活動写真放浪家人生

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ファイナル・デッドブリッジ (3D版)

2011年10月02日 23時00分00秒 | 映画鑑賞(2011)

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<小倉コロナシネマワールド>

 出会い系サイトなどしないけれど、私はどーいうわけかメル友が10人以上いる。会ったこともなく、会う気もないけれど、ちょくちょくメールのやり取りをしている。会わない方が、話の内容が濃くて、心の奥まで話せたりする。また、友達として長く続く気がする。現代は、こうなっているのか。メル友関係は楽しく、一生、会うつもりないけれど、このたび、初めてお会いすることになった。1年ちょっと前に知り合った三十代の、私より一まわり以上年下の若い主婦である。頼もしい旦那さんがいて、子供も3人いらして、円満にやっている。週に2.3通はメールがきて、それに返事をしていた。

 昼前にごそごそと起きて、『ファイナル・デッドブリッジ』と、なにがしかの1本を観に行く予定にしていた。ごそごそ起きると、メール音が鳴った。「いま、車で走ってるのだけれど、旦那も子供もも今日はいなくて、私一人だから会いましょう!」というものだった。彼女は、生まれは沖縄、旦那さんの仕事の関係で、今は博多に住んでいる。「今から映画を観に行こうと支度していたのだけれど・・・。」と返信すると、「じゃあ、映画を一緒に観ましょう。どこに行ったらいい?」・・・映画のタイトルは聞いてこなかった。小倉コロナで何時何分のファイナル・デッドブリッジを観るとメールして、家を出た。メル友と会うのは初めてである。ネームは「あいず」で、本名は知らない。住所も、博多あたりとしかわからない。

 予定の時間にロビーに座り、しばらく待っていると、とても若々しい美人が私を呼ぶ。ありきたりな、そんじょそこらのオバサンだと思っていたので、ギョッとした。あらー!こんな美人と1年以上もメールのやり取りしていたのか・・・。私は、家を出る前に本棚から『アイズ(アメリカ版)』のDVDを抜いてきていた。それを手渡す。ホラー映画は苦手らしいが、これから観る映画もホラーである。次に会うときは、オリジナル香港版を渡すと約束した。持ってはいないが、手には入るだろう。

 美しいあいずさんは、初めて会ったとは思えないくらいに私に気さくに話しかける。1年以上も友達口調だったから、ここで敬語は不自然だろう。サバサバした性格で、話していて気持ちいい。私は機関銃のようによくしゃべる(相手による)けれど、それをうんうん!と聞いてくれる。聞き上手である。滅多に、旦那さんのいない日、3人の子供のいない日はないらしく、貴重な一日なのである。貴重な一日を私につかってもよいのかと思うが、とてもありがたく、うれしい。少しだけ話して、映画を観る。お会いして、館内着席まで15分なかった。長く知り合っている気がした。

 『ファイナル・デッドブリッジ 』は、『ファイナル・デスティネーション5』の邦題である。パート5では、集客を見込めないだろうから、邦題である。最初はびっくりたまげた発想で、とても楽しんだけれど、パート2、パート3に新しい発想はなく、同じことの繰り返しで、どんどん質が落ちてきていた。パート4の『ファイナル・デッドサーキット』なんぞは、楽しませる気がないやろ!?と憤慨した。だから、今作も・・・観るけれど、つまんないシロモノと思っていた。つまんないシロモノとわかっていながら、博多から2時間近く車を走らせて私の横に座っている美人にはとても申し訳ない。そんな思いで、映画ははじまった。

 が、これが・・・パート5とは思えぬほどの楽しい作品になっていた。前作も3Dだけれど、今作の3Dは飛び出すをとても意識している。飛び出してなんぼの遊園地映画なので、それだけで楽しい。シリーズを観ていて、お金をかけているシーンが最初に出るのは知っている。ここが、ウッギャーと叫んでしまうほどの心臓バクバクだが、シリーズで最も時間をかけているのではないだろうか。息つく間もない突っ走り方で、長い。ポスターから、タイトルから、巨大な吊り橋が崩壊してしまうのがわかっているけれど、崩壊のしかたが半端ではない。よくまあ、こんな発想をスタッフに伝えて、映像化できたものだと感心する。橋上での死に方も尋常ではない。曲芸アクション映画は多いけれど、曲芸死に方の連発だ。悪趣味!と言われそうだが、ホラー、スプラッター映画は、そこを楽しむものだから仕方ない。悪趣味ほどよろしい。

 運び方は、前4作品とまったく同じ。同じだが、今作は死に方に凝っている。同じ映画の中で、同じ人が、凝った死に方を2度やる・・・他にはないシリーズである。もうこのシリーズに飽きてきていた私だったが、今回はパート1を観たときのように楽しめた。聞くと、客入りは悪くなっているのに、大金をかけたのだという。儲けたいのか、作りたいのか。中途半端に儲かっているところをみると、作りたいが先をいっているような感じ。次回作も決まっているという。パート4まではどーでもいいが、本作は楽しめるので、ホラーとスプラッターに偏見ない方は観てほしい一本だ。・・・が、映画館ならでは!のタイプではある。

