とねり日記

とりことや舎人(とねり)の
どげんかせんとの日々

手押し除草機

2012年06月30日 | 田んぼ・野良仕事
冒頭から訂正です。

6月16日付け「米ぬかレポート(2)」で、「ヒエは抑えたな。深水管理の勝利だ」と、ヒエに対する勝利宣言をしましたが、その後、ナガ田でコナギが爆発的に発生し、さらには抑えたと思ったヒエも大量に立ち上がってきて、手押し除草機だけでは歯が立たず、結局、去年同様、泥田を這って草取りするはめになった。


白田、黒田では雑草はほぼ抑えられているものの、最大のナガ田で、舎長ともども連日、炎天下・地獄の草引きをしている。



おかげで左肘の近くの皮がむけてしまった。中腰のスクワットの姿勢で右手で草を取るが、その間、左腕を左膝について上体を支えることになる。長くやっているとこんなふうに左肘の近くの皮がむけてきた。環境にやさしい農業は体(筋肉や皮膚や足腰)にはやさしくない。


このナガ田は昨年まで数十年にわたって除草剤を使用し続けてきた田だ。昨年借りた、やはり前年まで除草剤を使ってきた別の田でも、ヒエ、コナギが大量発生した。近隣の無農薬でやっている人の話を聞くと、毎年草取りをしているとだんだん少なくなり、2反の田でも一人で1日もかからず草取りできるとのこと。やはり田のなかに有機物が増え微生物が増えてくるとそんな土になるのかなあ。早くそんな田になってくれたらいいなあ。来年、再来年と少しずつよくなる、なってほしいと思うから百姓はやっていられる。

そんなささやかな希望に支えられて私たちは続けていられるが、それでも、働き手が年寄りだけ、あるいは街で働きながらの「土日百姓」といった日本の山間部の多くの農家では、「環境にやさしい持続可能な農業」では持続できない、機械と農薬と化学肥料に頼らざるを得ない、ということを前回書いた。そして国の政策も一貫して農業集約化を進める方向だった。その結果が現在の日本の農山村の姿だ。過疎化、超高齢化、限界集落化の流れは止まらず、空の半分しか見えないような谷間の小さな田んぼにラジコンヘリでカメムシ防除の農薬を撒くといった中途半端で当の百姓にとっても大してメリットもないことにカネが使われている。このカネの出所が「中山間地域等直接支払制度」だからますますため息が出る。なぜため息が出るのかについてはおいおい書いていきたい。まずはドイツの話の続きからだ。

ドイツ(ならびにヨーロッパの国々)では集約農業ではなく、その逆方向の「粗放農業」の実践に国が補助金を出す。目的は環境保護(と過剰生産対策)だが、この「環境」には農村景観も含まれる。環境保全や農村景観の維持に資する数十項目の農法、取り組みごとにポイントが決められ、そのポイントの合計で受け取る補助金の額が決まる。

例えば、化学肥料をやめたら(1ヘクタールあたり=以下同)8点、有機農業にしたら17点、除草剤をやめたら7点、穀物の播種間隔を17センチ以上(要するに疎植ということですね)にしたら6点、牛の数を草地1ヘクタールあたり1.4頭以下にしたら4点、傾斜度35%以上の草地で飼ったら5点、危機にさらされた地域特有の在来品種の家畜を飼ったら10点(1頭あたり)、生け垣を維持したら16点…といった具合だ。1点が10ユーロになる。項目やポイント配分は各州ごとの実情に合わせて若干異なるようだが、スタートは1989年に制定された「農業生産粗放化促進法」。この法律が施行されてから、ドイツでは粗放農業に取り組む農家が爆発的に増え、例えばバーデン・ヴュルテンベルク州では2004年時点で粗放化プログラムへの参加農家数は8割に達している。

同法制定以前、欧州共同体(EC)各国は共通農業政策により、域内の農産物価格は補助金により高い価格で買い上げ、域外の農産物には関税や課徴金を課した。作れば作るだけ儲かるのだから、当然、機械化、農薬・肥料の多投、すなわち集約化が進み、結局、生産過剰になる。これに貿易摩擦やら環境破壊が加わり、さまざまな曲折を経て、生産調整と環境保護と(増産意欲を刺激しない)農家の所得保障という3側面を併せ持つ政策として粗放化政策が登場した。

なかなかよい知恵だ。だけどね、手間のかかる生産性の低い農業をしてくれたら補助金(税金)を出しますよ、という政策を、農民以外の納税者がさしたる抵抗なく受け入れるところが偉い。

なぜだろうか。なぜヨーロッパ各国は伝統的に農業を手厚く保護してきたのだろうか。

一つは食糧自給に対する重きの置き方が日本と違うという気がする。食糧自給は国民の安全のために重要だという認識が行き渡っているのではないか。それともう一つ、これも同じ脈絡にあるのだが、ヨーロッパの農山村地帯の多くは国境地帯でもあるわけで、ここに人が住まなくなると、即、国境線にスキができることになる。国境地帯の無人化、空白化は大きな脅威と感じられるだろう。何しろつい最近まで国境を越えたり越えられたりして血で血を洗う戦いを繰り広げてきた地域だ。このあたりが農業政策に対する彼我の意識の隔たりだろうと思う。もちろん環境問題に対する意識も違う。

こうした国防上の課題、深刻化する環境破壊への対処、農村景観という国民文化の保持、そして農民の健康で文化的な生活を営む権利の保障等に総合的に対処する方策として、農業・農山村政策が立てられている、と私は見る。

このへんが、正面から課題に向き合う姿勢がなく、基本的な方向性もなく、ヨーロッパのやり方を横目で見ながら縦割り行政のチマチマした施策しか打ち出せない日本の農政と大きく違うところだ。

そんな日本の農政にも小さな変化の芽が兆していることを紹介したいが、田んぼに行く時間だ。舎長がせかす。続きは次回。写真だけアップしておきます。
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ドロオイ虫

2012年06月22日 | 田んぼ・野良仕事
今年もまたドロオイ虫(正式名・イネドロオイムシ)が出始めた。これは去年の写真。


このドロ団子の下に小さな白い幼虫がいる。ドロのように見えるのは自分の糞で、これを背負って体を保温しているらしい。比較的寒冷な地や山間地に多く発生するようだ。白くなっている部分が食べられた跡で、田植え直後の柔らかい稲の葉を好んで食べる。7月に入り成虫になると食害は少なくなる。去年はこれが大発生しあちこちの稲株で葉を真っ白くした。私らは真っ青になって泥田を這って一匹一匹しらみつぶしに取り除いた。稲の成長を心配したが、その後は青い葉が再び出てきて分けつが進み、秋にはちゃんと実ってくれた。稲っていうのは強いなあと感心したものだ。

成虫は体長5ミリほどで、小型のホタルのような虫だ。この写真は愛知県農業総合試験場のサイトからコピーしたもの。


農薬を使って防除する場合は、田植え直前の苗箱に50~100gほどパラパラと粒剤を撒く。農薬会社のサイトにあった説明書きによると、ドロオイ虫のほか、イネハモグリバエ、ツマグロヨコバイ、コブノメイガ、イネミズゾウムシ、スクミリンゴガイ、ニカメイチュウ、イネゾウムシなどもあわせて防除できるようだ。便利なものだ。ほとんどの農家がこれに頼っている。

わが舎は無農薬栽培なので、先日、木酢液を300倍に希釈して散布した。殺虫剤ではないし、強い忌避剤でもないので防除効果は弱いだろうが、去年のような大発生にはならないでほしいと願っている。


環境にやさしい持続可能な農業と言われるが、環境にはやさしくても人の体(筋肉)にはやさしくないので、有機無農薬栽培はあまり広がらない。不耕起とか直播きとかも、一見、簡単にできそうで、私たちも興味を引かれるが、周りを見わたすと、ちょっと手を出してみてやめてしまう人が多い。不耕起は田植えが大変だろうし、直播きは刈り取りからお米にするまでが大変という気がする。去年、私たちは不耕起・直播きこそしなかったが、刈り取り、稲木干し、足踏み脱穀、篩(ふる)い、唐箕、筵(むしろ)に広げての再乾燥、籾すりなど、お米にするまでが大変だということを身をもって知った。ナガちゃん曰く、昔は暮れも押し詰まってお正月前になってようやくお米になったとのこと。1反弱でさえあんなに手間ひまかかったのだから何反も何町歩もやっていたら確かに正月直前までかかるだろう。うちの近在のかつての大地主の田では「稲木にかかった稲に雪が積もっていた」と上(かみ)の集落のヒトッちゃんから聞いたことがある。そういうこともあっただろう。

