たのはスターウォーズではなかったかもしれない。
スターウォーズは日本では1978年の夏の上映だったが、スターウィーズほど派手ではなかったが名画座で繰り返し上映されていた映画があった。

それがポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演した「スティング」や「明日に向って撃て!」だった。

とりわけ「スティング」は映画はSFだけじゃないことを若い私に教えてくれた名作だった。
ストーリーは秀逸だし、音楽は粋だし、ファッションもお洒落だった。
そして何よりも、ベテラン詐欺師役のポール・ニューマンが格好良かった。

とりわけロバート・ショー演じるギャングのボスをだまくらかすニューヨークからシカゴへ向う列車の中のポーカーのシーンが忘れられない。
相手のイカサマのイカサマをし、相手が4のフォーカードを出そうとしたら、なんと観客までだまくらかす手をポール・ニューマンは繰り出した。
誰もがニューマンは負けたと思ったその緊張感溢れるシーン。
ニューマンはカードをテーブルに広げる。
そのセリフが度肝を抜く。

「Four Jack」

静かで粋でカッコいい男、そしてユーモア溢れるセンスの持ち主、ポール・ニューマン。
他の多くのスターがそうであるように彼も永遠にスクリーンと私たちファンの心に生き続けることだろう。



現代の企業・報道問題に通じる鈴木商店焼打事件「鼠」

2008年09月27日 16時32分33秒 | 書評
どういうわけか、一般に学校では日本史の時間に経済史を教えることはない。
たとえば、住友(泉屋さん)や三井(越後屋さん)のように時代劇に登場してくるような企業についてはちょこっと数行だけ記述していることが無くもないが、他の企業については教えられることはない。
これは日教組が「企業の歴史を教えることは資本家を讃えることに繋がる。教育は広告ではない」などと思っているからかも知れず、ただ単に多くの歴史家が人びとの生活に最も密接に関わっている企業の栄枯盛衰に着目していないだけなのかもわからない。

したがって私のように経済史をちっとも勉強してこなかったアホたれは、神戸製鋼、テイジン、IHI、豊年製油、三菱レイヨン、双日、サッポロビールなど、現在でも知られるこれら多くの大企業が鈴木商店という今ではほとんど知るものがいなくなった1個の商社を頂点として繋がっていたことなど、城山三郎著「鼠」を読むまではまったく知らなかった。

そして大正時代に三井を凌駕するほどの大企業に成長した鈴木商店が米買い占めの嫌疑をかけられ、無数の暴徒により焼打された事件があったことなども知らなかった。

城山三郎の「鼠」は鈴木商店という忽然と現れて、また忽然と姿を消した企業の栄枯盛衰を描いている。

急成長した会社は何かしらの問題点を抱えており、ある時はその問題点が覆い隠されてその企業は時代の寵児として讃えられるが、ある一線を越えると、その企業は問題点をさらけ出され、或いは噂を振り撒かれ世間から強烈に叩かれることにもなる。
近年のライブドアもそうであったが、鈴木商店は明治から大正期における時代の寵児であり、その姿はまさにライブドアを彷彿させる強烈な個性なのだった。

このノンフィクション小説では鈴木商店の番頭・金子直吉にスポットが当てられているが、私にとって最も印象的だったのはマスコミ、この時代は特に新聞のとった感心することの出来ない報道姿勢というのが強烈に記憶に残った。

根拠の乏しい噂や憶測、そして大衆が迎合するであろう作り話など、今の報道機関も度々やっては問題になる様々な行為が生々しい。
鈴木商店を「政府の高官と癒着して大もうけしている悪徳会社」と印象づけようとする大阪朝日新聞のいい加減な報道ぶりは、やがて鈴木商店の本店が群衆の焼き打ちに遭う形で終結するが、そういう結末を迎えても政府の介入を赦すまで反省することもなかった。

