人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ヒッチコック「見知らぬ乗客」「私は告白する」を観る~新文芸坐「ワーナー・ブラザース シネマフェスティバル」

2017年10月10日 07時54分18秒 | 日記

10日(火).わが家に来てから今日で1105日目を迎え,与野党8党首が8日,10日公示ー22日投開票の衆院選に向けて日本記者クラブ主催の党首討論会に臨んだ というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     いったいどの党が1000兆円もの国の債務の解消を真面目に考えているんだ?

 

                                           

 

昨日の夕食は久しぶりに「すき焼き」にしました   わが家の「すき焼き」の食材は,牛肉,シラタキ,ネギ,玉ねぎ,シイタケ,シメジ,焼き豆腐です

 

     

 

                                           

 

現在 池袋の新文芸坐では「ワーナー・ブラザース  シネマフェスティバル  パート3」を上映中です 昨日,アルフレッド・ヒッチコック監督「見知らぬ乗客」と「私は告白する」の2本立てを観ました

 

     

 

「見知らぬ乗客」は1951年製作のアメリカ映画(モノクロ,101分)で,女流作家パトリシア・ハイスミスの原作から探偵作家レイモンド・チャンドラーと,ツェンツィ・オルモンドが共同脚色しています

アマチュア・テニス選手のガイ・ヘインズは列車内でブルノ・アントニーと名乗る青年から交換殺人を持ち掛けられる   なぜかブルノはガイが妻ミリアムと不和になりモートン上院議員の娘アンと結婚したがっていることを知っていた   ガイは彼を相手にせず別れたが,列車内にライターを置き忘れてしまう.ところが,ブルノは遊園地でミリアムを勝手に殺害し,彼にも自分の父親の返礼殺人を履行するよう迫ってくる   フォレスト・ヒルの試合当日,ガイはブルノがライターを犯行現場に置いてくる計画を立てていることを知る   ガイはそれを阻止すべく相手を打ち負かし試合を早く終わらせる.そしてブルノを追って遊園地までタクシーで赴く.ガイはブルノを追い詰めるが,ブルノは回転木馬に逃れる.警官の発砲した銃弾が誤って係の男に当たったため回転木馬は制御が効かなくなり高速で回転し始める   二人はその上で死闘を繰り広げ,ガイは外へ放り出され,ブルノは下敷きになってしまう.その手にはガイのライターが握られていた

 

     

 

まず驚くのは「長いお別れ」でお馴染みのレイモンド・チャンドラーが脚色に加わっていることです   彼の参加によりストーリーに深みが増しています   フォレスト・ヒルでのテニスの試合は,「スピード・テニス」時代の現代からすると,いささかノンビリしたラリーに見えますが,当時は壮絶なラリーだったのでしょう   試合が繰り広げられている間,ブルノは人とぶつかってライターを側溝に落としてしまい,何とか手で掬い上げようと奮闘しているわけですが,双方のシーンを交互に映し出す映像は手に汗握ります   こういうところはヒッチコックならではでしょう   ヒッチコックと言えば,監督本人がちょい役で出演することがママありますが,この映画でも,ガイが列車から降りる時に,入れ替わるように,大きなコントラバス・ケースを抱え,ガイに一瞥をくれて列車に乗り込んでいます

 

                                           

 

「私は告白する」は1953年アメリカ映画(モノクロ,95分)で,ポール・アンセルムの戯曲を映画化したものです

カナダのケベックの教会で,マイケル・ローガン神父は神父館で雑用係として働くオットー・ケラーから,生活苦の末,強盗を働き弁護士ヴィレットを殺害したという告白をする   ラルー警視が捜査に乗り出した.目撃証言によると犯人は僧衣をまとっていたという.ケラーは犯行時に僧衣をまとっていたので神父のマイケルに疑いがかけられる   しかし,聖職にあるマイケルは職業倫理から告白の内容を決して漏らそうとしなかった   しかし,犯行の夜,マイケルが国会議員ブランドフォードの妻ルースと逢っていることが判明し,ますます心証が悪くなった.ルースはマイケルとの過去のいきさつを述べ,彼の無実を訴えるが,大衆は納得しなかった   事件の真実を知るケラーの妻は良心に耐えかねて真相を暴露しようとしたが,ケラーに銃で殺されてしまう   ラルー警視はケラーが事件に関与していることを悟り,ケラーを説得しようとするが,逆上したケラーは自らの罪をラルーの前でぶちまけ,マイケルに拳銃を向けた.しかし,ケラーは警官の銃弾に倒れた

 

     

 

この映画を観て思ったのは,もし自分が聖職者で,誰かから「殺人を犯した」と懺悔され,身に覚えのない罪で自分自身が問われたらどうするだろうか,ということです   「聖職者は懺悔の内容を外に洩らしてはならない」ということは理解できます   もし簡単に洩らしたら教会の権威が地に落ちるからです.しかし,自分の命に代えてでも守らなければならない「他人の懺悔」などあるのだろうか,とも思います

世の中には多くの聖職者がいらっしゃいますが,こういう時どういう対応を図っているのか知りたいところです

 

     

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