わたしが子どもだったころ。
岡本の姉ちゃんの、肩かけスカートがあこがれでした。
わたしたちはといえば、足首をゴムでしめた、花柄のネルのもんぺをはいていましたから。
もう小学校に上がってらした岡本の姉ちゃんの家は宮司さんでお金もちで、
それは立派なおひな人形が飾ってありました。
お座敷に置かれた石油ストーブのチンチンいう音と灯油のにおい、まぶしいくらいに赤いもうせんの八段かざり。
それらがどんなにうらやましかったでしょう。
うちのかびくさい蔵の茶箱に収めたおひな人形は、蔵と同じにおいがしました。
黄ばんだ和紙に包まれた古びた人形を小さなシワくちゃの手で包むみたいにして、おばあちゃんが言いました。
「おひなさまも雛子のこと大好きだとおっしゃっとるじゃね」
でも、くすんでお召しのほつれたおひなさまをわたしは好きになれませんでした。
あなたたちさえいなければ。
おひなまつりが近づいてきた寒い日に、おかあさんがうれしそうに言いました。
「雛ちゃん、今年から新しいおひなさまよ。おばあちゃんが買ってくだすったのよ」
わたしはおおよろこびでした。
新しいお人形は、きれいなきれいなお人形でした。型はめで目鼻のととのった、それはりっぱなお人形でした。
その晩、夢を見ました。
おばあちゃんと二人で畦を歩いていくと、とつぜん目の前に海が広がりました。
大きな大きな海でした。息をのんだままで胸が痛くなりました。
群青に銀で描いた扇を重ねたような波模様が天の果てまで続いていました。
おばあちゃんは懐から古くなったおびなとめびなを取り出すと、
海にそっと流しました。
するとどうでしょう。
群青に浸したとたん、おびなもめびなもお召しものがあざやかによみがえったのです。
もえぎ、るり、こがね。
十二単が極彩色の千代紙をまきちらしたように、みずみずしく目にしみました。
わたしはこのかた、夢にもうつつにもこんなに美しい色を見たことがありません。
それは、おばあちゃんの目に見えていたままの、おひなさまだったにちがいありません。
わたしはおばあちゃんの手をつよくつよくにぎりました。
「おひなさまも雛子のこと大好きだとおっしゃっとるじゃね」
おばあちゃんもつよくつよくにぎりかえしてくださいました。
その年に、おばあちゃんは亡くなりました。
おばあちゃんのお葬式の日、おかあさん手縫いの肩かけスカートを初めてはきました。
(最後まで読んでいただいてありがとうございます。バナーをクリックしていただくと虎犇が喜びます)
このお雛様は、きっとおばあちゃんが生まれたときに買ってもらったお雛様だったのでしょうね。
お願いします。
これはちょっと自分にないものをツクッちゃった文章なんで、恥ずかしさひとしおですけど(照)
小学1,2年くらいの子の作文みたいで。
昭和初期の感じでしょうか。
お雛様に憧れる女の子。優しいおばあちゃん。
ステキな話ですね。
私はお雛様を買ってもらえなかったので、この子の気持ちがわかります^^
この波の模様「青海波」ですね。
「青海波」という言葉は、「ゲゲゲの女房」に出てきて初めて知りました。
この日本の様式的な模様が背景になった夢。
映像的にも美しいですよね。
ひなまつりのおはなしをかくんですから、
みやびにたおやかに、にあわないかんぢでかいてみますた(わらひ)