これもまた近年のライブドア報道と同じだった。

これも現在のマスコミと同じで自分たちの誤報や捏造記事を容易に認めようとしない体質は1世紀近くも前にすでにでき上がっていたことにがく然とする。

タイトルの「鼠」には様々な意味が込められていたのだった。

~「鼠 鈴木商店焼打ち事件」城山三郎著 文春文庫~

引退の連鎖

2008年09月26日 06時50分33秒 | 社会
小泉元首相が政界からの引退を表明した。
案外あっさりとした引退だな、と思ったひとも多いだろう。
どこかの国の元大統領のように首相に退き、そこから院政敷いている人がいたり、どこかの新聞社のように、いつまでたっても頭が惚けても主筆として君臨し続ける姿よりも、マシに見える。

政治家の美しさはその引き際のタイミングなのかもわからない。
そういう意味で小泉純一郎は立派かつラッキーな人だったといえるだろう。

スポーツ界では今年は大リーグの野茂の引退がけっこうショックだったが、福岡フォークスの王貞治監督の引退ほどではなかった。

よく長嶋茂雄と一組で評価されがちの王監督だが、長嶋との違いは大きい。
つまり、現役選手としてもナンバーワンであったし、後継者育成の指導者としてもナンバーワンであったところが「ミスター」と呼ばれてちやほやされている長嶋茂雄との大きな違いだ。

この王貞治のような指導者が政治の世界にはいないことが今の日本の不幸かもしれない。
どいつもこいつも「人気はあるが、自分がスター気取りで、後継を育てない」というお馬鹿さん状態に陥っているのだ。
まあ、小泉元首相も後継に自分の息子を選ぶそうだから、あまり褒められたものではないことも確かだが。

年末まで、次はだれが引退するのだろう。

祭りの季節、カックーのパオの祭り

2008年09月25日 06時30分48秒 | ミャンマー旅行記・集
私らしくないというか、今年はまだ一度も国外に脱出したことがない。
この原因には様々な要素が絡んでいる。

1.仕事する部署が変わったため休みを取り辛くなってしまった。
2.オイルサーチャージなる訳の分からん航空券のチャージが莫大になってしまった。
3.国内での用事が忙しい。
4.パスポートの期限が切れた。

などなど。

尤も、1は本来なら部署が変わったくらいで旅行を取りやめることは無いのだが、やはり私でなければ出来ないことが山ほどあり、まとまって休みを取ることが難しくなっていることは事実だ。

ところで、秋になると秋祭りが盛んになる。
私のお気に入りの国、ミャンマーでも秋になると祭りが各地で繰り広げられ、その賑やかなものを目にするのは結構楽しい。

「え?ミャンマーみたいな南の国に秋なんてあるの?」

という疑問を抱くあなた。
あなたには是非、ミャンマーはシャン州の秋祭りに訪れていただきたい。

シャン州はミャンマーの東北部に位置する大きな自治州で、人口を主に構成するシャン人はタイ人の親戚である。
タイのことを1930年代まではシャムと読んでいたが、シャムとシャンは同じと私などは理解している。
従って、シャン人の多くはタイ語を解すので片言だけタイ語を解すことの出来る私には便利だ。
と思っていたのだが、昨年チャイントンという町へ行ったとき、
「この地元のガイドさんはタイ語がわかりますよ」
と聞いて、タイ語で話しかけたが私の発音が悪かったのか、相手にバカにされたのかどうか、
「わからない」
と英語で言われた。

で、私はシャン州の祭りのなかで「タウンジーの気球祭り」「カローの花火祭り」「カックーのパオ族の祭り」を体験したことがある。
いずれの祭りも地球の歩き方には紹介されておらず、現地に行ってから知った祭りだ。
シャン州の州都タウンジーで開かれる気球祭りは数十万人の観衆が訪れる壮大な祭りだし、カローの花火祭りは素朴だがメチャ楽しい。
カックーのパオ続の祭りはカラフルで賑やかだ。(写真はカックーの祭りの山車)

サイクロン被害でメチャクチャになっていると思い込みのミャンマーだが、シャン州は問題なく観光できる様子。

ヤンゴンからはヒコーキで旧日本軍が作ったヘーホー空港までひとっ飛び。

あ~、シャン麺を食べたい!

