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NHK大河ドラマ『風林火山』 あらすじ&雑感⑤

2007年09月17日 14時54分17秒 | 芸能・スポーツ
【本文】
現在、NHKで放送中の大河ドラマ『風林火山』についての雑感です。ドラマを見た感想などを、思うがままに綴っています。

【キャスト】
★武田家・・・市川亀治郎(武田家当主・武田晴信)、柴本幸(由布姫 晴信の側室)、池脇千鶴(三条の方 晴信の正室)、風吹ジュン(大井の方・晴信の母)、武田太郎(木村了)、於琴姫(紺野まひる)、武田信廉(松尾敏伸)
★武田家家臣・・・内野聖陽(山本勘助 武田軍軍師)、千葉真一(板垣信方・死亡)、竜雷太(甘利虎泰・死亡)、田辺誠一(小山田信有)、高橋和也(馬場信春)、高橋一生(駒井政武)
★信濃先方衆・・・佐々木蔵之介(真田幸隆)、近藤芳正(相木市兵衛)
★真田家・・・清水美沙(忍芽)、真瀬樹里(葉月)
★反武田の武将等・・・永島敏行(村上義清)、谷原章介(今川家当主・今川義元)、伊武雅刀(雪斎、今川家軍師)、松井誠(北条家当主・北条氏康)
★越後(上杉家)・・・Gackt(ガクト)(越後守護代・上杉謙信(長尾景虎))、西岡篤馬(長尾家家臣・直江実継)、宇佐美定満(緒形拳)
★その他・・・佐藤隆太(矢崎平蔵)、水川あさみ(ヒサ)、岡崎諦(矢崎十吾郎)、真木よう子(美瑠姫・小山田信有の側室)

▼第37話:「母の遺言」(9/16放送) 
▽満足度:☆☆☆☆
▽年代  天文21年(1552)
▽あらすじ
 自らの死期を悟った大井夫人(風吹ジュン)は初めて勘助(内野聖陽)を呼びつけ、晴信(市川亀治郎)の行く末を託す。
 同じ頃、関東管領・上杉憲政(市川左團次)は新興の北条氏康(松井誠)に追い詰められていた。家老・長野業政(小市慢太郎)の進言に従い、憲政は長尾景虎(Gackt:ガクト)を頼って越後へ落ち延びることを決意する。
 いよいよ関東制覇を目前とする氏康の元を勘助が訪れた。武田・今川・北条の三国同盟を結ぶよう打診するためだった。
 そこへ憲政の家臣・妻鹿田(田中実)が憲政の嫡男・竜若丸を人質に寝返りを申し出てきた。敵ながらその裏切りに憤った氏康は竜若丸に本懐を遂げさせて、義を守ることをわが子・新九郎(早乙女太一)に教え、妻鹿田らを処刑する。
 越後に落ち延びた上杉憲政は、景虎から息子の死を聞かされる。愕然とする憲政に対し、景虎はその無念を晴らすことを約束する。
 甲斐に戻った勘助は、晴信の娘を北条家に嫁がせるよう進言する。政略結婚を積み重ねることで三国の同盟を成立させるのが勘助の策だった。飯富(金田明夫)はこの同盟が将来破棄された場合、今川の娘と結婚する嫡男・太郎の立場が悪くなるのではと危惧する。大井夫人もかつて晴信が父・信虎と対立したように親子が争うことを恐れていた。
 天文21年5月、最期まで武田家の行く末を案じながら大井夫人はこの世を去った。