それでも昔は人の「手」が豊富にあった。農業は主食をつくる基幹産業で、父ちゃん母ちゃんが主力を担い、手のかかる仕事はじいちゃんばあちゃん子どもたちを総動員してやった。いまはその「手」もない。こどもたちは農業よりずっと儲かる産業に就職し、あるいは条件のよい就職をするために塾やらなんやらで忙しい。一部の専業農家を除き、農業はもっぱらじいちゃんばあちゃんたちの仕事だ。年寄りの手すさびみたいな位置にまで貶(おとし)められているから、子どもたちにも遠慮して、「跡を継げ」はおろか「手伝え」とさえ言えない。それどころか孫の塾の送り迎えまでさせられている。人の「手」がないなら機械、農薬、化学肥料に頼らざるを得ない。街で働いて得た金で高い機械を買う。それがいまの農村(特に中山間地域)の圧倒的多数派だ。そうしないと農業を続けられない。「持続可能な農業」では持続できない。

なら農業などやめてしまえと街の人は簡単に言うかもしれないが、やめられない事情がいろいろある。父母や祖父母と一緒に苦労して開いた田畑という思いもあるだろうし、この地域に住み続けるために農業を続けるという側面もある。農業をやめても田畑の草刈りはしなくてはいけないし、やめようがやめまいが田畑の面積に応じて「クロ」(田畑に隣接した山の斜面)も刈らなくてはいけない。ならば田畑を維持した方が自家消費分の米や野菜はできるのだからずっとマシだ。それに何より、やっぱり農業は気分のいい仕事なんだ。炎天下のしんどい仕事でも、終わって風呂入って土間の前のベンチに腰掛け、西の空を見ながら飲むビールのうまさときたら…。それでも櫛の歯が抜けるように年寄りが死んでいき、食っていけない農業など誰も跡を継がず、耕作放棄地がじわじわ広がり続けている。

ここから話を少し展開したい。

以前書いた「カメムシ優良米」という話のなかで、「なぜ日本農業はドイツのような粗放化政策が取れないのか」(最近、粗放化への兆しがすこーしだけ出てきてはいるが)――と思わせぶりなことを書いた。

「粗放化」というのは「集約化」の反対ということ。小さな田畑を統合して広大な耕地にして、大型農業機械やよく効く農薬、化学肥料を使い、少ない労働力で高い生産性を目指すのが集約農業。まあアメリカ型農業を想像してもらったらよいのではないかな。

日本の農業政策は一貫して集約化を促進する方向できた。古くはガット・ウルグアイランド、最近ではテーペーペー(TPPのこと、サンちゃん〈隣の集落の農家班長=農談会や補助事業等に関するお知らせやとりまとめをする役員〉がこう言う)に参加しても大丈夫な強い農業になりなさい、というお上のご指導だ。でもねえ、集落の田んぼ全部を統合して1枚の田んぼにしても1町歩にもならないような谷筋ばっかりの日本の中山間地域で、どんなに集約化したところでアメリカや中国やオーストラリアに対抗できるような農業ができますか?アメリカでは飛行機で種撒いて(これこそ直播きだ!)化学肥料撒いて農薬撒いてしてるんだよ。去年の夏ごろ、うちの谷筋の下手の集落で、ラジコンのヘリでカメムシ防除の農薬を撒いてたけど、バカじゃないかと思ったね。いい加減目を覚ませよと言いたい。相手は飛行機、こっちはせいぜいがラジコンのヘリ。しかも前にも書いたが多少のカメムシ米が混じったって食味にはなんの関係もない。残るのは残留農薬や環境への負荷というマイナス要因だけだ。単に着色粒が1000粒に1粒以下という見た目だけの「1等米」に仕上げて農協に出荷しても、ここいらの生産規模ではとても経営的に成り立たない。ではラジコンヘリで農薬撒いていったい誰がいい思いをしているのか。農薬会社や農機具メーカーや農協といったところだ。彼らは農水省、天下り法人、農水族議員らとつるんでおいしそうな餌場を作り出し、カメムシのようにチュウチュウ吸ってまわる。百姓よ目を覚ませ。