大阪のセントラルパークか?

2008年09月24日 06時05分48秒 | 社会
アメリカ映画にちょくちょく登場するNYのセントラルパーク。
都会の真ん中にあんな奇麗な公園があるなんて、と羨ましく思うこと数知れず。

「あんな公園、大阪にあったらな......」

と無い物ねだりをしてしまうのは悪い癖。
ところが、セントラルパークほど大きくはないけれど、大阪にも「おおお!これが都心とは思えない!」という公園を発見。

それが靭公園。

数年間に大阪市が手を加えて整備し直したと聞いたはいたけど、めちゃくちゃ奇麗になっていたのだ。

休日の都心。
弁当を広げて食べられるところはないかと探していたら靭公園を思い出した。
以前、仕事中にお客さんへ訪問する時間を調整するのにベンチを利用したことがあったからだ。

靭公園は四ツ橋筋と新なにわ筋に挟まれた一角。
地下鉄の最寄り駅は本町。
高層ビルに囲まれた公園で、四ツ橋筋にはパーキングメーターがあるし近所の100パーキングで車を駐車すると結構割安で利用できる場所なのだ。

で、行ってみて驚いた。
大きなけや木並木やちょっとした築山もある。
築山からは奇麗な小川が流れていて、まだまだ暖かい日中は親子連れがバシャバシャと遊んでいる。
ベンチも奇麗でホームレスの姿も少ない。

テニスコートは昔のまんまだけど、休日のオフィス街、家族で過ごすにはぴったりのようだ。

公園の周辺は新町。
江戸時代はミナミの宗右衛門町とならぶ花街のあったところ。
現在は花街ではなくなったが、その余韻を残しつつ東京の代官山と人形町を足して2で割ったようなところになっている。
オシャレなレストラン、カフェやブティック、パン屋さん、ギャラリーなどが軒を並べる。

四ツ橋筋や新なにわ筋から路地へ入ると、平日とは打って変わって交通量も少なく平和そのもの。
靭公園でくつろいで、新町界隈で休日でも開いているギャラリーを覗いたりカフェでのんびりするのも、新しい大阪のライフスタイルになるのかも知れない。

旅疲れの錯覚

2008年09月23日 08時26分23秒 | 旅(海外・国内)
出張がかさなると、さすがに旅好きの私もノックアウト気味。

東京から大阪へ戻る新幹線の中では時として錯覚を観ることがあります。

たとえば700系のぞみ号の座席角に付いている手すりならぬ「握り」。
静岡あたりを走行中に1個270円の車内販売のアイスクリームを食べながらボーとしていると、「お坊様の頭が....」。

「間もなく、京都かの~~。まだ、名古屋にも着いてない気がするけど」

と思ってよくよく見ると座席の握り。

最近は車内でビールは飲まなくなって、もっぱらアイスクリーム。
アイスクリームではない時は、東京駅でスルメとお茶を買ってムシャムシャとやっている。

案外、ビールを飲んだ方が出張の帰りは元気になるのかも。
でも、リラックスして飲むには今や新横浜を出発してからということになる。
東京を出たらすぐにリラックする。
はたまた品川を出たらリラックス。
の時代はなくなってしまった。

