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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



天台宗の方々には非常に申し訳ないと思うのだが、私には荒行や苦行を行う修行僧は超人的なマジックを通じて宗教的なイベントを実施するタレントや興行師にしか見えない。
つまり荒行を行う修行僧は引田天功(初代)と紙一重としか思えないのだ。

なぜなら、お釈迦様は「荒行や苦行は無意味だ」とおっしゃっているからだ。

荒行や苦行は仏教とはなんら関係なく、むしろお寺さんが荒行や苦行を通じて仏教を宣伝するのは、これお釈迦様の教えに反することにほかならい。

手塚治虫の長編漫画「ブッダ」を読むと、お釈迦様の一生を楽しく気楽に学ぶことができる。
この漫画のブッダでも「苦行は無意味」と悟ったお釈迦様のエピソードが描かれており、苦行を行ったからお釈迦様が仏教の教えに目覚められたのではないことを子供でも分かるように説明されている。

このお釈迦様が「苦行は無意味だ」と悟ったという話は、なにも手塚漫画の世界だけのフィクションではない。
タイやミャンマー、ベトナムなどの仏教国へ行っても同じ話を聞かされるので、まずは間違いない話なのだ。
ウソだとお思いならバンコクのワットプラケオへ行くと、お釈迦様の一生を説明した壁画があるし、ミャンマーの僧院へ行きご住職に質問すると懇切丁寧に教えてくださることだろう。(通訳は要ります)

「千日回峰行」を行っている滋賀県在住の修行僧が明日の朝「堂入り」というイベントを明日終えるそうだが、テレビや新聞はどういうわけか「立派なお坊さん」のように讃える記事やニュースを報道している。
しかし私に言わせれば、そんなくだらないイベントを喜々として行うのなら、どうしてそれだけのエネルギーを人生に悩んでいる人や困っている人、自殺を考えている若者や道を失った人々の救済に当てないのか。
理解に苦しむ。

僧侶というのは仏教の思想に基づいて人々を救済するのが職務のはず。
断食してお経をお唱え続けたり、自衛隊のレインジャー部隊よろしく山谷を駆け巡ることが仕事ではない。
こういう「イベント」を大切にするあまり、仏教の根幹を見失い葬式でお経を唱えるだけの葬式屋に落ちぶれてしまっているのが今の仏教界だ。

お釈迦様の言う荒行とは人生で経験する様々な出来事に他ならず、お寺にこもって世間と隔絶することが荒行ではない。

大切な人を病や事故で亡くすること。
また自分自身が病で苦しむこと。
さらに年齢を重ねて老い衰えていくこと。
そして誰もがいずれ死にいくこと。

したがって、荒行はこれらに代わるものでは決してない。

これら人生において誰もが逃れることのできない苦や悩み、悲しみなどをいかに乗り越え、人生の意味を見いだすのか。
そのヒントを導き出し人々に伝え教えるのが僧侶の仕事なのだ。
だからこそ僧侶は尊敬される存在でもある。
葬式で読経料をもらって商売している場合ではない。

ということで、修業に励む立派なお坊さんには申し訳ないが「千日回峰行」なんて、高級官僚になるための実技試験(=試験というものは自分自身だけのために存在する)程度でしかないと思えて仕方がない。
意地悪を言うと「自分の名前を売りたいだけじゃないのか」。
そんな感想を抱かせるのだ。



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