 あいずさんと劇場を後にし、リバーウォークへ。夕食である。私は48のオッサンだが、こんなオッサンでも、二人っきりで男と夕食をするのは珍しいことらしい。家庭がある主婦だから、それは当たり前だが、滅多にない機会だからか、あいずさんもよく喋った。私もよく喋った。映画を語るととまらない。あいずさんは映画をあまり観ていないが、興味はあり、笑顔で聞いてくれる。息と間は、メール内で培ってきたものか、話しに躓くことがなかった。いい女は、主婦である・・・40を過ぎて、そう思うようになった。ろくでもないのも多いけれど、私の目の前の女性は、美しく、頭もよく、話しも聞くのもうまい。

 22時近くになった。彼女は2時間近くかけて博多まで運転しなければならず、自宅に到着する頃は、子供たちも寝ているだろう。次は、こちらから行くと約束して別れる。私は独身で家庭も持たず、遊び人に近い生活をしているけれど、積み重ねてきた彼女には希少な時間だった。いろいろな縛りの生活から解放された日曜日の午後。いい加減な私との映画鑑賞はどーだったろうか。

 12月半ば、私は博多へ出かけた。2回目は『カイジ2』を観た。1は、DVDで観ておくように言っておいた。土曜日の夕方から、日曜日の未明まで。映画を観て、よく話した。約束通り、私から出向いたけれど、約束の『アイズ(香港オリジナル版)』は渡せなかった。もう、DVDでは売っていない。もし次に会うことがあったら渡そう。その前に、家庭を持っているとはいえ、美人に会いたいのだろう。が、やましさは欠片もない。実は、そこが私のいけないところで、結婚できなかった問題の一片である。

 あいずさんのことは、いまだ、本名も住所も知らない。メル友を続けている。次に会う約束はしていない。いつまでもメル友であってほしい一人である。  <85点>

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勝新太郎&若山富三郎特集

2011年09月21日 23時00分00秒 | 映画に関する話

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 「上から読んでも下から読んでも同じってのあるよね。竹藪焼けたなんて、みんな知ってる。こういうの、あんだけどね。談志が死んだ。上から読んでも下から読んでも。談志が死んだ。オレ、死んだら出るかね、見出しに。」

 映画関係者が多く亡くなった年であった。震災ですさまじい数の方が亡くなったけれど、彼らも運命共同体だったかもしれぬと思う。あの阪神大震災の年も、年末までに多くの芸能人が亡くなっている。宇宙に無数に存在するすべての星が、決められた道を回っているならば、その中のひとつの地球も同じで、地球上に生きる人間も運命を持ってるのだろう。偶然なんてない。偶然とは奇跡ではないか・・・たまたまも奇跡だ。奇跡の集合体が自分を動かしている。

 誰でも知る大きな映画俳優、監督、脚本家が亡くなった。私は昔から、映画関係者が亡くなっても、さほど驚いたり悲しんだりしない。あの俳優がいなかったら・・・と思う渥美清が亡くなったときも、これほどではなかった。これほどでも・・・談志が死んだ。のである。私の一番好きな落語家は枝雀だが、人生に影響を受けたのは談志であった。落語以前に、生き方であり、考え方であった。立川談志も大の映画ファンで、あの忙しさの中、実に多くの映画を観ていて、また、よく覚えていた。監督名、主演、脇役の名まで並べあげた。談志は、いい映画を観てエンドロールになったとき、拍手するくらいの映画ファンであった。談志の映画に対する愛情にも、私は影響を受けた。2011年、久しぶりに有名人が亡くなったことにガックリきた。会って話をすると大嫌いになりそうな人だけれど、見たり、聞いたり、読んだりしていると、これほど魅力的な人物はなかなかいない。江戸の落語は、これで一幕を閉じた。二人目がいないので、当分、幕は上がらないだろう。

 小倉昭和館で、勝新太郎&若山富三郎特集をやった。これをすべて観た。上映作品は二本立てで毎週替わり。『続・座頭市物語』『座頭市と用心棒』/『悪名』『兵隊やくざ』/『人斬り』『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』の6作品であった。私はすべて観ていたが、もう一度、スクリーンで観たかった。スクリーンで観られるのは、これが最後なのだろう。

 勝新太郎と若山富三郎は兄弟で・・・おそらく、ここから説明せねばならぬだろうが、面倒なのでやめる。もう、座頭市はビートたけしが最初と思っている二十代も多いし・・・。ただ、勝新太郎と若山富三郎を並べれば、スタァは弟の勝新太郎であったろう。あたり役も「座頭市」「悪名」「兵隊やくざ」と恵まれ、すべてシリーズ化され、映画界で大活躍している。私が生まれたころの話で、リアルではしらないが、映画史を読むと、スタァの何ものでもない。破天荒で常識ないところもスタァとしてよろしい。パンツに隠した大麻なんてガキのような言い訳もスタァらしいではないか。若山富三郎も破天荒なエピソードがいっぱいあるけれど、勝新太郎には勝てない。若山富三郎がぐっと良くなったのは、勝新太郎が萎んできたあたりだ。NHKの『事件』シリーズなんて、一度しか見てないのに記憶にはっきり残っている。『衝動殺人 息子よ』の若山富三郎の演技力は胸にズシンとくる。あれほどの芝居は勝新太郎はできない。

 若山富三郎の方がいい!という方も多い。よくわかるが、人間はムチャクチャでも、私は勝新太郎の方がでかかったと思うし、面白い。『座頭市と用心棒』は、監督が岡本喜八というのもあってか、これでもかーーー!というくらいドキドキハラハラの活劇に仕上がっている。黒澤明監督、東宝の用心棒をそのまま大映にもってきて、座頭市と共演させた・・・今の方が考えられるハズなのに、あの時代にやっている。ただのコラボでしょう?に終わらず、2時間走りっぱなしの休みなしで物語は進み、ラストのうまいこと!観た後、また観たくなる映画だ。いま封切ったら、今年のベスト1になりそうだ。