やはり神経質な私にはビールでノンビリという気分にならず、ボーっとして坊主の頭を見ることになるのだろう。

銀座H&Mに並ぶ人びと

2008年09月22日 06時29分05秒 | 社会
平日の水曜日。

私はJR新橋駅を下車して地下鉄東銀座駅近くの広告代理店を訪れるために歩いていた。

首都高の下、銀座御門通りを歩いていたら銀座中央通りとの交差点に凄い人の列が出来ていた。

「なんじゃい、これは」

と思って見てみると、白人のオニイサン、オネエサンその列に並ぶ人たちにミネラルウォーターのペットボトルを配っていた。

「ん?みんな水貰うために並んでんのけ?」

とさらに観察すると、なが~い列は工事中のビルの前に向って延びていた。

「仕事探しかな。日雇の建設労働者にしては、みんな着てるもんがマシやの。ええ年こいたオバハンもおるし。」

で、さらにさらに観察すると、列は工事中のビルに延びているのではなく、その隣のビルに延びているのであった。

「H&M」
スウェーデンからやってきたユニクロみたいなブティックに入店しようとしている人びとなのであった。
平日の昼日中から、買い物するために並ぶぐらいヒマな人たちのことである。
私が「日雇いかな?」と思ったのも無理はないであろう。

それにしてもスウェーデンは元気だ。
先月には大阪大正区に家具小売のIKEAがオープン。
連日、なんば駅前から出発する専用のバス乗り場にはH&Mほどではないが、長蛇の列が出来ており、暇人の集団はなにも東京だけのオリジナルではないことがよくわかる。
大阪の暇人たちはバスに乗って家具を買いに(或いは見るだけ)出かけるのだから、ある意味、東京の暇人たちの上をいっている。

スウェーデンのプロダクトデザインは日本人のフィーリングに合致するのか、私はIKEAしか見ていないが、悪くない。
石造りの建物が多いヨーロッパ中で木に重点を置く原色と中間色の配色が巧みなスウェーデンのデザインは私たちのテイストに決して奇異に映らない。
むしろ安らぎさえ覚えるものがある。

ということで、スウェーデンの進出はともかくとして、平日からノホホ~ンと列をつくっている人びと。
集団に溶け込むのではなく、もう少し自我を育ててみてはどうなのか、と思う一時なのであった。

Y助教授のネタ本「アイデアのつくり方」

2008年09月21日 08時21分32秒 | 書評
「既存にあるAというものとBというものを足すとCという新しいものになります」

「ふ~~ん、なるほど」
ということを大学時代に教えてくれたのは写真論を担当していたY助教授。
確かに世の中、なにもかも新しいものではなくて既存の技術を組み合わせて新しいものを作っていることに気がついたのがこの時だ。

社会人になってからも、書籍やテレビなどを通じて、
「新幹線は1960年代当時での既存の技術ばかりを寄せ集めて作り上げた」
とか、
「iPodは既存のMP3の技術とHDと誰かが作った音楽整理ソフトを組み合わせて誕生した」
なんていう話を聞くと「Y助教授の話はますます正しい」となっていった。

どうやら、このY助教授のネタ本はジェームズ・W・ヤング著の「アイデアのつくり方」であったらしい。

先日、ある雑誌を読んでいたら東京にある某プロダクションの企画マンの話が載っていて、
「うちの会社では新入社員に必ずヤングの「アイデアのつくり方」がわたされるんです。それで企画の基礎を学べって」
そのプロダクションは洒落たFMラジオ番組や映画などを製作しているところなので、
「その「アイデアのつくり方」を読んでみたい」
と私は早速大阪市内の書店でそれを探し買い求めたのだった。

この本のことを知らなかった私は結局のところ「無知」なわけであった。
この本は広告宣伝、企画といったものを生業にする者にとってはバイブルのような書籍なのだった。
知らなかったことを大いに恥じ入らねばならない。

その内容の最大の焦点は20年以上も以前にY助教授が教えてくれた冒頭の言葉なのだった。

本書そのものは非常に古く、最初に日本で出版されたのが1961年のことなのだからY助教授もよくご存知だったわけだ。
先生は私の在学時代もT社やH社といった百貨店の広告に携わっていらっしゃったし、その道何十年だったので、本書を読んでの言葉か、それとも自分で考え抜いた言葉かはわからない。
今となっては確かめる術もないのだが(すでに故人)、たとえY助教授のネタ本でなかったとしても、なかなかためになる一冊だった。

~「アイデアのつくり方」ジェームズ・W・ヤング著 今井茂樹著 竹内均解説 阪急コミュニケーションズ~