取手通信・医学情報社 山本 嗣信 (やまもと つぐのぶ)

医学情報社編集顧問
フリージャーナリスト

平将門と取手

2017年05月17日 12時46分02秒 | 医科・歯科・介護
取手 長禅寺

長禅寺は大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派に属しています。
慶安2年(1649)将軍徳川家光より寺領5石3斗を賜る朱印状の交付を受け、以後明治維新まで歴代の将軍より朱印状を受けています。また市内に残る石造遺物の約6%がここにあります。

南側の石段をのぼりきると、正面に建つのが茨城県指定文化財の三世堂です。
外観は2層ですが内部3層で、「さざえ堂」の形式になっており、上り階段と下り階段があり、堂内では参拝者が交差せずにまわれるようになっています。棟札によれば、宝暦13年(1763)に建立された堂が大破したため、享和元年(1801)に再建されたとあります。1層に坂東三十三か所観音札所、2層に秩父三十四か所観音札所、3層に西国三十三か所の各本尊の写しを安置しており。合計百体の観音像があることから、百観音堂と呼ばれています。

さざえ堂は他には、群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院と、長禅寺を含めて全国で5棟しか残っておらず、大変に貴重な建物です。

取手一番の歴史遺構として取手駅至近の丘の上には将門ゆかりの古刹長禅寺があり、かなり壮大な古建築さざえ堂が保存されております。また坂東の将門の郷を構成する取手近在も将門伝説遺構が多数存在しますが、何処も目印程度のもので、大鹿山長禅寺は断突な存在です。大鹿山と号する由縁は上記大鹿村の取手宿移転に併せ長禅寺も現在地に移転しますが、大鹿村時代の慶安2年(1649)三代将軍家光より寺領5石3斗の朱印状の受けております。現在の石段を上り山門を抜け更に正面に建つ三世堂と称する「さざえ堂」は宝暦13年(1763)に建立、享和元年(1801)に再建されたもので2層に見える建物の堂内は3層にわかれ、1層から坂東三十三観音札所、秩父三十四観音札所、西国三十三札所、合計百体の観音像が安置されることで百観音堂とも呼ばれます。この大鹿山長禅寺の創建者こそが、新皇平将門相馬小次郎が勅願所として承平元年(931)に大鹿村に建立したものと云われれております。

はお遍路さんと云えば四国の話と思っておりましたが、宝暦5年(1755)頃に開設された新四国相馬霊場全八十八番札所は大鹿山長禅寺が主導寺として境内には一番札所と結願の八十八番のお堂があります。俳人小林一茶もこの寺をよく訪ね”下総の四国廻りや閑古鳥”とお遍路の句碑が境内にあり、一茶にとっては流山の味醂醸造業秋元双樹や布川の廻船問屋古田月船、守谷の西林寺住職鶴老とも親交し北総地域は一茶にとって”第二の故郷”であり取手にもしばしば立ち寄ったのでしょう。
江戸時代から行われた、新四国相馬霊場札所廻りが身近な場所に在るとは知りませんでした。現在も札所遍路同好の人達は歩いているようです。


















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