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クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

欧州の音楽評論家のレベルは?~「ぶらあぼ」から / 柚月裕子著「パレートの誤算」を読む~社会福祉の闇に迫る渾身の小説

2017年06月19日 07時54分40秒 | 日記

19日(月).最初に訂正をいたします  昨日のブログで読売日響のコンサート評を書いた中で,チェロの富岡廉太郎氏を東京シティ・フィルの客員首席奏者と書きましたが,ブログネーム=ともさんから,同氏は昨年度で同フィルとの契約が切れ,4月から読響の首席チェロ奏者(契約団員)となった旨のご指摘がありました.読響6月号のプログラムにもその旨の記載がありました

また,同じブログの中で,フルート奏者が日本人でなかったことについて,指揮者のシモーネ・ヤングが連れてきたのかも知れない旨を書きましたが,ブログネーム=ままははさんから,読響の新人だというご指摘があり,プログラムで確認したところ契約団員フリスト・ドブリノブ氏(首席フルート,6月14日~)であることが分かりました

ご指摘いただいた ともさん,ままははさん にあらためてお礼を申し上げ,以上の通り訂正させていただきます

ということで,わが家に来てから今日で992日目を迎え,静岡県の伊豆半島沖で17日午前1時半頃,米海軍横須賀基地に配備されているイージス駆逐艦フイッツジェラルド(8315トン,全長154m)と,フィリピン船籍のコンテナ貨物船ACX CRYSTAL(2万9060トン,全長222.6m)が衝突し,イージス艦は右舷の真ん中付近を大きく損傷したというニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       北朝鮮のミサイル攻撃を心配する前に コンテナ船に気を付けてないと危なくね?

 

                                           

 

クラシック音楽無料情報誌「ぶらあぼ」で連載中のコラム「気分はカプリッチョ」が7月号で「欧州の音楽評論家のレベルは?」という興味深いテーマを取り上げていました  筆者の城所孝吉さんは1970年生まれ,90年代からドイツを拠点に音楽評論家として活躍された経歴の持ち主です  彼の持論を超訳すると

「ヨーロッパの音楽批評のレベルは決して高くない.ジャーナリストの政治的な手腕は非常に優れているが,音楽自体についての知識は比較的貧困だと感じる  日本の批評家や聴衆の方がずっと高水準だと思う  日本人批評家が演奏会やCDを批評する場合,作品を隅から隅まで知り尽くしていると考えて まず間違いない.重要曲ならば,大抵の人がCDを聴き続け,様々な解釈の違いも含めて,水準以上の理解を持っているからだ  同様のことは,聴衆にも当てはまる.日本のファンは,好きな曲ならば録音を聴いて究めるという人が多い.ところが,ヨーロッパ,あるいはドイツの批評家は,そこまで作品を知らない  特にシンフォニーについての知識はあまり高くない.なぜそれが分かるかというと,彼らの文章に作品へのこだわりが感じられないからだ.例えばブルックナーの場合,版の問題が批評で話題になることはまずない.本当に好きならば「第8番はハース版でやってほしい」等の意見が出てくるはずが出てこない  なぜ作品理解が浅いかというと,彼らが原則的にライヴ志向だからだ.ドイツなどでは比較的安い料金で一流の公演を聴くことができる  それゆえ,録音をなめるように聴かなくても,十分に満足できる環境が整っているのだ.特に音楽評論家になるような人は,学生の頃からライヴを追いかけるので,CDを聴き込むステップが抜け落ちてしまう.結果的にあまり”勉強”しないまま,次に『第8番』のライヴで聴ける機会がやってきてしまうことになる   要するに彼らは恵まれすぎなのだ.ヨーロッパの批評家の書くこと,とりわけ演奏の評価については,われわれが特にありがたがる必要はないように思う

なるほど,と思いました  その一方で,ヨーロッパ諸国とは違い,日本ではコンサートのチケット代が高すぎるので,なかなかライヴ志向になりにくい環境にあると思いました  私の場合はお金の問題に加えて時間の制約の問題もありました.若い頃,特に働きながら家事も育児もこなさなければならなかった時期は,なかなかコンサートに行く暇がありませんでした  したがって いつでも聴けるCDの鑑賞が中心になっていました  その結果がLPレコード2000枚(500枚手放したので現在は1500枚),CD4000枚に積み上がり,現在も増え続けているわけです

 

     

 

                                           

 

柚月裕子著「パレートの誤算」(祥伝社文庫)を読み終わりました   柚月裕子は1968年岩手県生まれ.2008年「臨床真理」で第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー,13年「検事の本懐」で第15回大藪春彦賞を受賞しています

 

     

 

牧野聡美は大学で社会福祉を学び,専門の資格を持っているが,臨時職員として市役所で配属されたのは社会福祉課の生活保護担当だった   生活保護者にはケガや病気で働くことが出来ない人もいれば,お金が入るとパチンコ屋通いをする者もいる.ケースワーカーは生活実態の異なる受給者たち一人一人に,事情に応じた対応を図らなければならない   ある日,職務に熱心なベテランケースワーカーの山川が,訪問先のアパートで起きた火災の焼け跡から撲殺死体として発見される   牧野聡美は彼の後を継ぎ,生活保護受給者を訪問し支援をすることになる.聡美は需給者たちを訪ねるうちに山川がヤクザとつながりがあったのではないかと疑いを抱くようになる   疑問を解くべく同僚の小野寺とともに調査を始めるが,知り過ぎた彼女に危険が迫っていた

この作品の標題「パレートの誤算」ですが,パレートというのは1848年生まれの経済学者・社会学者ヴィルフレド・パレートという人の名前です   本分の中で「パレートの法則」として紹介されているのは,「イタリアの経済学者が発見した統計モデル」で,「80対20の法則とも呼ばれている法則で,ある分野における全体の約8割を,全体の一部である約2割の要素が生み出しているという理論」「社会経済だったら,全体の2割程度の高額所得者が社会全体の8割の所得を占めるとか,マーケティングだったら,2割の商品が8割の売り上げをあげる」というものです

この理論を勝手に解釈すると,その2割以外は不必要な存在だと早合点する人も出てきて「社会的弱者は切り捨てる」という理論につながりやすいのですが,この小説の終盤で聡美が,安易な弱者無用論に傾きがちな風潮に異を唱える学生の論文に共感を覚えたように,決して8割の人を切り捨ててよいわけではないのです   「残り8割もそれなりに役立っている」・・・これが「パレートの誤算」の意味でしょう

この小説では,生活保護者の実生活や,不正受給の実態など,貧困ビジネスをめぐる現況にも警鐘を鳴らしています   社会福祉に目を向ける啓発書としてお薦めします

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