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三内丸山遺跡をみる

2017-07-23 21:26:32 | 指定なし

この前、青森市内にある三内丸山遺跡に行ってきた。大規模な発掘作業が行われた25年前以来だ。穴ぼこだらけだった当時と変わって整地され、当時をイメージした村(ゴルフ場的な)に変わっていた。


その当時、と言っても今から5500年~4000年前らしいので1500年も格差がある。大して文明が進化しなかった時代と言っても4000年前の若者から見れば4050年前の文化はものすごく古臭いだろうし1500年間をひとまとめにした村のイメージはスカイツリーと持統天皇陵を同一イベント敷地内に収めているカオス状態なのではないか、などと思ってしまう。


青森は本州の一番北にある。東アジアの文化の中心はやはり古代から中国なので大規模な戦争などがあった場合、負けた側は遠方に逃げる。青森はそういった隠れ場所としてはぴったりの場所だ。人が住める場所、人があまりいない場所、追手が見つけにくい場所、となれば有力な候補地だ。


現代の人は鉄道や道路といった陸地を利用した移動インフラを常識としている。船を使うのは時間に余裕のある人、というイメージがある。


しかし道路が全くなかった古代であれば、船の移動は一番簡単だ。ただし、大海の真ん中に出てしまえばどこに陸地があるのかは、全くの謎だから沿岸からは離れない。


アメリカ新大陸の発見、なども大西洋の先が見えない海路を選択したから偉大なのであって、イギリスから北上してフェロー諸島、アイルランドやグリーンランドを経由して北米に到達するのであれば出来ないことはない。


同様に、朝鮮半島から間の対馬などを経由して日本海を海流に沿って陸地(北陸)を見ながら本州を転々と北上していけば青森は「まあ、ここまでは追ってこないだろう」という位置にある。


三内丸山遺跡の人々はノリからしてもガチな縄文人だったが、4000年前に村が消えたのは大陸の政争に敗れた王族がここまで流れてきて占拠したか、彼らが持っていた伝染病で全員が死亡した(あるいは捨てるしかなかった)か、だったのではないだろうか。


現代の日本で、縄文人のDNAが濃く残っているのは沖縄と北海道だ。半島や中国大陸から渡ってきた弥生人の生命力の強さに圧倒され南北に押し出されたと考えられる。そう考えれば、現代日本人の世界的に見ても異常なレベルの勤勉さ、忍耐強さなどは弥生人のメンタルであって三内丸山に1500年ものんびり住んでいた縄文人ではないよなあ、などと思えるのであった。


とは言え、縄文人も全員が逃げ切ったわけでもなく、そのまま住んでたら周りが弥生人だらけになり、娘も弥生人のイケメンに持ってかれた、などという屋根の上のバイオリン弾き状態も結構あったと思う。


日本人の堅苦しい勤勉な面と、常識にとらわれない自由な発想は、この二つの民族の特性を併せ持った結果なのだろう。


これはアメリカの黒人と白人の特性が数千年経過した後、黒人とも白人とも言えないアメリカ人に、正反対に見える特性が出現するのだろうと。


職場で無茶な納期を守るために、連日深夜まで残業している同僚を見て、こいつは弥生人。適当に人生を謳歌しながら、あんま他の人の役には立ちそうもない人を見て縄文人などと心の中で思ってしまうわけで。

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