ブログ・ヤコブの梯子

天と地の仲介者、素盞鳴、イエスは、ヤコブの梯子。
相反するものを和合する、すべてに当てはまるプロセス。

般若心経

2017-07-17 08:00:47 | 思想哲学
〔般若心経〕

この論考も、繰り返しに付け足したものです。

仏教で言うところの「菩薩」の意味ですが、どうもこれを神仏のくらいに解釈して、反って複雑にしているようです。

菩薩とは、ボ-ディー・サットヴァ。
ボーディーは、「菩提、悟り」と訳されています。
一説で、英語の<ボディ・体>は、ボーディーの発音からきているとも言います。
サットヴァは、一般的には「生きている人」直訳では「鞘」と言う意味らしい。

どうも一般的には「天上で修行している仏」としてのイメージが強いようです。

では観自在菩薩とは、観自在が宿っている身体、のことだとも考えられます。
観自在なものは何に当たるのか、非常にシンプルに考えて、それは<現在意識>です。

『観自在菩薩直訳で人間、その中で最も自由なところが、現在意識だと言うことです。』

また意識と体を、意識の単体を譬えた方便象徴したものだとすれば、いわゆる何々菩薩何々仏と言う言い方も、最初の意味とは違ってきて後世に考案された<教議に関係した象徴>で、いろんな菩薩や仏が出て来た、考案されて来たとも考えられます。

観自在菩薩、観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、など後世の教派でいろんな発展形が考えられます。
「元は意識や心理構造」のことであったものが、「未文明時代の説法の方便」で、だんだんそれ自体が「擬人化擬神化擬仏化」してきたとも考えられます。
それで結局は神仏像を拝み倒す儀式宗教が乱立して、複雑な混乱を招いて来たのです。

秘儀本筋とは異なった、拝神拝仏宗教が次々と生まれ、混乱の極みとなってきたのでしょう。

般若とは、
プラジュニャ、般若、
パーラミタ、波羅蜜多、
フリヤダ、心、
と訳されているようです。

別の説では、
プラジュニャ、プラーナ、パーニャ、般若、精妙界の気、
パーラミタ、波羅蜜多、知恵、
フリヤダ、心、
と訳してみました。
※実際のところ、サンスクリット語直訳は未だ研究中のようです。

『観自在菩薩、その現在意識が、般若の知恵、プラジュニャ、プラーナ、大気、精妙体の知恵を深く業じて行くことで、<悟る>ことが「照見五蘊皆空」「色即是空、空即是色」云々…です。』

結局現代語で説かれているのがアセンション・メッセージで、繰り返し言っていることとあまり違いは無いのです。

このシンプルで意識に還元する解釈は、何でもかんでも人知の及ばない天上のことにすることを好む人たちには敬遠されるでしょう。
実際「人知に及ばない神知」とすることを好むのは、隷属時代の神様コンプレックスに自己陶酔している人たちで、植え付けられた人間卑下意識から抜け出せない人たちです。

『まず、観自在菩薩を人間には手のとどかない天上のものとするか、
自分自身の現在意識とするかで、
その悟り、<有益な気づき>の多さと向上の速さに雲泥の差が生じます。
この最初の解釈の違いで、仏教全体の解釈も違ってきます。』

多くの人間は、隷属時代の神様コンプレックを、神に対しての敬虔な心とすることで自己善人視して自己陶酔するナルチストなのです。

これを読まれた方は、まずこの解釈を頭に入れて、他の解釈を浅く広く読んでみてください。
どちらが辻褄が合って<進展性>を持っているとするか、それは個人々の自由です。
おそらくですが、これまでの雲の上の解釈では、数百年たっても同じこと言っているでしょう。

その次に、悟ることが「阿耨多羅三藐三菩提」で、
三藐、横三段、
三菩提、縦柱三本です。
一般的には「正覚」とされているだけです。
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