 しかしなぜ?『続・座頭市物語』を単体でかけるのだろう。あれ、単体ではわからない続篇なのに・・・私は正を覚えているから観ていられるけれど、単体では意味不明なところがいっぱいある。借りようにも、このあたりに正を並べているレンタル店はないぞ。ディスカスあたりにあるのかもしれないが、そこまでして観るほどの正ではない。

 「フランキーなんてのは、渥美が、勝新はねー」と、立川談志はハリウッドのミュージカルばかりでなく、日本映画もたくさん観て、語り、書いている。積極的ではなく、頼まれて映画にも出ていた。企画されていた「談志の生意気シリーズ」は乗り気だったが、最後は蹴った。映画人が亡くなるよりも、映画に興味を抱かせてくれた談志が亡くなったことにガックリした。落語にも興味を持ち、お笑いもたくさん見た。なによりも、考え方が、私は談志的になってしまっている。

 まわりに人は多かったし、近づいてきた人も多かったけれど、親友と呼べる人は毒蝮三太夫しかいなかった。談志は毒蝮三太夫が好きで仕方なかった。大喧嘩して三度別れたけれど、懸命に仲を戻そうとしたのはすべて談志側だった。大好きだったので、俳優だった毒蝮三太夫を談志は芸人にしてしまった。地方公演の行き帰りを共にしたかったのだ。講演もしたことのなかった毒蝮を、ピンで無理に行かせたりして、友達付き合いをしながら、芸人にしていった。最期は、親友の毒蝮三太夫にも無言で、この世を去った。

 「オレはいったい、どういう死に方するんだろうなあ?」と、若いころの談志が毒蝮につぶやいた。毒蝮は「どんな死に方するかは知らないけど、とにかく他殺だろう。」と答えた。他殺ではなかったが、喋りの天才は、声を切られた。声を失うなんて、他の落語家にはマネできないことだ。談志は普通では死ねなかった。

 戒名は-立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。「臭ってきそうな戒名だろう?なかなかいいじゃねーか。」談志が落語のまくらで何度も言っていたこの名前が、戒名になった。あの世で、勝新太郎と話すかもしれない。「勝新、良かったよ。たけしが最近、作ったみたいなんだけどね。いや、観ちゃいないよ、観る前からわかってらあな、ありゃ、あんたのもんだよ。」

 あーあ、談志が死んだ・・・。

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ピラニア(2010) <3D・字幕版>

2011年08月31日 23時00分00秒 | は 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_5 <シネプレックス小倉>

 テレビをつけると、北杜夫が亡くなったとニュースが報じている。大事件がなくてよかった。長く、北杜夫という人物を見せている。知らない人も、この作家を知っておくべきだろう。今日10月26日、私は北九州空港近くの「スカイホテル苅田」に投宿した。門司から近いと思って、携帯で、じゃらんnet予約したのだが、カーナビで検索すると20キロ先と出た。近場にしたいけれど、予約決定ボタンを押して、予約済みメールも着信してしまった。キャンセルすると100%なので、貧乏な私は行く・・・渋滞して40分以上かかって到着。なかなかきれいな、結婚式場まであるシティ型ホテルである。夕方に投げ出した3,500円現金のみOK版で、私はポイントを使って3,000円。部屋も広く、家具やテレビも新しく大きい。風呂も清潔で、湯の出もガッツリである。なんだか、一流ホテルに泊まっている感じ。

 明日の朝、チャチャタウンのシネプレックス小倉へ向かう。このブログだけ読んでいると、いつもどこかへ泊って、映画を観て、世の中に愚痴をたれて、まるで遊び人のように思われるだろうが・・・それもある。間違いではない。最近、なかなかいいなあと思った映画は『モテキ』『スマグラー』『HAYABUSA はやぶさ』・・・よく観ている。遊び人だわ、こりゃ。いやいや、やるべきことはいっぱいあり、ちゃんとやっていますぞよ。ここのところ、観たい映画が多くて、睡眠時間がとても少ない。昨夜は平凡な景色が続く中国高速道路で目がシボショボし、ウトウトしかかった。はっと気づいて、ドキドキした。・・・言い訳ですが。はい、遊び人でございます。

 『スマグラー』は絶対に面白いと思って期待感バリバリで観に行って、バリバリに期待以上の映画だった。さすが石井克人監督。とんでもない描写もあるからムカムカする人もいるだろうけれど、他の日本映画なんて寄せつけない出来栄え。鮫肌男の空気をまだ失っていない。全国公開してくれて、うれしい。これは後日、記事にしようと思っている。

 つまんないよと観るつもりではなかった『モテキ』が抜群の出来。深夜ドラマの映画化らしいけれど、そのドラマを観ている人も面白い!と言わせている。私は映画しか知らないが、今という時代をトップセンスな演出で魅せる。ツイッターは出会い系サイト化しているのねー。この映画は、ツイッターなしでは成立しない。ツイッターで出会い、ツイッターで話し、ツイッターで別れる。だが、人間的ぬくもりもちゃんと入っているから、心地よい映画となっている。麻生久美子の上手いこと!長澤まさみと一緒のときは脇だから抑えているけれど、一人になったら長澤まさみなど比にならない大女優っぷり。