一方でドイツは1989年に「農業生産粗放化促進法」を制定し、日本と真逆の農業政策に踏み出した。手間のかかる生産性の低い農畜産業をやりなさい、そのために補助金も出しますよ、というのだ。これはいったいどういうことなのだろうか。(長くなったので今日はこのへんで、続きは次回に)
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米ぬかレポート(2)1位白田、2位黒田、3位ナガ田

2012年06月16日 | 田んぼ・野良仕事
田植えから2週間すこし経過した6月10日、田んぼのなかにだいぶ雑草が目立ってきた。ただ、田んぼによって微妙に生え方が違う。

これがナガ田(今年からナガちゃんから借りた1反の田、去年まで除草剤を使用、今年は不十分ながら菜の花緑肥を鋤き込んだ)


これが黒田(もみがら燻炭散布)


これが白田(米ぬか散布)


草の生え方が一番少ないのが白田、二番目が黒田、最も多いのがナガ田の順。

田植え後1週間くらいから、田んぼの水底から雑草が徐々に頭をもたげてきていたが、その時点ではどれがヒエでどれがコナギかわからなかった。この二つは他を押しのけてダントツに優先化する草だから、どちらかあるいは両方に違いないと思っていた。だが田んぼを見たナガちゃんは「ヒエはない」と言った。

シタイ!(沖縄語で「よっしゃぁ~!」)
ヒエは抑えたな。深水管理の勝利だ。フフフ。

残るはコナギ。湿性雑草のヒエと違い、コナギは水性雑草だから深水管理では抑えられない。田に投入または鋤き込んだ有機物(米ぬかや菜の花緑肥)が分解されてできる有機酸(酢酸、酪酸など)による抑草効果に期待したいところだ。

コナギに関しては、写真からもわかるように米ぬかが一番効果を発揮しているようだ。米ぬかを撒いたところは、ミジンコみたいのやらイトミミズみたいのやら何やらわけのわからないエビの幼生みたいのやら、水生微生物がどっと湧き出て、アメンボ、オタマジャクシ、タニシやらも集まってきて大盛り上がり。これを見て、舎長などはすっかり米ぬか派になってしまって、たぼてた(全部使わずにため込んでいた)残り5キロの米ぬかペレットもナガ田に撒き、さらに近くのコイン精米所から米ぬか60キロを譲り受ける段取りまですませてしまった。最近お友だちになった奈良県五條市に住むパスコン・ナカニシさん(米ぬか使用の達人)によると、「初期使用には田植え後4~5日が最適だが、その後のスポット的使用も可」とのこと。


この生物多様な田んぼの泥を手ですくうとトロトロになっている。このトロトロ層の発達がまた抑草および稲の発育によいようだ。

元福島県農業改良普及員の薄上秀男氏はトロトロ層についてこう書いている。
「(1)発酵肥料や米ぬかが分解する際に還元状態となる。この酸素欠乏が雑草の発芽を抑える。(2)有機物が分解する際に生ずる有機酸が発芽や発根を抑え、あるいは腐らせる。(3)ミジンコやユリミミズさらにはドジョウやフナなどの小動物や昆虫が増殖し、活発に活動して濁り水をつくり、遮光して抑草する。その際に生ずる微震動がちいさな雑草や種子をトロトロ層に埋没させる。(4)切りワラや残根にトロトロ層の一部が粘着し、微生物の出す炭酸ガスによって水面に浮上する。発芽始めの雑草も同時に浮き上がり、有機酸により枯死する。(5)トロトロ層の栄養によって浮草が発生。その被覆により雑草の発生を抑制する」「さらに稲の生育を促進し、品質(食味)、収量を高めるなどさまざまの効果が見られる」(民間稲作研究所編『除草剤を使わないイネつくり』農文協、より)

若干補足すると、(1)の酸素欠乏によって抑えられる雑草は、発芽時に酸素を必要とするヒエなど。コナギなど水性雑草は発芽時に酸素を必要としないので抑えられない。

というわけで、何となくいい感じで田植えから3週目に入った。そろそろ手押し除草機を押す時期だ。そのあと、ナガ田と黒田に米ぬかを散布しようと思う。米ぬか(有機肥料)は肥効がゆっくりなので分けつ肥や穂肥としても効いてくれるかもしれない。そうなればさらに「への字型」稲作になる(慣行稲作を「V字型」というが、興味ある人はご自分で調べてみてください)。

