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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その202 『江ノ島』 その1

2017年06月15日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
久し振りに江ノ島を訪問しました。
いままで、何回も江ノ島へ出かけているのですが、横浜から車で出かけていたので、江ノ電の江ノ島駅で降りたのは生まれて初めてです。



江ノ島は相模湾に浮かぶ島で、境川の土砂によって、片瀬海岸とつながった陸繋島です。
また近江竹生島、安芸の宮島と並ぶ三大弁財天の一つです。



この大きな石灯篭は以前から在ったのかな?
ちょっと記憶にないような気がします。



江ノ島の名勝と書かれた史蹟石は記憶にあります。



昔の記憶をたどり、トッポがここで記念撮影した写真を見つけました。
10年近く前で、手術後のリハビリ中なので、バッグの中に入れて移動した頃です。



周囲4km、標高60mほどの陸繋島、江ノ島に架かる橋は2つあり、江ノ島弁天橋(歩行者用)と江ノ島大橋(自動車用)です。
当初の予定は、江の島弁天橋の中腹から稚児ヶ淵までをつなぐ遊覧船に乗る予定でしたが、猛烈な強風で橋は砂嵐状態で、遊覧船も欠航でした。
稚児ヶ淵の海蝕洞「岩屋」を訪問しようとしていたのですが、急遽予定変更せざるをえません。



江ノ島な反対側の稚児ヶ淵は、海蝕崖に囲まれた険阻な地形で、海蝕洞「岩屋」は、古来宗教的な修行の場でした。
奈良時代には役小角が、平安時代には空海、円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられています。



葛飾北斎『富嶽三十六景』より相州江の島です。
ウィキペディアの情報です;1182年(寿永元年)に源頼朝が奥州藤原氏の調伏祈願を行うために、文覚もんがくの勧めで弁財天を勧請しています。1216年(健保4年)の正月、地震が発生して江ノ島が陸続きになり、干潮時に歩いて渡れる様になったと言われています。以来、人々は干潮時には歩いて渡り、満潮時には「渡し舟」か「人足」が背負って渡っていました。
以来、江ノ島が陸続きとなったことをきっかけに、将軍をはじめ武家の信仰を集めるようになりました。
江の島が干潮時に歩いて渡れる様になったのは建保4年(1216)だと言われています。
その後長く干潮時には歩いて渡り、満潮時には渡し舟か人足が背負って渡っていました。



江ノ島海岸は人気の海水浴場ですが、ウィンドサーフィンやサーフィンといったマリンスポーツも盛んな所です。
これは逆に考えると波や風が強いということです。



1964年に開催された東京大会で、江の島はヨット競技の会場となりました。
当時は学生だったのですが、ヨットと呼んでいて、2000年のシドニー大会から「セーリング」という名称に変更されたそうです。



せっかく来たのだから、歩いて稚児ヶ淵に向かうか考えましたが、トッポママのやめた!で中止になりました。



鎌倉、江ノ島は美味しいものの宝庫で、新鮮な魚介類を焼いていて食欲をそそる風が漂っています。



続く..........................................................。
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