 お勉強なんてしたくないと思って、それでも観た『HAYABUSA はやぶさ』。観てよかった。こういう映画もたまにはいいね。130分まったく飽きずに最後まで観客を引っ張る。テレビ監督、なかなか映画らしい映画を撮るようになった。人間が作った機械なのに、感情もなにもないはずなのに、なんだか生きてて、心をもっているように思えてくる不思議さ。いとおしく思えるHAYABUSA。結果は知っているけれど、うぅ頑張れと唸ってしまう。あの難しい世界を面白いトコだけ引っ張り出して、観客にわかりやすいように映像化。脚本、大変な苦労だったろうと思う。1000を学び、知り、1を私たちに教えてくれているハズ。残りの999はわかりやすく解説されても、面白くない物語だろう。1のいいところだけ教えてくれる。いい映画を観た。

  「スカイホテル苅田」から、シネプレックス小倉へは30分ちょっとらしい。上映1時間前には走っていなければならないだろう。「苅田」は「かんだ」と読む。九州ではなくて、読めた人は・・・「復讐するは我にあり」を思い出したのではないだろうか。あの事件は、苅田からはじまるのです。包丁を買って、二人を殺す。その地で、今夜は寝る。

 ピラニアを書こうと思ったのは、スプラッター・パニックの割に、出来が抜群だったから。善と悪のはっきりした筋書きも、ピラニアには通じない。みんな食ってしまう。そりゃそうだ。ピラニアなんて、二昔前なら沸いたかもしれないタイトルも、今は古くさく思える・・・なのに、映画そのものはいろんな試み満載で新鮮だった。CGも、これがCGだぜなんていうイヤミがなくて、ちょっと手作り感あっていい。スプラッター・ホラーだから、飛び出す飛び出す!3Dやるなら、これくらい頑張らねば。3Dブームは3回目らしいけれど、私の知っているのは「ジョーズ3D」や「13日の金曜日3D」以来、二度目。やはり、3Dを楽しませるのは、ホラー、スプラッター、パニックといった徹底娯楽映画だろう。考えない映画の方が楽しめる。

 この映画、70年代に作られた同タイトルのリメイクで、当時、話題になったのは、映画そのものより、日本人女性がスタッフにいるということだった。今は日本人がスタッフロールで流れるのが当たり前になっているけれど、30年前は記事になることだったのだ。いや、ジェームス・キャメロンの初監督の方だったかな?・・・世界的に大ヒットした30年前のピラニアと比較にならないパニックぶりだ。また、残酷度も比ではない。曲芸のような殺され方する・・・ピラニアが食うだけでは面白くないから、小道具いっぱい。楽しませたい、そして恐がらせたいスタッフの気持ちがわかって楽しい。本作は来年早々、『ピラニア3DD』として続編の公開が控えている。日本ではピンとこないお魚さんだけど、見せ方が上手いので、本作を観た人は舞い戻ってくるかもしれない。

 あ、一本、忘れていた・・・『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』、素晴らしい。十代、二十代で満員の土曜日だったけれど、40年前の第一作を知っているのかしら?知らないと、エンディングを見て、パート2があるんだな!と思うだろうが、ないのです。40年前の映画につながるのですぞ。この映画だけでも面白いけれど、本作から第一作を観るより、古い映画「正」「続」「新」たちを観て本作を観たほうがずっと楽しめるように仕掛けている。シリーズ化され、その前の物語は多く作られ、ハズレが多いけれど、『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』は見事なパート0だった。新作の猿の惑星は90点。ピラニア3Dは・・・ <80点>

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スーパー!

2011年08月30日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_4 <小倉コロナシネマワールド>

 普通じゃない!普通じゃない人!って面白い。面白がっていればいいけれど、マジメくさって自分を主役にさせすぎて生きている現代の日本人、ムキになって怒ったりして、つまんない。きついジョークが通じなく、ちょっとしたことでも怒ったり沈んだりする。だから、映画もテレビも公平な路線になってしまう。日本映画、日本のテレビがつまらないのは、そういう人に合わせているからだろう。テレビ制作人が狂人すれすれの頃が、テレビは面白かった。見たきゃ見ろのような番組がたくさんあって、批難されるとなおさら楽しがって作り手は増長した。批難される番組ほど、面白いのだ。PTAがムキになるのを喜んだ。それは間違いなかった。番組だけではなく、人もそうである。普通に生きてても、普通じゃないことを考えて、言って、書いていたりする人の方が、接していて楽しい。毎日、違うことを伝えてくる。刺激が濃い。生活に関係なくても、やはり、奇想天外な毎日の方がワクワクする。なので、普通人に生きたかったとする私の一方の頭もあるけれど、普通では生きたくないという頭の方がでかい。

 そんなに特別なことではないと私は思っているが、今日もビジネスホテルに泊まって、これを書いている。「小倉西鉄ホテル」で、大浴場がある。北九州のビジネスホテルの大浴場で最も広く、清潔感がある。ここをビジネスホテルではなく、普通じゃなくて商人宿としたいところだが、じゃらんnetに商人宿はない。いくつかあたりをつけているので、次回、電話してみようと思っているが、LANケーブルをブラブラさせて、今のようにブログを書くなんてことはできないだろう。宿に日常のノートPCを持ってくるのもどうかと思うが・・・。

