さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

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選挙が終わって 国民の責任

2017-10-23 12:50:50 | 社会・経済
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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


衆議院選挙が終わりました

良かったな、と思えることもありますし、残念だ、と思う気持ちもあります


さて、今日は日本人として

『国民の責任』

ということについて、高森明勅さんが京都帝国大学法科大学教授、佐々木惣一さんの

「一票の投げ所」と

いう論説をご紹介していらしたのでそのまま投稿してみます

大正4年(1915年)100年以上も前に書かれた論説です


(『立憲非立憲』講談社学術文庫より)


『形は他人の事のように見えて、 実は自分の事である場合が、世の中に多い。 選挙は正しくそれであ

 る。 国民は近来代議士を罵(ののし)り、 又(また)候補者の下劣を嘲(あざけ)ること甚(はな

 は)だしい。 代議士の腐敗も候補者の下劣も事実であろう。 併(しか)し翻(ひるがえ)って考うれ

 ば、 代議士の腐敗は、実は之(これ)を代議士たらしめた国民の腐敗に基(もとづ)くことが多い。

 又下劣な者が敢(あえ)て候補者に立つのは、 従来国民が下劣なものを選挙し来(きた)ったからで

 ある。それ故に吾々(われわれ)国民は徒(いたず)らに代議士の腐敗や候補者の下劣のみを責むべ

 きではなく、 寧(むし)ろ自らを責むべきである。…現今(げんこん)我が国民は一般に他を責めて

 自分を責めないと云う風がありは しないかと考える。そして、之が立憲政治の実現せられない根本の

 理由だと思う。…それ故に、候補者の顔触(かおぶれ)を良くする為には、 先ず選挙人自ら覚醒せね

 ばならぬ。そこで…候補者の優劣の問題と共に、 選挙人の覚悟の問題が起(おこ)るのである』




わが身にあてはめ、大変に考えさせられる論説でありました…



御免!
コメント (2)
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