人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

道尾秀介著「笑うハーレキン」を読む/「限界芸術論」「西方の音」他を買う

2016年05月01日 09時08分18秒 | 日記

5月1日(日)。油断していた訳ではないのに、とうとう5月に入ってしまいました 一昨日からモコタロが食欲不振で元気がありません 動物病院で診てもらうことになりましたが、”飼い主”である娘が 1泊で遊びに行くので 代わりに弟に病院に連れていくように指示していました。随分自分勝手な言い分ですが、昨日は息子が幸い大学に行かなくても良い日だったので娘の代わりに行くことになりましたが、途中で暴れたりしたときに困るし、診療費面の心配もあったので私もついていくことにしました 娘が夕方の5時半に巣鴨の隣の駒込にあるM動物病院に予約だけ入れていたので、移動用キャリーバックにモコタロを入れてJRに乗って連れていきました。1時間も待たされて、やっと診療になりましたが、結局 食欲を促進する薬を点滴注射で入れてもらい、飲み薬をもらって帰ってきました 診療代はいくらだったと思いますか? 初診とはいえ、何と7,938円ですよ、奥さん 当然 娘に請求しますけどね

ところで、待合室で待っている間、すぐ前に座っている女性が、40センチくらいあるトカゲ(イグアナっぽい)を3匹も連れてきていて、頬ずりして可愛がっているのには閉口しました ペットには違いありませんが、あまり気持ちの良いものではありません ということで、わが家に来てから581日目を迎え、病院から帰ってきてゲージの中でおとなしくしているモコタロです

 

          

 

  閑話休題  

 

本を5冊買いました 1冊目は鶴見俊輔著「限界芸術論」(ちくま学芸文庫)です。これは朝日新聞で紹介記事を見ました

 

          

 

2冊目は五味康祐著「西方の音」(中公文庫)です 五味康祐は「柳生武芸帳」などの剣豪小説で有名な小説家ですが、もっと有名なのはオーディオに対する異常なまでの追求心です

 

          

 

3冊目は清水ミチコ著「主婦と演芸」(幻冬舎文庫)です。清水ミチコを知らない人はいないでしょう。物まねのあの人です 三谷幸喜との共著「むかつく二人」だったか「いらつく二人」だったか「かみつく二人」だったか「たてつく二人」だったかを読んで、抱腹絶倒だったので、思わず手に取ってしまった本です

 

          

 

4冊目は中山七里著「追憶の夜想曲」(講談社文庫)です。中山七里の作品はこのブログでも何冊がご紹介しましたね。「さよならドビュッシー」の作者です

 

          

 

5冊目は相場英雄著「共震」(小学館文庫)です。相場英雄の作品は、このブログで狂牛病をテーマにした「震える牛」をご紹介しました

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

道尾秀介著「笑うハーレキン」(中公文庫)を読み終わりました 道尾秀介は1975年生まれで東京出身。2004年に「背の眼」でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、作家としてデビューしました その後、「シャドウ」「カラスの親指」「龍神の雨」「紅媒の花」「月と蟹」などで様々な文学賞を受賞してきました。当ブログでも何冊かご紹介しましたね

 

          

 

東口太一は家具職人だったが、経営していた会社が倒産し、家族を失ってしまった 川辺の空き地で、トラック1台を寝床にしてホームレスの仲間たちと”出張家具職人”として暮らすようになったが、彼の悩みは他人には見えない”あいつ”(疫病神)が常に付きまとい 声を掛けてくることだった そこに謎の女・奈々恵が転がり込んできた。ある日、仲間のジジタキさんが川底で死体となって発見された。自殺か?あるいは誰かに殺されたのか? その頃、奇妙な家具の修理依頼が飛び込んできた。東口は目隠しをされて依頼主の邸宅に赴く。そこにはある企みが隠されていた

ハーレキンとは道化師のこと。奈々恵と東口との会話でその話が出てきます

「あれはピエロではなく、ハーレキンだそうですよ」

「道化師か」

「道化師(ハーレキン)の顔に涙のマークを描くとピエロになるようです。本当かどうか分かりませんが、みんなに馬鹿にされながら人を笑わせているけれど、じつは哀しみを抱いている、という意味だとか -いずれにしても、ピエロも道化師も、素顔がまったく見えません。だから人によっては怖がるんだと思います とくに子供は」

著者は語ります

「自分を守るため、誰かを守るため、みんな懸命に素顔を隠して生きている。そうして人の顔や心を鎧っていたものが、あるとき剥がれ落ち、内側がむき出しになったとき、東口が疫病神と名付けたものが貌を持ち、言葉を騙る 道化師たちを操ろうとする。だから人はいつも、仮面が剥がれてしまわないよう、自分の顔に押し付けながら暮らしている。どうしたって、それを被って生きていかなければいけない-- ただ -- どうせ素顔を覆うなら、笑顔で覆ったほうがいい

そう、作者が言う通り、誰もが仮面で素顔を隠して生きていると思います。それは自己防衛と言っても良いかもしれません 仮面を取って 思ったことを正直に言ったときに予想される反感や摩擦を避けるためです。それでも、人は、時に仮面を取り外して正面から相手に対峙しなければならなくなるときがあります。そういう時に、笑顔で対することができたら良いですね。それには心に余裕が必要です

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする