野口敏夫プライベートブログ

私の周りで起こった出来事や日頃思ったことなど個人的で気ままなブログとなっています。

紅葉の香嵐渓と遠州三山めぐり

2016-11-15 20:21:35 | 旅行記

 このところ比較的体調がよく感じられるので、出かけるのは今の内との思いから、今回も透析連休の日・月を利用してC旅行社の香嵐渓と演習三山めぐりの一泊二日のツアーに参加してまいりました。

 バスは、当然、相席になることを覚悟していましたが、参加者が28名とこの種のツアーにしては少なかったので、単独参加者には2座席を割り当てられ、走行中ゆったりとできたのは幸いでした。

 私は最寄り駅のひとつ隣の江戸川台駅前から乗車しましたが、以後、南流山、松戸と参加者を乗せ、三郷から高速に入り、常磐道・首都高・東名道と進み、掛川ICからは一般道を行き、法多山尊永寺⇒油山寺⇒可睡斎の順に遠州三山の寺院を巡りました。本来は、これらは紅葉めぐりとなる筈でしたが、残念ながらまだ時期が早くほとんど紅葉は見られず、紅葉めぐり転じて参拝めぐりとなってしまいました。

 三寺とも山寺なので、当然行きつくまでに何百段もの階段を上らねばならず、歳老いた身には結構堪えました。

 ここで、遠州三山(寺)の位置関係は右図の通りです。

 最初に訪れたのは法多山尊永寺でした。可睡斎・油山寺とあわせて遠州三山と呼ばれる古刹で、通称”法多山(はったさん)”と呼ばれ、本尊の正観世音菩薩は厄除け観音として広く信仰され、多数の参詣客が訪れるとか。神亀2年(725)聖武天皇の勅令を受けて行基が開山し、今川・豊臣・徳川など武将の厚い信仰を得て栄えたが、明治維新に朱印地を返還し12坊を廃して現在に至っている由。境内で売られる厄除け団子はここの名物となっているようです。

 山門を通ってしばらくは平たんな参道でしたが、やがて急な階段が続き、一区切りついたらまた階段と、計230段もの階段をあえぎつつ登り、やっと本堂まで行きつきましたが、さすがに脛が痛くなりました。なお、お目当ての紅葉は途中ほんのわずか見られただけでした。
     

   参拝を済ませた後、滅多に買うことのない御神籤を、なぜか急に引いてみたくなり、金100円也の代金を払って引いてみました。幸い「吉」でした。気をよくして下山途中に名物の厄除け団子も食し一休み。疲れた体に活力を与えてくれました。まだまだ時間があるからとゆっくりしていましたら、バスに帰ったのは自分が最後でした。

 次に訪れたのは医王山 油山寺(いおうさん ゆさんじ)でした。ここは大宝元年(701年)行基菩薩が万民和楽・無病息災を祈念して創建した真言宗の寺で、本尊は薬師如来、四十六代孝謙天皇が眼病平癒を祈願し、全快したことから、目の守護、眼病平癒に利益のある寺、目の霊山として信仰を集めている由。

 ここには、重要文化財の立派な山門と三重塔があり、  山門はもともと掛川城の大手門だったものが寄進されたもので、三重塔は建久元年(1190年)源頼朝公が眼病全快のお礼に建立されたもののようです。

 ここは、本殿である宝生殿までの階段は大したことなかったのですが、奥の院である薬師本堂までは階段に次ぐ階段で、ここでも難儀させられました。途中、るりの滝という細い滝がありました。千古の昔、孝謙天皇眼病の砌、油山寺の薬師如来に祈願をかけられ滝の水を加持祈祷し、その霊水にて洗眼され、眼病全快された所以の滝であり、薬師如来にちなんでるりの滝と呼ばれているとか。

 

 この日最後に訪れた萬松山 可睡斎。ここは、応永8年(1401)恕仲[じょちゅう]禅師により創建された名刹で、秋葉信仰の総本山として参詣者を集めている曹洞宗の寺院。400年ほど前に当時今川家に人質になっていた徳川家康を和尚が救出。のちに浜松城主となった家康に招かれた和尚が、その席上で居眠りをしているのを見て、家康は笑いながら「眠る可[べ]し」と言ったことからこの寺号になった由。

   まずは階段を上って両側に仁王を擁する山門を潜ると、広い境内の石畳の奥に本堂がありました。
 参詣後、ひとり更にまた階段を上って奥の院に向かいました。ここはなぜか閉まったままになっており、あたりも閑散としていましたが、途中で面白いものを見つけました。
 それは、出世六の字穴という洞窟で、その謂れは、戦国時代、徳川家康は武田信玄との戦いにおいて遠江・森・袋井方面へと攻めてきた武田勢に追われ、この寺のほら穴に隠れて命拾いをした。その後、家康は浜松城主となり、やがて駿河城、江戸城などを築き国を平定し、江戸幕府を開いて将軍となったことから、この名が付いたとか。

 

 以上で、第一日目のすべての観光を終わり、袋井ICから高速に入り、岡崎にある昭和元年創業の老舗「おぎ乃」にて、ひつまぶし・刺身など三河湾の食材を使った夕食を摂った後、岡崎東ICから名古屋に向かい、18時10分、名古屋市栄町にある名古屋クラウンホテルに入り、この日の日程を終えました。

