ブログ・ヤコブの梯子

天と地の仲介者、素盞鳴、イエスは、ヤコブの梯子。
相反するものを和合する、すべてに当てはまるプロセス。

源人・アダムカドモンⅡ

2017-04-20 15:24:21 | 思想哲学
〔キリスト磔刑図は、秘儀の象徴〕

キリスト磔刑の場面は、それ自体が秘儀を後世にまで残す神劇。
伝達文明が現代に至るまで、秘儀を直接伝えられないので、人間の記憶に刻まれやすい刺激形態に、秘儀象徴を組み込んで残したことです。

現在まで秘儀的に読もうとする人は、まず人道的な悲劇物語をいったん完全に外して、霊理を抽出してゆくアルケミックな理知が必要だったことです。

このときは形態シンボルと数は、重要な理を示します。
それは原初記号とも、関係があります。

〔参照ケルト十字図〕

十字架で、もっとも秘儀的原初記号に近いのが、ケルト十字ではないかと考えています。
また別に三枚目のクロス十字のように、蛇が磔にされているシンボル図も、非常に少ないですが数種有ります。
※参照図版はヘルメスの杖ですが、錬金書では他にT字架に蛇がつけられているのがあります。

余談ですが、この場合は霊魂が波動であること、その理念を曲線の蛇に象徴化したもので、磔にされているキリストが<爬虫類生命体だったとかでは無い>ことを、しっかり知っておくべきです。

形而上の理念、波動域、霊魂を、もっとも単純化した図形が、円です。
蛇は、生命や意識、魂の象徴形態として多く使われていることで、東洋では<勾玉>です。

ですから<三千世界の理>を理解できない人は、こうした奇異な図を見た場合、キリストはアヌンナキなのかとか、または「悪魔だったと言うのか」と怒ったり、また図形を拝んで黒魔術にするような愚かなことが起こるのです。

話を戻して、まず<十字架=現実形成>世界に、<キリスト=霊魂>が、固定されていることは理解してください。

次に、どのように固定されているかが、三本の釘にあるのです。

十字は四方で、体は頭と両手両足5で、打たれた釘は3本です。
そこで不可解なのが、<両足を一本の釘>で打ち付けられたことです。

たんに悲劇物語だけならば、両足別々に打ち付けるのが面倒だったとか解釈もできますが、秘儀象徴として考えるときは重要な要素になります。

つまり三本の釘は、霊魂を現世に固定させている認識で、<制限>を意味する三つの要素です。

右手、心理的、意図的働きの制限に一本。
左手、現実処理の働きの制限に一本。

両足で一本と言うところに、謎があります。
それは両足で、一つの働きを示します。

正確には、各働きの能力<知識感覚>に対して、認識制限されていると言うことになるでしょうか。

足は移動行動と関係があり、同方向に左右交互に歩みます。
霊理では、物事が進展するときは、陰陽、陰陽と交互に進みます。

この働きから解釈すれば、三本の釘の秘儀がだんだん見えてきます。
ここで奇妙な疑問を提供しますと、頭の部分には釘が無いということで、物語上当たり前のようですが、つまり頭部である意識には、制限がされて無い、あるいは天界と通信が執れる部分と言えることです。

頭部は茨ではありますが、王の象徴である王冠があります。
この王冠にも、秘儀があるわけです。

〔キリスト磔刑参考図〕


この論考は、これで終わったわけではなく、次々と気づきの課題が出てきます。

新時代では、この創造原理からして、逆転する可能性があります。
つまり釘付けされて、形成界の法則に従属されていた霊魂が、新時代ではその法則の主人、使い手に成る可能性です。
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