ブログ・ヤコブの梯子

天と地の仲介者、素盞鳴、イエスは、ヤコブの梯子。
相反するものを和合する、すべてに当てはまるプロセス。

人間に罪無し(Ⅱ)

2017-05-12 11:18:11 | 現代人霊魂の歴史
〔人間に罪無しⅡ〕

〔罪の構造と定義〕

大いなるマイナスに置かれて来た魂は、大いなるプラス、許しと慈愛を持つようになるでしょう。
生温き道を歩いてきた者は、<金>になることはありません。
金の自律を、知らないからです。

なぜ人間として生まれて来たか、地上の人間としての運命を一巡り体験することです。
人間としての運命とは、無知と罪と罰の一巡り。
現代的に言えば、地球のマトリクスバージョン、ゲームルール、極端に制限された法則範囲の運命物語です。
逆に言えば、極限の知恵にもなります。

無知と罪と罰の過程を知ることで、現世での「罪を憎んで人を憎まず」の真意が理解できはじめます。

チカチーロのような異常犯罪は、現世では誰もが許し難い、極刑は仕方のないことですが、それでも時間とともに魂の未來を信じ、許すことができます。
決して永遠の地獄に落ちるというような、植え付けられた稚拙な感情では考えません。

他人の犯した罪を「永遠に許すことは無い、千年でも万年でも怨念を捨てられない」このように考えられる人は、この世の運命形態一巡リが半分しか終わっていない人で、霊魂は誰でも同じ神聖なものとは信じられない人です。

運命も陰と陽があり、強い人生と、弱い人生があります。
表面善で疑問が起こらない人は、強い人生が多かった魂です。

一般的な解釈で、罪のすべては本人の忍耐力の無い気弱性と、その歪曲から生じる性癖に重点を置いていますが、その無気力と異常性欲に至るまでに、尋常ではない幼児期のトラウマがあるわけです。

性欲快感は、一時的な現実逃避を意味します。
その表現が歪曲して過剰になることで、加虐性を帯びてくることです。
他に現実逃避のアイテムが、酒大麻薬物であったりします。

心理過程の重い軽いは異なっても、現代も性犯罪パターンは同じです。

多くは幼少期の複雑歪曲化したストレスとトラウマ、劣等コンプレックスの解消表現が異常性欲となることで、しかもそこに邪霊が憑きやすく加虐性がエスカレートしてゆきます。

大麻や覚醒作用物は、現代ストレスのない原住民の中では、神との交信のアイテムになりますが、現代社会の対人ストレスの中で使うと、異常な悪魔チックな妄想になることです。

過剰加虐的な性欲になるのは、ストレスやトラウマの上に霊的作用があることで、現実に芸能人の事件等に見られます。

それはその時だけと言うものはほとんどなく、トラウマ劣等感などに寄って来る邪霊の影響は潜在的となり、ほとんど個人の意志力ではどうにもならなくなってしまいます。
しかも一般的には迷信の域であり、「責任逃れの言い訳」に他なりません。
誰にも相談できない、助けられないことなのです。

それでも本人がこうした心理状態を知って、「あっ、いま邪霊の想念になっている」と、気が付くようになると、ある程度制御と最悪の結果を避けれる時もあります。
しかし薬物依存のように強烈であれば、どうしても他人の強制管理が無ければ不可能です。

すべての犯罪は性欲<幸福快感欲求>に関係して、即興的にストレス解消できる性欲依存が原因で、その繰り返しが複雑で重くなり、過剰な形で表現されるのが異常犯罪です。

性欲は、三次元現世と言う<霊性質量最低次元>での、幸福快感欲求を手軽に満たしてくれる機能でもあるのです。

罪の過程の、起点。

霊魂レベルでは、転生で得た理知の高低。
身体魄体レベルでは、DNAと幼児環境で、魄体<思考感性と感情的判断の傾向>を構成して、一生の基礎認識<性格>となります。
現世環境レベルでは、少年青年期~結婚相手などパートナーの影響を受けます。

普通は、このある程度決められた人生形態の後、自己観察の段階に移ります。
霊魂の質量が高い人は、およそ社会に出たころから自己観察をするようになりますが、普通は人生の終盤に入ってからです。
個人の魂の年齢によって、16歳から60歳と、また一生ない人もいます。

浅い知識ですが、これだけで知っておくだけでも、自分を見つめて、重くならないうちに制御することができます。

罪の過程の起点起点は、逆に気づきによる上昇への転換点ともなります
しかしDNA、幼児環境が特別劣悪であれば非常に困難で、それは前世によるものか、天の示唆であることもあります。

強烈な物語で、人々に考える刺激と、気づきを与えます。
天は、手取り足取りして諭してはくれません。
こういう手本を、各個人が自主的意思で、会得して行かなければならないのが、自由の鉄則でもあるのです。
この長い道のりを歩んでゆく意思には、「自己責任」があります。