なんか、ここへきて、ちょっとばかし余裕が出てきたなあ。

今年はあの炎天干し・地獄の草引きをせんでもいいかなあ。(続く)


ところで話は変わるが、5月27日に書いた「薄播き疎植細植え遅植え(1)」という長ったらしいブログの終わりごろに、男性の思考パターン(「男の話法」と言い換えてもいいかな)は抽象と集中、女性のそれは連想と拡散という、花崎皐平さんから昔聞いた話を紹介したが、いま読みかけている本にも似たようなことが書いてあった。内田樹氏と中沢新一氏の対談集『日本の文脈』(角川書店)という本なのだが、ちょっと長くなるけど、おもしろいから書きとめておきます。

〈内田 僕のおしゃべりって、とりとめがないんですけれど、これっておばさんのしゃべりの特徴なんですよね。おばさんのおしゃべりは、どんどん横に逸脱していく。キーワードを拾って、横へ横へずれていく。(略)小学生の頃に、学校から帰ってくると、母親は専業主婦だから家にいるわけですね。二人でおやつを食べながら、お茶を飲んでると、母がいろいろ話してくる。親戚のこととか、ご近所さんのこととか、(略)それを見ていた兄貴に「おまえはよくおふくろのおしゃべりにつき合ってられるな」って感心されたことがある。それを言われたときに、「あ、そうなんだ、こういうのが『つまらない』という人もいるんだな」って気づいた。〉
〈内田 日本の場合、哲学者が哲学用語で哲学をしても、一般市民には何を言ってるのか、意味がぜんぜんわからない。僕たちはそれが当然だと思っている。でも、欧米では哲学者が使う哲学の用語の多くは実は生活言語を流用したものです。(略)日本語の場合、哲学の話を哲学の用語だけで書いていたら、ふつうの生活者にはまず意味不明ですよね。一回これをどこかで生活言語に置き換えて、「平たく言えば……」という言い換えをしないといけない。抽象性の高い概念は、一度土着語に翻訳してみないと呑み込んでもらえない。だから、アカデミックな言語を語る学者と、生活言語を語る生活者の間に、その間を取り持つ「ブリッジ」の役を果たす「二重言語話者」が必要になる。僕はこれまでいろんな仕事をやってきたわけですけれど、いったい本当は何をやってきたんだと思ったら、結局「そういうこと」だったと言うことに最近気がついた〉
〈外来のごりごりした思想や概念を、ふつうの生活者にも「ああ、そういうことって、あるよね」というふうに理解できるように「土着語に開く」という作業自体が実は、極めて日本的なものだから。欧米には、そんな仕事をしている人がいないんですよ。こういう変な仕事は「真名(まな)」の世界と「仮名(かな)」の世界に同時に帰属していて、アカデミアの言語も生活言語も話せる「二重言語話者」にしか担うことができない。そういうタイプの人間のことを「男のおばさん」と僕は名づけたわけです。(略)そういうタイプの人間がいまの日本社会には不足している。(略)だから、僕みたいな人間に対する需要が発生したのかな〉(同書80頁~86頁)

「男のおばさん」か。
そうありたいものだ。

いまのオレは「男のおじさん」だもんなあ。
そこらにゴロゴロいるし。
値打ち無いよなあ。
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米ぬかレポート(1)白田さんと黒田くん

2012年06月08日 | 田んぼ・野良仕事
私たちが住む南丹市日吉町に、有機的農業に取り組んでいる「有限会社アグロス胡麻郷」という農業法人がある。農産物だけでなく豆腐などの加工品もつくっている。「有機無農薬栽培」というだけでなく、有機的につながっていく農業を目指しているという感じがある。代表者は橋本昭さんといい、30年以上まえからこの地で農業に取り組んでいる「その筋」では名の知られている人だ。その橋本さんを訪ねて先月末、アグロス胡麻郷へお邪魔した。「米ぬかペレット」についてお話を聞くためだ。

去年、田んぼを始めたとき、私たちは農薬(その代表が除草剤)を使うことなどまったく想定していなかった。深く考えもせず、あたりまえのように無農薬米づくりに突入していった。で、その結果、真夏の炎天干しの下、死ぬ思いで草(主にヒエとコナギ)を引くことになった(とりこと舎ホームページの「お米のできるまで」参照)。