 私のブログは随分と変わった。たくさんの映画ブログを読ませてもらって、自分だけの映画ブログを書こうとしているうちに、ストーリーを省き、監督がどーした、俳優がどーしたと書かなくなって、評論でも感想でもなくなって、ついには映画ブログではなくなっていっている。少しは映画ブログらしく戻そうかと思っている。ということで、ここ数日、みんなの映画ブログをたくさん読ませてもらった。その中で、私だけのブログにするにはどうすればいいか・・・とりあえず面倒なストーリーは書かない。書きたいときだけにしよう。みんな冒頭に書いているし、上手くまとめたチラシの裏でいい。だが、読み集めていくと、その隙間というのが見つからない。二人で喋りながらなんていう独自の世界を展開している方もいらっしゃるので、私もと思うが、新しい手法は難しい。思い浮かばない。普通ではなく、ありたきりではなく、しかし、映画評となっているには?極端な話、いつも言っているけれど、投げ出してしまったらいいという意見もある。

 今日は、 『小倉昭和館』で、再上映の「ダンシング・チャップリン」を観るためにやってきたけれど、二本立ての「ブラック・スワン」の方がずっと楽しめた。実は2回目の映画館鑑賞である。1度目も面白い映画だなと記憶に残ったけれど、今回の方がもっと楽しめた。つい先ごろに書いた、2度目なのに・・・である。知っているほど楽しい。知らないであろう観客との心の共感、共有なのかもしれない。ただ、「八日目の蝉」と違って、「ブラック・スワン」は映画としての質がとても高い。これはきっと、何度観なおしてみても楽しめる作品のような気がする。主人公の肉体と精神のバランスの崩壊をこれほどスリリングに見事に描写した映画も少ないだろう。主人公が本当か、映し出されたソレが本当か、どれも信じていると観客はすっかり騙されてしまう。

 演出の冴えもさることながら、ナタリー・ポートマンの成長ぶり・・・いや、化けっぷりはどうだろう。「レオン」いや、「スターウォーズ」と見比べてみたらいい。ほとんど同じ顔だよ、スタイルも。でも、まったくの別人。ナタリー・ポートマンがそこにいるのはわかるけど、化けた化けた。女は化けるなあ・・・男優が化けることは少ないけれど、女優は化ける。化けるのいっぱい見てきた。現実の世界でも・・・。女は、物心ついたときから死ぬまでずっと女優をやっているのよ、女を演じているのよ・・・ある映画の女優の台詞である。にしても、ナタリー・ポートマンはすっごい女優に化けた。まだまだ若いけれど、そんじょそこらの女優陣を寄せつけない程だ。バレエダンサーの主役なんて役だけでもシコミ含めて大変だろうに、か弱い精神を抱えた堂々たる女優っぷり。

 あ、これは「スーパー!」のタイトルか。スピルバーグ製作の「SUPER8(スーパーエイト)」ではない。でも、今やさっぱりになったスピルバーグ監督のスピルバーグ製作「SUPER8」も悪くはなかった。前半部分は、若いころのスピルバーグ作品に似ている感じがして好き。自分が監督すればいいのにと思いながら観た。列車事故あたりまで、スピルバーグ作品を意識した演出になっているのかしらん?大人が寄ってたかって子供の言うことなど!としているトコなんて、じれったくていい。これ、後半部分は印象薄くて忘れてしまったけれど、もう一度観てみたい。燃え上がっていた時のスピルバーグの香りがプンプンした。あ、これは「スーパー!」のタイトルだわ(-_-;)

 R指定を受け、残酷な描写が多いのに、コメディで、進んでいくうちにセンチメンタル。脚本では理解できないとしてなかなかGOが出なかったらしい。というわけで、なんとか制作費250万ドル、日本円で今は1億8千万円くらい。制作費だけではアングラ並みである。全米公開とほぼ同時にオン・デマンドで流したらしく、興行収入はン千万円くらいになっている。映画館で儲けるつもりない映画だ。もしかしたら、日本での公開の方が稼いだかもしれない。なのに、リブ・タイラー、ケビン・ベーコンといった大物俳優を出している。大物俳優にこだわったらしいけれど、一人もギャラ払えないじゃないか・・・。一人ン億円級の俳優にどう支払う?このあたりの事情がわからない。

 レイン・ウィルソンが、不細工で超不器用に生き、ヒーローに憧れ、超現実的なヒーローとなる主人公を演じる。地味な俳優。45歳とは思えない、まだ若く見える。レイン・ウィルソンと結婚する女性が、美女のリブ・タイラー。とても釣り合いがとれない画としているところに映画の行く末がわかるようにしている。リブ・タイラーも34歳になったけれど、どんどん輝いている。45歳と34歳。日本では歳の差だと言われるけれど、アメリカではこれくらいの年齢差は、まったく歳の差に入らない。ブ男と美女に重きがあるのだ。ここで、連れ去るいけてる兄ちゃんがケビン・ベーコン53歳。えっ!53歳?とてもとても、日本では53歳で若い遊び人を演ずる俳優はいそうにない。ケビン・ベーコンは、俺に明日はない遊び人を楽しんでいる。レイン・ウィルソンの前に現れるかわいい女の子エレン・ペイジ24歳。レイン・ウィルソンからすれば親子ほど歳が離れているけれど、スーパーヒーローの相棒となる。また、中年男を本気でケロッと誘惑もしたりする。面白い役者を揃えて、とてもとても普通とは言えない、しかし真面目な映画を撮ったものだ。ジャンルとしては、ブラック・コメディらしいが、ヒューマン・コメディと言った方がいいかもしれない。私としては楽しめたが、つまらないと一蹴する人がいても気持ちはわからんでもない。