▼第36話:「宿命の女」(9/9放送) 
▽満足度:☆☆☆☆
▽年代  天文20年(1551)冬~21年正月
▽あらすじ
 晴信(市川亀治郎)の新しい側室・於琴姫(紺野まひる)を由布姫(柴本幸)のために斬るつもりで勘助(内野聖陽)は姫の住まう積翠寺を密かに訪れた。しかし、その天真爛漫な美しさを前に殺意は薄れ、由布の子・四郎の立場を尊重するように釘をさすことしかできなかった。
 大井夫人と対面した由布姫は、「武田の側室になろうとも、決して武田に屈しない気高き心をこれからも持ち続け、その姿を諏訪の民に見せることが、あなたの使命だ」と言われる。晴信の寵愛を失い、生きる道を見失っていた由布姫は、涙を流す。
 一方、今川義元(谷原章介)に嫁いでいた晴信の姉が世を去ったことで武田と今川は同盟を維持するため新たな縁を結ぶこととなった。勘助はこれまでとは逆に、今川家の娘を晴信の嫡男・太郎の嫁に迎えるよう進言する。娘を今川家に出さずに済むため、晴信は前向きに考えるが、これには四郎を武田の跡取りにしたい勘助の意向が隠されていた。
 今川家では、予想だにしない武田家の申し出に驚いていた。「侮りおって」と憤る義元に対して、雪斎は勘助の策謀ではないかと訝る。
 年が明けた天文21年の正月、武田家を揺るがす大事件が起きた。重臣・小山田(田辺誠一)が側室・美瑠姫(真木よう子)に刺殺されたのだ。美瑠は武田に滅ぼされた笠原清繁の正室であったが、小山田が貰い受けて側室としていた。美瑠が自害もせずに側室に甘んじていたのは、お腹に笠原の子を宿していたからだった。しかし、小山田の子と偽り育ててきた息子を病いで失い、生きる希望を失った美瑠は自分から全てを奪った武田への復讐心を甦らせ、小山田を殺し自らの命も絶った。
 美瑠の境遇は由布姫と重なり合う点も多く、自分の子ではないと知りつつも、自分の子として育てる決意をしていた小山田に、勘助は共感していた。それだけに、勘助の受けた衝撃は大きかった。
 ◆雑感
・「武田家中における勘助のライバル」という存在だった小山田信有が、こうもあっさりと死んでしまうとは、意外かつ残念です。ドラマでは側室の美瑠によって寝首を掻かれて死んだ事実を伏せて、戦死と発表すると言っていたが、ウィキには「1550年の村上義清との戦い(砥石崩れ)で重傷を負い、それが元で1552年に死亡。葬儀には多くの人が参列したという。」と書かれていました。

▼第35話:「姫の戦い」(9/2放送) 
▽満足度:☆☆☆☆
▽年代 天文20年(1551)秋~冬
▽あらすじ
 勘助(内野聖陽)は原虎胤(宍戸開)から突然、妻をめとるよう勧められる。紹介されたのは原の娘・リツ(前田亜季)。リツは以前から勘助に恋していたようで、その熱烈さに勘助はあきれ返る。
 長らく訪ねていなかった由布姫(柴本幸)に会いに諏訪に向かう勘助は道中、美しい姫を守る不審な一行に出会う。姫は武田の一族で晴信(市川亀治郎)の命で甲府に向かう途中という。 晴信に側室がいるとリツから聞かされていた勘助はその於琴姫(紺野まひる)こそが新しい側室ではと疑惑を抱く。
 久しぶりに勘助と会った由布姫は、勘助が生きていていたことを心から喜んだ。が、その様子はどこかおかしい。最近は、晴信の訪れもなく、由布姫は、孤独感を感じていたのだった。勘助から大井夫人(風吹ジュン)が病いと聞いた由布姫は、甲府に見舞いに出向きたいと言い出す。
 由布姫を連れ、甲府に戻った勘助は、側室について晴信を問い質す。初めはとぼけていた晴信だがやがて於琴姫こそが新しい側室と白状する。勘助は、「由布姫を大事にせよ」と詰め寄るが、晴信は、「由布といても心が休まらぬ」と答えるのみ。
 大井夫人と再会した由布姫は、弟の虎王丸が出家したことを聞き、愕然とする。事の次第は晴信本人が伝えるのが筋と考えた勘助が周囲に口止めし、晴信本人が由布姫を遠ざけていたため、由布には伝わらなかったのだった。怒りを顕わにする由布姫は、側室の存在を知り、嫉妬の炎を燃やす
 由布姫は勘助を呼び出し、わが子・四郎を武田家の跡継ぎにしたいと宣言する。さらに由布姫は、於琴姫に子ができて四郎の競争相手となるのが不安であると語り、於琴姫が如何なる女性か探るよう勘助に命じる。勘助はある覚悟を決め、於琴姫が住まう積翠寺へと向かう。
 ◆雑感
・今回登場した於琴姫(紺野まひる)は、油川信友の娘とのこと。油川信友なる人物の素性について説明がなかった理由がわかりませんが、武田家の家臣とのこと。
【於琴姫のプロフィール】
武田の子族・油川信友の娘・油川夫人は、十七歳で召し出され以降五人の子を産んだ。1557年に五男盛信(仁科)をはじめ二男・三女をもうけている。他の妻妾と違い、信玄と同郷と言うこともあって甲州一の美女といわれた夫人は、信玄の愛を一身に受けた。正室・三条夫人との距離が遠くなる中で、この油川夫人や禰津夫人などが晩年の信玄の心の拠り所であったのだろう。
・また、今回は晴信の弟として、武田信廉(のぶかど)が初登場しました。武田二十四将の一人で、通称の逍遙軒(しょうようけん)で有名な人物らしいです。晴信や信繁のように武勇などには秀でた人物ではなく、画家としての才能に優れた人物であったといわれています。今は「そんな人がいたんだー」という程度の存在感ですが、今後、武田家の跡目争いに重要な役回りを果たすことになりそうです。