去年、米を作ったのは3枚の小さな田(2畝、3畝、3畝の計8畝)で、2枚の田では爆発的に稗(ヒエ)・コナギが生えたが、1枚の田では手押し除草機を1回押しただけで、後はまったく草に悩まされることがなかった。2枚の田は前年まで除草剤を使った米づくりをしていて、1枚の田は10年近く耕作されておらず(つまり除草剤が投入されておらず)毎年生える雑草は年2回、草刈りがわりに鋤き込まれて「緑肥」になっていた。そうしたことを省察・検討して、今年の無農薬・抑草栽培の方針を「菜の花緑肥」と決めたわけだ。今年の田んぼは1反2畝に増えた。

前にも書いたが、鋤き込まれた菜の花(有機物)を分解するために大量の微生物が発生、その活動が土壌中を酸欠状態にし、かつ、有機物が分解される過程で生じる有機酸(酢酸、酪酸など)が雑草の発芽・成長を抑えるという仕組みだ。

だが菜の花も、種を播けばいつでもいっぱいに咲くというわけではない。湿害や冷害などで菜の花が十分に咲かなかった田には、補完的な有機物として米ぬか、くず米、油かすなどを投入してやらなければならない。で、菜の花発育不良の一部の田に米ぬかを投入したいと考えていたところに、アグロス胡麻郷が米ぬかをペレット状に加工し、抑草効果を期待して田んぼに投入している、との情報をキャッチしたのだ。

ペレットというのがまた魅力だった。米ぬかみたいなふわふわしたものを広い田んぼに均一に撒くのはさぞかし骨が折れるだろうなあと容易に想像がつくからだ。

で、アグロス胡麻郷に電話してみた。先方も田植え前の忙しい時期だったが、橋本さんが時間をとってくださった。

コーヒーをごちそうになりながら話が弾んだ。私たちのことも率直にお伝えした(お金がないということなど)。橋本さんは米ぬかペレットを15キロ、試供品として提供してくださった。ただしきちんとレポートを書いてください、と注文がついた。

これが米ぬかペレット。一粒が直径約5ミリほど。


5月24日に田植えした2畝ちょっとの田んぼを二つに区切って


その片方(約1畝)に米ぬかペレット10キロを撒いた(5月28日)。


もう片方には舎長の提案で、去年大量につくったもみがら燻炭を撒いた。


水面を覆った燻炭がマルチとなって雑草の発芽・生育を抑えるのではないか、と期待してのことだ。ナガちゃん(家主さん、80歳、生涯現役)も「おもしろい」と言ってくれた。

上から見るとこんな具合。私たちは「白田さんと黒田くん」と呼んで見守っている。(続く)




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薄播き疎植細植え遅植え(2)

2012年06月01日 | 田んぼ・野良仕事
地元の農協のリイチさんの好意で手に入れたトラクターと田植機で、今年は順調に代掻きも田植えも終えることができた、と書きたいところだが、実際にはいろいろ問題が起きて、来年の課題となったことも多かった。

まず代掻きだが、最大の反省点は、田んぼの均平が今ひとつだったこと。あまり掻き回しすぎてもいけないので、ある程度のところで「よし」とせざるを得ないのだが、まあ60点くらいのできかなあ。不満が残った。

代掻き中のわが勇姿、と言いたいところだが、後ろ姿にどこか元気がないよな。迷いがあるんだろうなあ。


ナガちゃんも忙しいさなか見に来てくれて、いろいろアドバイスしてくれる。アドバイスを受けて少しずつコツをつかんでゆく。これは本当に助かった。途中で「ロータリー(20本くらいのツメを回転させて土を耕す部分)の音がおかしい」と点検もしてくれた。スパナでツメを1本1本ゴンゴン叩くと3本ほど鈍い音がするツメがある。ボルトが緩んでいるのだ。レンチで締め付ける。こうしておかないと田んぼの中にツメを落としてしまうことがあるという。そうなったらまず発見できない。そして秋、刈り取り後の耕耘のとき運悪くトラクターが踏んづけるとパンクする。


