取手通信・医学情報社 山本 嗣信 (やまもと つぐのぶ)

医学情報社編集顧問
フリージャーナリスト

「わたしはべつのだれかである」

2016年10月17日 15時14分41秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力
★「よく詩を書いていた。詩人には働き口がないから心配だった」。
かつてこう語っていたのはボブ・ディランさんの母親のビーティーさんだった。
高校ではバンドに熱中していた息子だが、親はそれを「働き口」とは思わなかったらしい。
★1962年ごろから急に自分の歌う曲に熱中しだしたのは「自分の歌いたい曲はまだ存在していないことに気づいたからだった。
★フランスの詩人ランボーの「わたしはべつのだれかである」とい一節を目にして、頭の中の鐘が「一気に鳴り始めた」のだった。
★そのころ仲間とビールを飲みながらの演奏の後、家に帰ってきて一気に書き上げたのが「風に吹かれて」だったといわれる。
★「どんなレッテルを貼られてもかまわない。歌うためならね」ディランさんの言葉である。
毎日新聞「余録」
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