ブログ・ヤコブの梯子

天と地の仲介者、素盞鳴、イエスは、ヤコブの梯子。
相反するものを和合する、すべてに当てはまるプロセス。

雑感日記

2017-03-30 10:49:06 | 社会
感覚制限の解除が実感になるまで、いましばらくかかるのでしょうが、退屈です。
それで世相しか見えないわけで、しょうがなくなんだかんだと考えているわけです。

しかし、実に埒のあかない堂々巡りが、長いこと長いこと。
本当に、飽きてきます。

いずれにせよ、巨大なタブーが完全に沈んでゆくまで続くでしょう。
まだまだほんの発端ですから、これからがたいへんです。
まったく下らない、意味のないことですが。

感覚の拡大も世界情勢も目鼻が付くのは、やはり2020年くらいになるでしょうか。

ゆっくりでうんざりしながらでも、暴力社会は沈んでゆきますが、そうした報道にはもう関心は持たないように、自分を守ることが賢明でしょう。
自分の宇宙と、関係無いことです。

しかしいましばらくは新しい方向の実感もなく、情報社会でもあって勝手に耳に入って、無意識に恐怖を誘発して引き付けやすくなります。
無関心は難しい、それはこれまで数千年もの永い間「強い者勝ち当然の恐怖」を植え付けられてきた歴史がありますので、そう簡単には克服できません。
焦らず、上昇に任せておくのが最善でしょう。
年々自然に関心が無くなってくるでしょうから、ほおっておいて待ちましょう。

少し深入りしたことを書いておきますと、現世の表裏を見て<物事の本質を見抜く思考のテクニック>は、宇宙やそこからくるメッセージにも表裏<時代に応じた方便>があることを見抜けるようになります。
未だそれが解ってくる人は極少数でしょうが、そこで得た答えも秘密の一部だと考えておきましょう。
現在のスピリチャル意識段階で、早めに公言しても、ここと同じように無視と危ない面もあります。
時間をかけて、表裏多次元思考を考慮しながら読んでください。

本題に戻って、無関心を保つには、まず霊的に低次元の愚かさ、ばからしさの本質と仕組みを知っておくことも自分を助けます。

まずは間違っても、闇の源泉である低俗暴力社会を、男の世界でかっこいいとか必要悪だと思ったり、まして憧憬を持ったりはしないことで、無意識にもそれが浮いてきたら直視して無価値とタグをつけておきましょう。

低俗社会にそうした正義感や価値観を持ち込むことは、当然嫉妬憎悪で復讐する物語を、どこかで好んでいるか引き付けていることです。

また中略して、この社会を簡単に言って、剛健だが<鈍いDNA身体に、愚かな魂>が宿っている人間に、同調した<爬虫類魂体種の霊体が憑依>して、好き勝手に使っている集団社会なのです。
この爬虫類魂体種の霊体とは、単体の簡単なものではなく、地球マトリクスのルールを支配できるような、神と同じくらいの存在だったことです。

爬虫類の執念と、哺乳類の闘争本能のみからできた人間の性質で、復讐心と虚飾支配欲の人間になります。

この集団社会の人間が、他の人間に<恐怖感>を与え、尻尾を上げる<優位に立つ>ことができるのは、<憑依した霊体>によるものです。

それは、一般の人間と全く違う爬虫類の波動があります。
青臭い、ぬめぬめした恐怖感で、タトウーは鱗の表現です。

本人はその波動を持つことを、誇りにしています。
それを自分の気力だと思い、自分が努力して獲得した度胸だと信じ切っています。
「俺は何度生まれ変わっても、また度胸一番で生きて行ける」と信じています。

実質は憑依されて隷属されていることですが、それを現世で「死を恐れないことが一番の勇者」と信じていることです。

実にばかげているのは、恐怖と力に平伏する世界は実際には存在しないことで、そうした人間本人の能力気力が下がれば、憑依した蛇霊に捨てられて、後にも残るのは異常に重いカルマだけなのです。

簡単に言って、爬虫類魂体種の霊体が憑依して、罪を犯して、用が済めば捨て去られて<気力は無くなり>その<カルマだけを背負う>ことになることです。

ここを、現世物語から、よく観察してみることです。

実際、犯罪と言うものは、あれほど執着していたものや人なのに、悲惨な結果が終わった瞬間から「あれほど自分を虜にしていた執着は、いったいなんだったのか」と不思議に思う、遅い後悔しかない状態と同じです。

なぜこのような物語になるか、それが<魂>の尊厳と言うか<質量はみな同じ>だということで、<誰か一人だけが永遠に強い>とかは無いのです。

「自分だけが最強」と言う幻もないのです
そもそもそんな差は、存在宇宙の理にはないからです。

しかしこの世界<隷属観念を植え付けられ世界>の人間は、それを信じ切っているわけで、またそのような認識<ルール>が現実になっているのです。

この世界の人間の立場では、傲慢な悪人がいくら罪を犯しても、神罰が当たったためしは娯楽映画でしか見たことがない。
一生に二三度気が向いて人助けしておけば、それだけで英雄視されて派手な葬式大きなお墓に納まり、ときにつれ後世に英雄として名を残します。

心美しく正しき人は、キリストの犠牲を代表に、みな早く帰って行ったのです。

それが、この世界で起こってきたことです。

この世界の下らなさを徹底して知ったのちに、離れる意思をしっかり主張して、ふらつかないようにしましょう。

おそらくこれからのカタストロフは、その試みになるでしょうから。
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