田んぼを均一に平らにするのは、田植え後の深水管理のため。田植え後、7~10センチくらいの深水を20日間維持すると、田の草の主役中の主役である稗(ヒエ)が生育できない。菜の花の抑草効果と合わせて深水管理をおこなうことでその稗を放逐できる(はずだ)。が、田が均平でなく浅いところや土が見えているところがあると、そこをめがけて稗が湧いて出る。それで田の均平が重要になるのだが、今回は初めてのトラクターで、しかも今回初めて引き受けた田んぼもあり、今ひとつうまくいかなかった。代掻きが終わるころにようやくコツをつかんだが、米づくりは1年に1回しかできないので、後は来年だ。もどかしいが、この時間感覚になじむしかない。

代掻きが終わって2~3日、土が落ち着くのを待って田植えにかかる。今年最大のテーマは疎植と細植え。疎植とは苗と苗の間隔を広くすること。慣行農法(農協などが推奨する主流農法)では1平米あたり20株前後植えるが、それを10株ほどに減らす。そして1株あたりの苗の本数を1~2本の細植えにする。慣行農法では最低でも3~4本の太植えだ。苗の本数にすると慣行農法の半分の半分、つまり4分の1以下になる。当然、収穫量も4分の1になると思うでしょう?普通。それがそうはならないんです。疎植・細植えの苗は、密植・太植えの苗に比べ1本1本が何倍にも分けつ(株が分かれて増えていくこと)するので、結局収量はたいして変わらない(らしい)。遅植えにするのは寒さというストレスを苗にかけないようにするため。

わが参考書『痛快イネつくり』の著者、井原豊さんは、この疎植・細植え稲作を「基本的イネ権」を尊重する農法だと言う。その逆の密植・太植えの稲作に対しては「今の機械密植の稲作は、イネの持つ力を完全に封じ込めている。イネは分けつしたくてしたくて仕方がない。なのに過密ぎゅぎゅうづめにして、のびのびと育てさせない。いわば基本的イネ権の蹂躙である。籾一粒は基本的に、すこやかに自由に育つ権利を有するのだ」ときびしい。

で、田植えの結果がこれ


……
なんかなあ。
脱力するよなあ。
葉先の黄色いひょろひょろ苗が疎(まば)らに植わり、しかも欠株だらけ。基本的イネ権の尊重と力んだが、昔わが舎に訪ねてきた皮膚病にかかった禿げタヌキみたいじゃないか。
それにしても「全農 春風」よ。苗の掻き取り量を「最少」にしたら欠株だらけとはどういうわけだ。それほどまでにおまえは農協寄りなのか。リイチさんに掛け合って来年の田植えまでにはどげんかしてもらおう。

というわけで、不完全燃焼気味に今年の田植えが終わった。とはいえ、田植えは1年の田んぼ仕事のなかで稲刈りと双璧をなすハレの日。舎長の友人のケイコさんがお昼ご飯を持って応援に来てくれた。ナガちゃんの奥さんのフミエさんも朴葉(ほおば)に包んだ豆ご飯を差し入れてくれた。写真の右上にちらりと見えているのがそれ。このあたりでは田植えに朴葉メシを差し入れるのが習わしらしい。田植えのすんだ畦道でみんなで食べた。おいしかった。感謝の気持ちを、来年への取り組みに生かしたい。


追伸

山下惣一という農民作家がいる。名前だけは知っていたが作品を読んだことはなかった。去年、雑誌の書評で紹介されていて興味をひかれ、『減反神社』という作品集をネットの古本屋で購入して読んだ。1981年に出た本だ。野坂昭如氏がまえがきを寄せていて、「『ついに山下出づ』といった印象」「なによりおもしろい」「モーパッサン、ゴーゴリ、チェーホフに匹敵する傑作」と絶賛している。そこまで言うか、と思いながら読みはじめたが、「なによりおもしろい」。

その作品の中で村の婆ちゃんが「百姓は、来年は来年は、でやり暮らす」とつぶやく場面がある。
百姓というのは失敗あるいは天候不順などで作物のできが悪くても、「もういやじゃ」「もうやめや」とは言わないもの、逆に「来年はああしよう」「来年こそはうまくやるぞ」と考えるもの、という意味だ。「百姓の来年」ともいう。この言葉、よくわかる。

見てろよ~。来年はもっとうまくやるぞ~!。
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