 ここで失敗談を一つ。写真はすべてスマホで撮ったため、当然電池の消耗が激しく、帰りのバスで大相撲九州場所の初日の取り組みを聴いているうちに切れてしまいました。電池切れ自体は想定の範囲内でしたので、持参した充電器を取り出し、コンセントに差し込もうとして初めて気が付きました。肝心のアダプターを忘れてきてしまったのです。まだ明日のメインの観光が残っているので、一時途方にくれましたが、念のため、フロントで事情を話すと、逆にホテルに忘れて行った客がいるらしく、すぐ出してきて貸してくれました。ホッとした次第です。

 嬉しいこともありました。大浴場があることは聞いておりましたが、普通の沸かし湯だろうとと思っていたところ、なんと天然の温泉(三蔵温泉)でした。名古屋の中心部に温泉があるとは!これは新鮮な驚きでした。

 部屋も、コンパクトながら、使いやすく、ゆったりできたのも幸いでした。


 2日目(11/14)は、いよいよお目当ての香嵐渓の観光です。朝、彩も豊かなビュッフェ形式の食事をゆったりと摂った後、8時37分に出発しました。
 香嵐渓と言っても、関東の方々にはあまり馴染みがないかもしれませんが、愛知県豊田市足助町にある矢作川支流の巴川がつくる渓谷で愛知公園国定公園の一角に当たります。紅葉やカタクリの花などが有名で、毎年、県内だけでなく近県からも数多くの観光客が訪れるとか。

 私は、20年ほど前、ちょうど紅葉が真っ盛りの時に訪れたことがあり、その見事さに感嘆したことを覚えています。

 9時35分、香嵐渓のバス駐車場に到着、各自、マップを片手に直ちに散策観光に入りました。20年前に訪れた時の最盛期にはやや早い感じでしたが、それでも緑とのコントラストが映え、初めて来た人にとっては十分満足のいくものだったようです。以下にその画像をお見せしましょう。
        

    

 一通り観光ルートを周った後、階段を上って香積寺を訪れました。ここは応永34年に足助氏の居館跡に創建された曹洞宗の古刹で一帯はもみじや杉木立が生い茂り、もみじの開祖・三栄和尚が植えたとされる杉も2本残っています。

 参拝を終え、ふと、見ると、飯森山山頂まで15分と書いてあるのが目に留まりました。時間はまだ1時間ほど残っていたので、思い切って登ってみることにしました。ところがこの15分というのは、あくまで健脚者の場合であって、老齢のわが身にとっては、15分で行けるわけはなく、道も険しく、途中でで降りてきた人に尋ねると、まだ大分ありますよ、と言われ、よほど途中で引き返そうかと思いまはしたが、折角ここまで来たのだからと、休み休み上り、何とか頂上に着くことができした。

 飯森山は平安時代末期に足助氏初代の足助重長により飯盛山城が築かれたところということですが、今は何ら痕跡がなく、頂上にはあずまやが一つぽつんと立っていました。 ここからの眺めが素晴らしいと聞いていましたが、木々が邪魔して眼下の風景は撮れず、せいぜいこんなものでした。

 ここで面白いものを見つけました。 拡大して見てください。動物の爪らしき痕跡が見えます。手の形から熊の爪痕と考えられますが、今は熊はいないようですから、おそらく大分前のことでしょうね。

 下りも滑らないように慎重に下りて行きましたが、どこでどう間違えたか、途中からルートを間違えたらしく、別の下山口に出てしまいました。そんなこんなでバスへ戻ったのは、時間内でしたが、私が一番最後でした。どうやら、飯森山に登ったのは25名中、私一人のようでした。もし、転んだりしたら、と思うと、冷や汗ものでした。


 11時20分、香嵐渓を後に昼食場所の蒲郡に向け東名高速を南下し、11時35分、蒲郡オレンジパークに着きました。
 ここは、1月〜5月初旬はいちご狩り、6月〜9月はメロン狩り、6月中旬〜9月中旬はぶどう狩り、10月〜12月下旬はみかん狩りと1年中季節の様々なフルーツ狩りが楽しめ、団体が利用できる大型のレストランや三河名産品の土産販売店も備えたコンプレックス施設です。

 ここで、あさり釜まぶし御膳の昼食とミカン狩りを楽しみました。ミカン狩りは食べ放題と言っても昼食の直後なので、そんなには食べられませんよね。旅行社はそこが狙いでおそらく安く契約しているのでしょう。4個食べるのが精一杯でした。
    


 最後に、東名高速に向かう途次、豊川のえびせんべいとちくわの共和国 に立ち寄った後、音羽蒲郡から東名高速に入り、首都高では多少の渋滞はありましたが、無事、常磐道から三郷ICで一般道に出、以後、松戸、南流山と、乗客を降ろしつつ進み、最後の江戸川台に着いたのは予定より15分早い20時35分でした。


 今回の旅行、紅葉こそいまいちでしたが、まずは充実した内容で満足しました。ただ、1日目は約15000歩、2日目は10000歩も歩き、しかも上り下りが多かったので、いささか疲れました。一方、体力に多少の自信が付いたのも収穫でした。

                                                                       以上

 
 


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