 人は誰でもコンプレックスを持っている。それが大きいか小さいか、多いか少ないかはそれぞれだが、なんとか頑張って人並みの暮らしを保っているのだろう。なにもない暮らしの中で、かけがえのない人をみつけ、夢が叶って、幸せの欠片をみつけたとき、それが消えたら・・・誰にでもある不安なトコロを衝いている。どうにでもなれ!という気持ちと、それを取り戻そうという気持ちが交差する。レイン・ウィルソンは、悪をやっつけるスーパーヒーローへと化けようとする。悪に妻を取られてしまったからだ。映画やテレビでは、ヒーローが美女を助け出すことになっている。空想と現実の交差。しかし、自分は善ではないとも思っていて、ここが単におとぎ話のような物語にしていない面白いところ。リアルに描いている。悪をやっつけて、失敗もするし、やりすぎてグチャグチャにもしてしまう。手加減もわからない。手加減してたら自分がやり返されるかもしれないのだ。

 暴力シーンは痛々しく描かれ、やられたら本当に痛い。小さな傷でも痛いものは痛いのが現実で、足なんて撃たれたら歩けないに決まっている。まだ歩けるのがドラマだけれど、この映画では歩けないのが本当だとしている。笑えそうな予告だったが、勇気湧きつつシュンとなる映画だった。エレン・ペイジの最期なんてあっけない。必要以上にキャピキャピして元気だったから、画面が寂しくなる。話しが進んでいくうちに、善対悪の構図が、どうも悪対悪のような感じがしてくる。人は歩くたびに、喋るたびに複雑な道に入り込む。気づいて引き返そうとしてももう過去は振り向かない。振り向くから、私たちは小説を読み、テレビを見て、映画も観るが、この映画は現実を知らせてくれる。残酷描写が多いけれど、全体を通しても今を生きる人には残酷な映画かもしれない。

 明日はまた「午前十時の映画祭」である。毎週だと、毎週のビジネスホテルになってしまう。ではいかんので、しばし明後日以降は休憩。稼ぎに追いつく貧乏なしであるから、せいぜい頑張らねばなるまい。追いつくと言えば、9月から書きはじめた2011年も、10月半ばで追いついてきた。書きたいものだけ書いたからで、2011年までのようにすべてではないから、偉そうには言えないけれどネ。

 このブログは友達、知人に知られていないブログ。つまり、6年も続いているのは、会ったことも見たこともない人たちに支えられたおかげ。エンディングタイトルにはちと早いかもしれないが、special thanks なのであります。2011年12月31日にマイベスト10を記すことができそうです。  <80点>

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ムカデ人間

2011年07月06日 23時00分00秒 | ま 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_3 <小倉コロナシネマワールド>

 今から10年前になる話しだが・・・「わがまま言ってごめん。もうそろそろ仲良ししよう。」と言うと、「私たち、仲良しじゃない。」と、ケロッと笑って私を見た。13歳も歳下の彼女だった。オレなんてまだまだ、彼女に比べたら子供だなと思った。ずっと一緒に居たのに、丸々二日間、なにも喋ってなかったのに・・・。「仲悪かったけ?」でもなく、「仲良しじゃなったっけ?」でもなく、「仲良しじゃない。」と言い切るあたり、ますます大人である。こんなことは十回、二十回ではない。ン百回もあった気がする。だから、ン百回も、私はまだまだ子供だなと思ったわけだ。男なんていくつになっても子供、大人ぶってるだけで、女には敵わない。所詮は男は女から生まれ出たもの。両親どちらも必要と言うけれど、ほとんどの動物の世界は、オスは種付けするだけでトンズラし、出産も子育てもメスだけが行う。生まれた子供たちも、メス親についていくのみ。動物のドキュメントを観ていると、父親って要るのかと首をかしげる。とにかく、女は強い。男は女を守っているようで、実は守らせてもらっているような気がする。大事なところは席を譲られ、男は威張っていたりする。それで、プライドは保てるのかもしれない。まあ、勘違いしたプライドを高くしてギャンギャンと噛みついてくる女性もいたけれど・・・。

 テーマパークの絶叫マシーンなどをながめていると、手をあげてキャー!と笑っているほとんどは女である。男はじっと黙っている。絶叫マシーンは恐いわけで、手をあげたり、声を出せるのは余裕がある。本当に怖いときは、手を握り締める。広げたりできないし、とてもとても声など出ない。小さな声で「ふぇ~」と吐息を漏らすのとはちょっと違う。女は堂々と悲鳴をあげて楽しみ、男は黙って震えている。震えるのも楽しいものだが、喜び方が対照的だ。

