自分探し

2009年08月17日 | ショートショート

目が覚めると車の中、ここがどこで自分が誰なのか、全く記憶がなかったのです。
駅ビルの地下駐車場に停めた4WD車の運転席に座っていました。バックミラーを覗くと、見知らぬ男の顔です。これが私?
ダッシュボードを覗くと思ったとおり運転免許証がありました。さっきの男、つまり私の顔写真、そして名前。
タニグチタカオ・・・それが名前のようです。
助手席に置かれたジャケットから財布や鍵束などを取り出すとポケットに突っ込んで、私は車外に出ました。

とりあえず、今できることは?・・・私はその足で医者に行きました。頭を打つなりして突然記憶喪失になったのなら、もう一度頭をトンカチで叩いたり、注射一発打ったりしたら、突然記憶が戻るのでは・・・そんな漫画みたいなことを思ったのです。医者は「全生活史健忘型記憶喪失」というもっともらしい診断を下しただけでした。自分探しは自分でする以外ないようです。

それで、免許証の住所、たぶん私の自宅へと行きました。案の定、鍵束の鍵で玄関を開けることができました。
リビングを物色すると、私の顔写真を表紙にしたビジネス誌が数冊見つかりました。どうやら私、谷口孝雄はフランチャイズ店を全国展開する青年実業家のようです。サイドボードに置かれたフォトフレームを手にとると、美女が寄り添う私の写真です。雑誌によると、モデルのその女性と私は相当親密なようです。
それが自分のことだとまだ信じられません。すべての記憶を失って数時間後に、有り余る財産ととびきりの美女を手に入れた訳です。私は高級洋酒をグラスに注ぎ、わが人生を祝福しました。

そうと来ればやはり女です。美女から甘い言葉を囁かれたい。あわよくば自宅に招いて抱擁したい。そんな欲求を抑えきれず、私は携帯電話を取り出しました。よほど惚れ込んでいたのでしょう、短縮の1番に彼女の番号が入っています。早速、かけてみました。
おや?呼び出し音が家のどこかから聞こえます・・・彼女は近くにいるのでしょうか?
私は、耳を欹てて家中を探し回りました。見つかりません。

呼び出し音の聞こえる場所は下からです。地下から・・・。
書斎の隠し扉の奥に地下室のドアを見つけました。
そして地下に降りました。よせばよかったのに。

地下の光景は地獄でした。理科室のように密閉ガラス容器に液浸標本が並んでいました。中身は、獣や爬虫類などではありませんでした。恋人の携帯が鳴っている作業台の上に、私の秘密の備忘録がありました。私は連続猟奇殺人犯でした。実業家として成功して眩しい光を浴びれば浴びるほど、心の闇の部分は影を濃くしていったようです。
そして、偶然地下室の秘密を知ってしまった最愛の恋人さえ切り刻んでしまいました。
これが私?・・・こんな、こんな自分はいらない・・・

その数時間後、私は備忘録にメモされていた、駅近くの古ぼけたビルの一室を訪れました。
そこでは、認可されていない医療・・・人の記憶を消す治療をしているのです。
契約書を書いて相当な金額を支払うと、早速、装置を頭部に着けられました。

装置が作動すると、私の頭の中で聴力検査のような高音低音が重なり合い次第に大きくなります。
ふと気になって、目の前の男の腕をつかみました。
「おい、これで何回目だ?」
男は肩をすくめました。
「それはお教えできません・・・何度言えばわかるのですか?」
ジャンル:
小説
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4 コメント

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忘却 (hiro1468)
2009-08-17 12:12:44
げぇ!?
猟奇的殺人犯が自分のやったことに嫌で、記憶を忘却……
たしかに記憶がないなら精神分析や嘘発見にも
ひっかからない……
そういう事よりも自分の心に傷が付いた……

何通りにも読み取れるお話でしたね
hiro1468さんへ (矢菱虎犇)
2009-08-17 13:19:53
最初の絵は「クラインのつぼ」という表裏がループしている立体なんですけど、「メビウスの輪」にしても永遠にループしてしまう訳で、そんな繰り返しが怖くなってくる感じの話を考えてみました。
ただ、あれですね。最近巷で馬鹿騒ぎの事件を見ると、失踪中に携帯電話の電源を入れたら、全国どこでも場所が特定できちゃうらしいじゃないですか。
もし美人モデルが行方不明になったらすぐ交際相手が疑われるだろうし、携帯が地下室にあるのが特定されるだろうし、ループは成立しませんね・・・なんて一人ツッコミしちゃいますけど、
まあ、お話として楽しんでくださいませませ。
クラインの壺ですね (ヴァッキーノ)
2009-08-17 18:40:36
このお話は、広げようと思えばどこまでも広げられそうな感じですね。
ハードボイルドな雰囲気で。
トータルリコールのような、未来チックな
不気味さを感じますね。
ボクは極度の方向音痴なので、
何度同じ道を通っても、迷います。
記憶喪失ってそんな感覚なんでしょうか?

クラインの壺って貴重なネタですよねえ。
ボクも使わせてもらおうかと思うんですけど。
ヴァッキーノさんへ (矢菱虎犇)
2009-08-17 21:05:13
いやあ、鋭いなぁ!
これ書いているうちに、もう何十年も前に読んだL・ロン・ハバードの「フィアー(恐怖)」のバリエーションじゃないか!って気がつきました。
「私」の経験をもっと見たままリアルに描いていけば、ちょっとした中編小説になりそうな題材だなぁ・・・そんなこと内心思いながら書いていったんですよ~、自分も!

クラインの壺、使ってください。壷の共有は尿瓶の共有と違って問題ありません。
クラインの壺アンソロジーを編みましょう!

ああっクラインの尿瓶・・・排泄物の流動を考えると使いたくないですねぇ・・・

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