トンサンの別荘

初代iMacが壊れ、本宅「マック鈴木家へようこそ」が更新できなくなったので、2010年9月27日よりこちらで情報発信。

新しくなった横林上飯山線を走って、古民家岸邸を見に。

2015年04月26日 20時12分41秒 | ポタ&買物

4月26日(日) 晴れ

かながわグルメフェスタ2015in厚木 

を見て、オレンジさんが走ったという飯山と荻野をつなぐ新しい道を走ってこよう。
とグーグルストリートビューや、航空写真で見てみるが、どうやら新しくなったのは飯山側だけのようだ。
荻野側から入るのは分かりづらいので、飯山側から入って行こう。
グーグルの地図にその道はまだ記されていないが、航空写真を見ると工事中の写真になっている。
横林上飯山線を出たところが国道412号だ。
あれ、ちょっと先に古民家岸邸がある。
じゃあ帰りに寄って行こう。




まず、中央公園で行われているイベントへ。
自転車を止めようとしたら「駐輪は市役所の駐車場へ」と言われ、長い信号待ちの往復は嫌だから、止めずに周りを歩いて写真を撮る。
公園の外 道路側にもテーブルが並べてある。



噴水のまわりにもテーブルがいっぱい。
みんな暖かくなったから、こういうイベントがあると出かけてくるのだな。
この季節はイベントにもってこいだな。



市内で道が分からなくなって迷走したが、飯山に行くのはこの道。




「あやめの里」のあやめはまだまだ。




小鮎川から県道60号へ上がる。




飯山観音前。さてこの先だ。




「元湯旅館」入口を過ぎてしばらく行くと、新しい道はあった。




結構交通量は多い。




幅が広い歩道があったが、片側だけだった。歩道を走る。




振り返ってみると、左右に行く道の案内看板は無い。




歩道上にある反射標識の上にカメラを置いて。
オレンジさんは『運動公園を通る道よりも坂はゆるい』と言っていたけど、どうしてどうして。やっぱりここもきつい。



車のボディがいっぱい並んだ所へ来た。隣は老人ホームだ。
こちら側の歩道はここで終わり、上り坂も終わったので車道に出る。



さてこの先はと看板を見るが・・・




「荻野小学校」という文字が消されている。左へ行く。




なんだ、ここへ出るのか。荻野川を上っている時、いつも通る橋だ。「よこばやしはし」




国道412号を北へ行きすぎてしまったが、戻ってきてたどり着く。




今はイベント中らしい。




端午の節句(たんごのせっく)の飾りがしてあった。




この上は女中さんの部屋(3畳(じょう))とのこと。はしごのような階段だ。




照明がおしゃれ。この家の照明の笠(かさ)は「ノリタケ」でつくったものらしい。




欄間(らんま)




豪華な彫刻を施(ほどこ)した欄間。




廊下に張り出している「付書院」(と呼ぶのかな?)は珍しい。




雨どいの雨水を落とす縦樋(たてどい)にも装飾が施されている。




「付書院」を廊下側から見た。向こうにも出っ張っているところがあるが、あれは隣の部屋の床の間。




女子トイレ。装飾ガラスと曇りガラスの間にステンドグラスが入っている。




男子トイレ。こちらもおしゃれな窓だ。




手水場(ちょうずば)。
普通廊下の外にあって、流した水は庭に流れるのだが、ここは室内。
流した水は、外へと配管されている。



照明の笠(かさ)はノリタケの初期の製品だそうだ。




2階へ上がる階段には両側に手すりがついている。
ここまではステップの幅も広い。
だが90度曲がった先はステップが狭く、降りるときに注意を要する。



2階。鯉のぼりの大胆な飾り方をしていた。広い続きの間だからできる。




市松模様に赤いガラスの入った窓。
ここにも廊下側に張り出した「書院」が。



近くに行くと『何か不思議な世界』。




玄関・中庭側を見る。




窓枠も単純ではない。














管理している人が説明をしてくれるが、見学者が多いので、ビデオの解説を聞くのも良い。7分間だ。



厚木市民なのに初めて来た。
ここはオレンジさんが好きな場所らしい。
普段は見れないという写真がある。

厚木で一番興味ある場所


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2 コメント

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やっぱり (オレンジ)
2015-04-27 06:21:32
やっぱり行ってきちゃいましたね。
なぁんだ、ここに出るのかって思ったのは同じです。

さんざん記事にしている岸邸。
ノリタケは知りませんでした。初期ということは明治の時代のものだったんですね。

今日もいい天気です。行ってらしゃ~い!かな?
オレンジさん お早うございます。 (トンサン)
2015-04-27 07:22:17
岸邸はどんな人の家だったのか聞いてみたのですが、お役所勤めの人と言っていました。
お役所勤めであんな豪邸が持てるとは思えないので、きっと大地主だったのでしょうね。
その辺のことが詳しく書かれた資料は見つかりませんでした。
管理人の女性から聞いたのですが、女中は家庭内の事をやる人と、庭など外の手入れをする人の二人いたそうです。
その二人が2階の3畳間で住んでいたそうです。
って、荷物も置く場所が無い。
昔の下働きをしている人は、大変な生活をしていたのですね。
それがあたりまえだったのかなぁ。
なんだかここの家主に、あまりいい印象を受けませんでした。

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