性欲快感を、精神性の愛情と勘違いしやすいですが、それは肉体に属するもので快感と愛情とは本来違うものです。

魂の喜びと、身体触覚の快感です。
本来善悪は有りませんが、霊主体従が真理で、それが逆になりますと快感は邪悪の因になります。

霊的愛情は、相手が自由に楽しくしているのを見ているだけで、自分が幸せになります。
もちろんそのうえに性的快感もあるのがいいわけですが、何らかでそれがなくても苦にはなりません。
特に魂の年齢が上がるごとに、肉体的快感のほうが面倒に感じてくるでしょう。

五感快感そのものは、一時的な現実遊離と関係してきます。
しかし、快感そのものも邪悪とは違い、理性によってすべてを円滑にできるものです。
こうした意味で低次元の快感も、霊魂の理知を持てば喜びを分かち合う行為となります。

こうした霊知識が無い状態の自分を、チカチーロのような環境、特に<時代背景と幼児期の体験>環境に、自分を置いて考えてみることです。
今の霊知を持った自分がそれを追体験するとき、あの時にどのように考えておけば、また周囲がどのような人たちであればと考えるでしょう。
それが理知向上となり、<自分>がどうすれば良いかの、判断ができるようになります。

それは単なる過干渉でもなければ、人を裁くことでもないのです。

魂をこの運命に誘導した、魄体と身体の要素はなんでしょうか。
魄体を身体DNA先祖の心理形態として、考えることができます。
※3歳児まで身体は機能だけですが、それ以降はDNA先祖形態データーが、魄体に浸透し始めます。

霊魂と今生での環境、転生とそれ以前の宇宙記憶は知ることができませんが、先祖系DNAと、幼児環境に固定化された観念データーは、自己観察で予想することができます。

今の自分の性格、思考感性、感情と判断傾向、対社会的にどのような思行判断をしているか、を客観的に観察する技術です。
この技術が向上してメッセージのような宇宙情報を得ますと、宇宙記憶にも予想がついてきます。
それは、自分の真我と連絡を執れるようになる、下準備になります。


話を戻して、現世の罪を事前に防ぐことは個人的には、まったく不可能だと考えています。
邪霊にたかられますと、おかしいと思いながら自分でマイナスなことを言ったり行動したりするようになり、いつの間にか深すぎるところまで陥ってしまい、罪と罰観念のカルマ循環から抜け出すことが非常に困難になってきます。


〔救われる条件は、どんな罪を犯した人間の魂でも同じです〕

自分を直視することができるようになり、それが嫌であれば新しい自分を探すことです。

その過程は長くかかりますが、それまでの無明と無希望とは違います。

「救われたい~救われる」から、「すでに救われていた」まで、長い過程を通ります。

自分に気が付いて、それを自分が拒否して、霊知を積んで行くことで上昇します。

そこにはすでに、罪もカルマも無いのです。
なぜかと言えば、そういうカルマを造る自分とは違う、自分になっているからです。

救われない人と言うのは、そういうカルマを造る自分に、何らかの正当性と、虚飾な快感を持って放さない人です。

救われる、救われない、その原因と分かれ道は、ここにしかありません。

「罪を憎んで人を憎まず」を、もう一歩進めて、
「罪の仕組みを直視して、人も自分も罪無しを知る」

罪は無いという心理が解らない、認められない人は知能の問題ではなく、人間としての体験を未だ半分しかしてないことです。

人間の体験を二種に分けて、どこか先天的に優秀で強いところを持ち、その自分の努力を出し切ってこれた苦労です。

もう一方は、最初から無気力の体験です。
「持たざる者は、なをも奪われん」
人からも軽んぜられ、あらゆる邪霊にも寄ってたかられます。

この最低の体験から、魂の理知、先天能力、幼児環境、邪霊の影響を考えることができるようになります。

現世のことは、優秀な上から見ると飾り物しか見えません。
最低から見ると、虚飾が透けて見えます。

どんなに深い罪も霊的真実からすれば、自分が気が付いて、好まないと意志した時点で、もうその次元のカルマは無いのです。
自分が気が付いて、そのカルマと同調する自分で無くなれば、同時にカルマの罰も無いのが宇宙の法則です。
後は、自責の念トラウマが残存しますが、それを少しずつ捨ててゆく過程になります。

現世の感情人間からすれば、そんな簡単な、あまりにも考えられない、許せない真理ではあります。

この真実が認められない人が上を向くことができず、いつまでも続く怨念の道を歩むことになります。

救われることも非常にシンプルで、そのカルマと同調する自分でなくなることだけです。
シンプルであるがゆえに、すぐには信じられないのです。

なかなか罪と罰のカルマ観念を捨てられない。
それは、人情的観念から、自分の罪をも許せないことです。
しかしそれでは、永遠に罪罰の次元から、脱出することできません。

この現世は、実は下らないゲームルールだったと気が付くまで、人間社会全体をゆっくり眺め、だんだん手放せるようになってきます。

その<明らめ>を悟れない人が、いつまでも野良犬毒蛇のように人の弱みを嗅ぎまわらなければ生きられない、そんな運命物語を終わらすことできないのです。

今日は特にダラダラ長くなり、すっきり纏められなかったのですが、最後までお読みいただいた方々には感謝申し上げます。
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