 映画の世界には、ホラーやスプラッターなるものがある。意外や、この2つのジャンル、若い女の客が多い。男もきているけれど、ちょっとマニアックひとり者か、もしくはカップルが目立つ。女は観たいけれど、一人で行くのは人目があるので、彼氏にせがむと聞いた。特に、ゾンビなるスプラッター。女は血みどろ映画に強いという。男が、血みどろ映画には弱いのは、観客を見ているとよくわかる。びっくりするカットでも、女はキャッ!と、ちゃんとスクリーンを観ているのに顔を手で覆ったりする。指は見えるようには開いている。男は目を瞑るのも間に合わず、たじろぐように目を見開いて喉から息を呑んでいたりする。こんな血みどろ映画は笑って観ていればいいのに、文芸ドラマの大事な台詞を聞き逃さんとするかのような身構えだ。なんて、男はだらしないのだろう。まあ、いい。男から見れば、大抵の男は腑抜けでだと私は思っている。「心強い」「頼もしい」「優しい」なんてことは、普段からは見えるはずもない。上っ面の言葉で、そういう大事なことは、いざというときに出せばいいものだろう。いざという時に出せなければ、男としては難儀だ。

 が、ホラーやスプラッターとは別に、もうひとつとんでもないジャンルの映画がある。スプラッターに近いものかもしれないが、観るとほど遠い。「ゲテモノ映画」と呼ばれるものである。1970年代にたくさん輸入され、映画館で観たが、気持ち悪く今でも頭に残っている。1990年代は輸入されたものの、映画館ではほとんど自粛され、ビデオレンタルのみであった。もう、死体愛好だのがホンキモードで展開される様は、吐き気さえした。大阪には、こういう誰も知らない映画をかける「ホクテンザ」があって、私は朝までハシゴの間に入れて観た。興味はあるが、本当の意味で気持ち悪いシロモノだった。こういうゲテモノには、女の客はいない。男ばかりである。普通の神経では鑑賞できないだろう。ホントーに、映画はなんでもやりやがる。

 本作は、大都市圏のみで公開のはずが、コロナチェーンのおかげか、フィルムが安く入ったか、小倉の地までやってきてくれたゲテモノ映画である。こんな映画、よく地方都市まで入ってきたこと。この頃、ゾンビものも来なくなったというのに・・・捕まえた人間3人の口とケツをつなげて、ペットのムカデにしてしまう狂人、変質医師の物語である。なにをしているのやら。物語というほどのものでもないけど・・・。アホ面して、恐いもの見たさで、期待せず観ても、観客のなにを喜ばせようとして作ったものかと首をかしげる。オランダ映画だって・・・持ってきたなあ。

 しかし、ゲテモノ映画は、お得意なドイツをはじめ、まだまだ世界中で作られているはずであり、ハリウッドも地味にアングラで公開されているらしい。ハリウッドのR指定は日本よりずっと細かく一歳一歳分けられている。制作費も微々たるものだし、儲け少なくして錯乱の世界に浸るようにしてあるようだ。偽物の民主主義とは違って、本物の民主主義国家は、映像の世界は自由自在。今の日本で、ゲテモノはとても作れないだろう。本当は知りたいけれど、お行儀よい国だから、昔からないけどネ・・・。

 人間は理性ある。理性ある人ほど崩れたら手が付けられぬ。また、理性ある人ほど、それを壊すのは簡単なのだよ・・・何の映画のセリフだったか。理性ある大人は、とても凝視できるシロモノではない映画を久しぶりに観た。も少し、楽しめたらよかったんだけど・・・。内容がなさすぎる。設定は「テキサス・チェーンソー」に似ているが、映画としてはキリの方であった。  <35点>

 

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ロシアン・ルーレット

2011年06月18日 23時00分00秒 | ら 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2 <シネプレックス小倉>

 いよいよ10月、朝は肌寒い。さっと180度気分を変えて、長袖にジャケットを羽織ってでかける。小倉昭和館の『勝新太郎&若山富三郎特集』を観て、明日の朝から「午前十時の~」を観る。というわけで、今夜は小倉東急インから、このブログを書いている。家ではテレビを見ないのに、ホテルではテレビをつける。ナニコレ珍百景3時間スペシャルをやっている。あれは、深夜番組の頃が面白かった。・・・映画を観るのに宿泊とはなんぞやと思われるだろが、毎日、人と違ったことをするのが、私が朝起きる理由の一つということになっているので、仕方ない。ありきたりに生きたいが、ブログタイトル同様、放浪するのが好きである。

 『勝新太郎&若山富三郎特集』は全部で6作品、毎週2本立てで、「続・座頭市物語」「座頭市と用心棒」、「悪名」「兵隊やくざ」、「人斬り」「子連れ狼 子を貸し腕貸まつる」となっている。毎週、観に来ていて、今日は最後の週。勝プロダクションの娯楽映画にハズレと思ったことがない。私が生まれた年の前後の時代。どれも残る。こんな映画があるのに、まだ日本は映画を撮り続けるのね・・・。久しぶりに私の先生であった依田義賢脚本、宮川一夫キャメラマン、森田富士夫キャメラマンなので、この特集は、また後日、記す。

 休憩に入り、さて観ようと館内に入ると、70代後半か、80代前半のおじいさんが、通路にしゃがみ込んでいるのが見えた。観客もおじいさんに注目している。女性の係員がやってきて、立たせようとするが、駄々をこねはじめた。「腰が痛いし、足が悪いの!」映写室の初老の男性も現れ、立てないなら救急車を呼びましょうと言うと「お金がないっちゃ、お金がないし、お腹空いたけー食堂に連れて行け!」かなり大きな声で、元気がいい。結局、初老の男性がおんぶして、ロビーに連れ出した。その間も「お金がない、足が悪いのにわざわざ来たけ、あんたええトコの食堂に連れて行け。おいしいとこ。お金ないけー、あんた出せ。」とわめいている。お金がないのは本当だろう。お腹が空いているのも本当だろう。それでも入場料金を払って、勝新太郎と若山富三郎を観に来たのだろう。老いた寂しさ、孤独を思う。