▼第34話:「真田の本懐」(8/26放送) 
▽満足度:☆☆☆☆
▽年代 天文20年(1551)初夏
▽あらすじ
 越後で捕われていた勘助(内野聖陽)は晴信(市川亀治郎)によって救われ、ようやく甲斐へ戻ることができたが、晴信が信濃府中に出陣していることを知り、休む間もなく信濃へ急いだ。
深志城では、勘助の帰参を晴信を始め、皆が喜んだ。晴信は、勘助に越後を見てきた感想を問いた。勘助は、景虎が、宇佐美定満という優れた軍師を得て越後を統一したことを報告し、景虎の人物像については「武将ではなく坊主だ」と評し、その力量については「戦には強いだろうが、景虎には他国を侵略しようという欲がない」と語った。「己の正義に従って戦をする」という長尾景虎なる人物に、諸将が戸惑いを見せる中、晴信が問うた。「甲斐は勝てるか?」この問いに、勘助は「必ず勝ちます」と自信を見せた。
 晴信が出陣したのは、小笠原勢が村上を後ろ盾にして信濃府中の奪還を目論んで出陣してきたからであった。勘助不在の間に武田は村上義清(永島敏行)に大敗、その原因を作った真田幸隆(佐々木蔵之介)に対する家中の視線は冷ややかだった。難攻不落の砥石城を攻略して汚名をそそぐ以外に真田が生き残る道はなかった。
 真田にとっては、村上の本隊が信濃府中へ行っているこの時がチャンスであった。勘助は、急ぎ松尾城に赴いた。村上方に属する真田の弟・常田隆永(橋本じゅん)の調略に手こずっていた幸隆に対し、兄弟の主家・海野家の再興を提案する。かつて、海野家を滅ぼした武田によって海野家を復活させることができれば、隆永の怨みも消えるだろうと説いた。
 真田が晴信に海野家の再興を願い出たところ、晴信は、これを了承し、次男の龍芳に海野家の姫を娶らせたいと申し出る。幸隆は、上州で海野家の姫を守っている河原隆正(河西健司)に使者を送る。河原は忍芽(清水美砂)の兄なのだが、元々海野家の家臣であり、武田を憎んでいた。
 その後、半月たっても使者は戻ってこなかった。兄が了承するはずはないと考えた忍芽は、長男の源太作衛門を連れ立って、常田の屋敷に乗り込む。忍芽らの姿が見えなくなったことが騒ぎになりかけた時、使者が河原隆正を連れて戻ってきた。
 常田の屋敷にて、自らの命と引き換えに真田についてくれと懇願する忍芽に対し、常田は応ぜず、勝手に自害すればよいと冷たく言い放つ。忍芽が刀を手にしたその時、真田が河原を連れて駆けつけた。悲願である海野家が再興できるという言葉は、常田の心を強く揺さぶった。悲願成就のために、恨みを捨てて武田につけと真田は常田を説得する。また、河原隆正は、上州に逃れた滋野一族も皆今回の件について承諾したことを報告し、自身も武田に服従することを明らかにした。ついに常田は、武田につくことを承諾した。
 松尾城に戻った幸隆は、勝手な行動をとった妻と息子を叱り飛ばし、「生きた心地がしなかった」と強く抱きしめた。
 常田の調略に成功したことにより、砥石城を守る須田新左衛門(鹿内孝)も武田に内応して、難攻不落を誇った村上軍の砥石城はあっけなく落ちた。砥石城落城の報を受けた村上義清は、すぐさま撤退を決意する。頼みの綱の村上に見捨てられた小笠原長時は、所領回復の夢を断念し、京に逃れた。
 甲斐では、砥石城攻めに対する論功報償が行われ、晴信は、須田新左衛門と真田源太作衛門に、自分の名前の一文字を与えた(真田信綱)。また、真田幸隆に対し、かねてからの約定どおり、真田郷全体の所領を認め、砥石城の城代に任じた。 領土回復に成功して、遂に本懐を果たした幸隆は、忍芽と勘助と共に真田郷を眺めながら感慨に浸っていた。その足元には、無名塚があり、勘助がかつて平蔵に与えた魔利支天像があった。勘助らには知る由もなかったが、それは平蔵の父矢崎十吾郎が眠る墓だった。
 ◆雑感
・滋野一族は、中世に東信濃の名門として栄えた一族で、中でも、海野氏・禰津氏・望月氏は滋野三家と呼ばれていた。真田家にとっては海野氏が宗家筋にあたり、その再興は一族の悲願であった。
・海野一族の血筋といえば、現在小山田信有の側室となっている美瑠がいるのに、名前も出てこなかったのは何故なのだろうか?海野家が再興されたとあっては、美瑠の心中は穏やかではないだろう。信有との間に生まれた子についても何やら含みを残しており、今後一波乱ありそうな気がする。

