3回連載となってしまいましたが、編成表から。
まだまだご紹介したい列車の記録があるのです。
そのなかから、機関車牽引の客車による夜行列車をご紹介。
前2回は寝台専用列車でしたが、今回とりあげるのは座席車主体の編成です。
急行や普通列車では、寝台車の連結輌数は少なめでした。
そのぶん、安く旅行ができましたね。
貧乏旅行の学生をはじめ、雑多な人々が利用していました。
いまでは、夜行高速バスがその任に当たっているようです。
また、深夜2時台、3時台でも客扱いをする停車駅があり、乗り降りするひとがいました。
不思議なことに、そういうお客さんは目覚まし時計を使わずともちゃんと起きるのです。
眠りが浅いのでしょうか。
そして改札口には、駅員さんがひとりは必ず立っていました。
夜行列車が走るような国鉄の幹線は、24時間営業だったのです。
では、時系列順に。
中央東線上諏訪行きの普通列車を大月で追い越していったのが、「アルプス59号」。
EF64一般型が、12系客車を牽いていました。
このころは、列車名が51号~のものが臨時列車でした。
このほかの臨時「アルプス」はすべて165系電車だったと思います。
直前のダイヤ改正で臨時列車に格下げされた、山陰・北九州連絡の夜行列車。
改正前は「さんべ」の愛称でした。
正月休みが終わるころだけに、車内はガラガラでした。
ワタシが乗った、唯一のEF30形牽引の列車でもあります。
今も生き残る首都圏・北陸連絡「能登」の、国鉄時代末期の姿。
長野新幹線開業前までは、長野経由でした。
碓氷峠を往来する唯一の寝台車が、ここにあります。
座席車は特急用の14系ですね。
当時、急行料金で特急用車輌に座れることは“お買い得”とみられていました。
リクライニングシートは、夢のまた夢。
関西・山陰連絡の「だいせん」は、12系座席車+14系寝台車の組み合わせでした。
座席車は、4人がけのボックスシートです。
こっちのほうが、個人的には急行らしい気がするのですが。
客車4輌と、短い編成の「利尻」。
北海道内では、14系客車が特急用に使われたことはないと思います。
本州に住むモノとしては、憧れでしたね。
このころ「まりも」の指定席には、フルリクライニングシートを装備した「ドリームカー」が連結され始めました。
JRとなって、高速バスとの競争を意識し始めたのでしょう。
最後のご紹介、中央西線「ちくま」。
座席車は12系3000番台。
旧来のボックスシートをリクライニングシートに交換したもので、前掲の「だいせん」にも連結されました。
足元は広くなりましたが、見知らぬ人と顔を突き合わせる“夜行列車の猥雑さ”がなくなりました。
車内が、上品にすましているような気がしたものです。
この列車、客車はJR西日本、機関車はJR貨物のEF64とJR東日本のEF65でした。
臨時列車となった晩年は、JR東海の383系電車が使われています。
その意味でも、ユニークな列車でしたね。
朝5時、早朝の名古屋で乗客の半分を下した「ちくま」は、平坦専用のEF65PFにバトンタッチ、
新垂井経由で関ヶ原を超えてゆきました。
次回は、たぶん、模型工作に戻ります→
まだまだご紹介したい列車の記録があるのです。
そのなかから、機関車牽引の客車による夜行列車をご紹介。
前2回は寝台専用列車でしたが、今回とりあげるのは座席車主体の編成です。
急行や普通列車では、寝台車の連結輌数は少なめでした。
そのぶん、安く旅行ができましたね。
貧乏旅行の学生をはじめ、雑多な人々が利用していました。
いまでは、夜行高速バスがその任に当たっているようです。
また、深夜2時台、3時台でも客扱いをする停車駅があり、乗り降りするひとがいました。
不思議なことに、そういうお客さんは目覚まし時計を使わずともちゃんと起きるのです。
眠りが浅いのでしょうか。
そして改札口には、駅員さんがひとりは必ず立っていました。
夜行列車が走るような国鉄の幹線は、24時間営業だったのです。
では、時系列順に。
中央東線上諏訪行きの普通列車を大月で追い越していったのが、「アルプス59号」。
EF64一般型が、12系客車を牽いていました。
このころは、列車名が51号~のものが臨時列車でした。
このほかの臨時「アルプス」はすべて165系電車だったと思います。
直前のダイヤ改正で臨時列車に格下げされた、山陰・北九州連絡の夜行列車。
改正前は「さんべ」の愛称でした。
正月休みが終わるころだけに、車内はガラガラでした。
ワタシが乗った、唯一のEF30形牽引の列車でもあります。
今も生き残る首都圏・北陸連絡「能登」の、国鉄時代末期の姿。
長野新幹線開業前までは、長野経由でした。
碓氷峠を往来する唯一の寝台車が、ここにあります。
座席車は特急用の14系ですね。
当時、急行料金で特急用車輌に座れることは“お買い得”とみられていました。
リクライニングシートは、夢のまた夢。
関西・山陰連絡の「だいせん」は、12系座席車+14系寝台車の組み合わせでした。
座席車は、4人がけのボックスシートです。
こっちのほうが、個人的には急行らしい気がするのですが。
客車4輌と、短い編成の「利尻」。
北海道内では、14系客車が特急用に使われたことはないと思います。
本州に住むモノとしては、憧れでしたね。
このころ「まりも」の指定席には、フルリクライニングシートを装備した「ドリームカー」が連結され始めました。
JRとなって、高速バスとの競争を意識し始めたのでしょう。
最後のご紹介、中央西線「ちくま」。
座席車は12系3000番台。
旧来のボックスシートをリクライニングシートに交換したもので、前掲の「だいせん」にも連結されました。
足元は広くなりましたが、見知らぬ人と顔を突き合わせる“夜行列車の猥雑さ”がなくなりました。
車内が、上品にすましているような気がしたものです。
この列車、客車はJR西日本、機関車はJR貨物のEF64とJR東日本のEF65でした。
臨時列車となった晩年は、JR東海の383系電車が使われています。
その意味でも、ユニークな列車でしたね。
朝5時、早朝の名古屋で乗客の半分を下した「ちくま」は、平坦専用のEF65PFにバトンタッチ、
新垂井経由で関ヶ原を超えてゆきました。
次回は、たぶん、模型工作に戻ります→
90年11月頃に京都へとあるミュージシャンのライブを見に行きましたが、終わってから地下鉄で京都駅に向かい、
京都駅から新快速が221系に乗りたいばかりに
快速の221系を乗らないで、期待とは裏腹に新快速は117系の6連です、大阪駅で下車してあさかぜ2号で東京へ帰りましたが、すでにスハが連結され始めた時期でもありました。
ちくま、臨時列車化後は381系じゃなかったですっけ?大阪駅で物珍しさに撮った記憶があります。
ちーたま様/
いまから思うと、117系の新快速も貴重ですよ。
初めて221系に乗ったときは、とても嬉しかったものですが。
ぼうず様/
旧型客車による夜行列車の記録がないのが、弱みです…。
臨時「ちくま」は381系でしたっけ?
文献だけに頼ると、ロクなことがありませんね。
ようこそ。いらっしゃいませ。
紀勢線にも夜行がありましたね。何度か利用したことがあります。もっとも、寝台車の連結がなくなり、それにともなって愛称も消えてしまったあとの時代ですが。
天王寺行きに乗ると、大阪から各地への始発に乗れるので、重宝しました。