競輪仲間たち

2017年02月20日 03時39分36秒 | 未来予測研究会の掲示板
初日3000円 2日目3000円 3日目5000円 最終日6000円
投じた資金、かわいいものだ。

取手競輪場で初めて開催されたG1レース
読売新聞社杯「第32回全日本選抜競輪」は取手市白山の元競馬場で開催された。

利根輪太郎の友人の荻原直樹は、取手2中時代、その競馬場の馬の施設の脇を通り通学したと言っていた。
荻原は3年前に認知症となり、現在は藤代の養護老人施設に入所している身である。
多弁である彼が人がが変わったように無口となり、柔和な笑顔も消えて、競輪仲間たちは皆、彼の変貌ぶりを訝っていた。
最後まで変わらなかったのは、女性への関心であった。
彼は誰彼となく、競輪場へ来た女性ファンに声をかけていた。
元々、下心のない荻原であったので、大概の女性は荻原の柔和な笑顔に警戒したり、身がまえをすることはなく、彼の問い掛けに自然体で応じてした。
利根輪太郎は女好きのくせに、常に女性に対して、憶するして話掛けられずに居たのだ。
「あの人は、取手協同病院の看護婦なんだ」
「あそこに居る女は、藤代の大工の女房だ」
「キャバレー桃山の加代子が、大穴をゲットしたよ」
荻原は競輪場に来ている多くの女性たちと顔見知りとなり、気軽に会話を交わしていた。
一方、輪太郎に対しては、「輪ちゃん」と声をかけてくれる女性は、スナック「フロリダ」や「エイト」のママくらいであった。
意識過剰な輪太郎は、相手の容貌の美しさや漂う気品などに憶するばかりであった。
輪太郎は10代の少年のころとほとんど進化しないような40代の男であったのだ。
もしも、荻原が健在でいたら、全日本選抜競輪に訪れた多くの女性ファンに必ず声をかけていただろう。
70代となった荻原が姿を見せなくなった取手競輪場の久々の賑いの中に佇みながら輪太郎は、往時を偲んでいた。
父子家庭であった荻原は二人の小学生の息子を連れて、競輪場へ来ていた。
その二人の息子が共に輪太郎の息子と同じ年齢でクラスメートでもあったのだ。
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