▼第33話:「勘助捕わる」(8/19放送) 
▽満足度:☆☆☆☆
▽年代 天文19年(1550)9月~天文20年(1551)初夏
▽あらすじ
 鉄砲商人を装って越後に潜入した勘助(内野聖陽)だったが、宇佐美定満(緒形拳)は、勘助の 氏素性をすっかり見抜いていた。「いつから見抜いていた?」と訊く勘助に「甲斐武田に隻眼の将がいることは、世に知れ渡っている」と答える宇佐美。勘助の素性は始めからバレていたのだった。また、勘助を宇佐美に預けた景虎(Gackt)の狙いは、武田が 越後を狙っていることを宇佐美に悟らせ、越後が一つにまとまる必要を訴える事にあった。自分がいつの間にか利用されたと知り、勘助は景虎と宇佐美が只者でないことを痛感する。
 景虎が、再び宇佐美の居城を訪れた。景虎の器の大きさにほれ込んだ宇佐美は景虎に誓詞血判状を差し出し、長尾景虎に仕える事を誓う。これにより、越後をめぐる勢力図は、景虎に大きく傾いた。
 宇佐美の服従は、勘助に利用価値の無くなったことを意味していた。景虎は、従兄弟の長尾政景を討つ事を宣言し、この戦いまでに鉄砲が届かねば、道安(勘助)の命はないことを伝える。
 天文19年(1550)12月、甲斐では晴信の嫡男太郎の元服の儀が行われた。甲斐では、勘助はもう戻らないと諦めが広がっていた。勘助を救うためには景虎の要求通り、鉄砲百挺を越後に届けねばならないが、先に買い付けた百挺は既に砥石の大敗で失われていた。 そんな中、大井夫人(風吹ジュン)が病に倒れた。病床にあって夫人は晴信(市川亀治郎)に 勘助を救うようにと訴えかける。
 越後では、宇佐美が春日山城に出仕した。勘助もこれに同行するが、登城直後に捉えられ、幽閉されてしまう。景虎が政景を討つのは確実とみた勘助は、己の死を予感する。
 宇佐美を得たことによっていよいよ、景虎は越後統一に乗り出した。長尾政景を力攻めすると決断した景虎に対し、新たに軍師となった宇佐美は、和議を結ぶべしと主張し、政景が無条件に降伏するであろう策を献ずる。これまで長尾景虎を支えてきた家臣・直江実継(西岡篤馬)らは、昨日まで敵だった宇佐美を景虎が重用することが面白くない。
 甲斐では、諏訪の由布が、晴信が一向に勘助の救出に動かないことに苛立っていた。かつて自分が勘助に助けられた由布は、できることなら自分が助けに行きたいと心を痛める。
 天文20年(1551)初夏。策が功を奏し、最後まで敵対を続けた同族・長尾政景が景虎の軍門に下った。景虎は、政景との和睦の象徴として、姉の桃(西田尚美)に政景に嫁ぐよう頼む。桃は、これを快諾し、進んで政景に嫁いだ。これによって、遂に越後は景虎によって統一されたのだった。
政景との戦までに鉄砲を用意できなかった勘助は処刑が決定した。景虎は、勘助に投降するならば命は助けてやると条件を出すが、勘助はこれを拒否する。刑が執行されようとしたまさにその瞬間、思いがけぬ救いの手が届いた。
 伝兵衛が、根来の津田監物と共に現われた。そして、その後には100挺の鉄砲があった。晴信は、勘助を救い出すために、津田監物に100挺の鉄砲を注文したのだった。景虎は道安が甲斐軍師の山本勘助であることには一切触れず、勘助を解放した。勘助は、景虎を生涯賭けても惜しくは無い敵であると認識し、越後を去っっていった。
 ◆雑感
・勘助を救うために晴信は新たに鉄砲を100挺注文したわけですが、景虎も「金ははずむ」と言っていました。監物は「晴信に借りを売った」と言っていたので、金ももらわずに100挺の鉄砲を作ったということか。
・政景と桃の間に生まれた子が、後に上杉家を継いだ上杉景勝とのこと。マンガ『花の慶次郎』(原作『一夢庵風流記』)では、格好良く描かれていて、結構好きな武将の一人です。
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風林火山にちなんだ展覧会 (SW)
2007-09-11 17:34:24
こんにちは!
風林火山も、ぼちぼち佳境に入りますね。
そういえば、越前山縣家と武田信玄という特別展覧会が福井市立郷土歴史博物館でやっているそうです。
山県昌景が福井と関わりがあったなんて・・・。
家康が武田家の旧臣を取り込んだのと関係があるのかもしれませんね。

http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/tenji/index.html#01

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