 小倉東急インに荷を解いたのは、大浴場があるからだ。私は子供のころから温泉が好きだ。私の十代後半、温泉ブームと言われて以来、まだ温泉ブームらしい。全国に日帰り温泉ができてからは、あちらこちらの日帰り温泉に入った。20年前は考えもしなかった日帰り温泉の乱立。大阪には数か所しかなかったけれど、私が大阪を後にする頃は、分厚い日帰り施設専門の情報誌まで出た。それを片手に、あちらこちらをまわった。温泉は好きだ。が、泊まるを合わせると高くつく。旅館になってしまう。旅館の一人は高すぎる。ところが、最近はビジネスホテルも大浴場、温泉付きが増えてきた。9月からいくつか泊まっているが、大浴場のあるビジネスホテルを探すのに、そんなに苦労しない。また、付加価値としてだけで、料金が高いわけではない。北九州市と検索するだけで、10か所以上のビジネスホテルがひっかかる。ここから歩いて、明日のシネプレックス小倉まで徒歩10分かからず。もちろん、遅刻しないために朝食付きである。

 本作を観たのは、4ヶ月前の6月。小倉東急インのベッドの上で書くとは思ってなかった。セミダブルで、枕はテンピュール。なかなかよろしい。書き終わったら夕ご飯を食べに出かけよう。毎日の暮らしに困る貧乏人の大贅沢。・・・このB級映画、とても豪華な配役となっている。主役級と渋い脇役が全員、脇にまわって、雑としているから、主役級でも最後まで生きているだろうとは想像はつかない。ミッキー・ロークのなんとも安い扱い方!でも、若いころ、若い女性ファンにチヤホヤミーハーされていたときより大好き。もうひとつの俳優生活である。別人となって帰ってきて、おかしなことをしてた割には、人相、皺が悪くない。若いころよりトゲが取れて柔らかく見える。善人も悪役も正体不明もなんでもできそうだ。

 ロシアン・ルーレットで金をモノにする為、男たちは集められた。それだけの単純な物語だけれど、それだけに、彼らの精神描写がたっぷりと楽しめるようになっている。B級で、それもサスペンスだから、シナリオと演出に凝っている。ロシアン・ルーレットのシーンが最高のハズだけれど、それに至るまでも、その後の展開もめまぐるしい。地味に公開されていたが、いまこのシネコンでやっている映画の中で一番、観客自身の憂う日々を忘れられるのではなかろうか。・・・ラストの走り方が上手い。シナリオ、演出、撮り、編集が、観客を大慌てさせて、マンマとエンドとなる。ラストカットのやや長めのフィックスがまたいい。つなぐだけではない。息と間って本当に大切だなと思う。

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 ネットで調べて、近くのラーメン屋へ。来々軒・・・いい名前。昭和二十何年創業とか書いてあったぞ?老夫婦が朝3時まで頑張っているらしい。濃い豚骨の香りが遠くまで漂う。とても美味しいラーメン550円。食べながら、明日の夜もここへ来ようかな?と思う。私の晩御飯代は、だいたいこんな程度である。しばらく歩いて高い店ばかりだったら、ほっともっとへ行く。さあ、明日は午前十時だ。一日二回やればいいのに・・・。昨日の夜からずっと雨が降り続けているけれど、ここ数年は冗談のひとつも言えなくなったけれど、お金もないし、遠くへ行く時間もないし、相手もいないけれど、なぜか今日は気分がいい。この気分をつなげていこう。死ぬのは恐くない。が、もし今日だとしたら、身勝手ながら、それはちょっと惜しい。  <85点>

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プリンセス トヨトミ

2011年06月06日 23時00分00秒 | は 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo <小倉コロナシネマワールド>

 ブログは自分の日記だもの、書いた責任はあるけれど、自由に書いていい・・・そんな議論が5年前に展開した。5年も前に?まあ、私も長くブログを書いたこと。お行儀よく書いてもつまらないので、途中から好きに書いてきた。ブログは姿勢を正しても、ツイッターでは胡坐を組んで本音をつぶやく人が多い。ブログではわからなかった人格、性格も読めるときがある。私はブログで本音を書く。多くの人のツイッターを読んでいると、あれは体のよい2chのように思えるから、私はやらない。誹謗中傷の反論がないだけだ。だが時に、ツイッターの一言は、構成を考えた文章ではないだけに、その人の本音そのもので、生身の人間の心臓一撃にもなる。だが、私のブログはお行儀よくない本音だから、悪意はなくても読み手によっては心臓一撃することもある。そのせいで、数年前、大攻撃を受けたこともある。好き勝手に書いてきたし、書きたいが、ここしばらくの前文を削除した。

 先日、「八日目の蝉」という映画を観た。 そんなに印象深い映画ではなかったが、番館落ちした「奇跡」を観たく、同時上映だったのでまた観た。一度目は印象に残らなかったけれど、二度目はラストカットまで覚えているのに、じっくりと楽しめた。スゴイと思わせる映画でもないけれど、二度目の方がずっと楽しめたのはなぜだろう。まわりを見る余裕があったからか。印象深い映画になった。一週間しか生きない蝉の中で、八日間生きた蝉の最後はどうであろうか・・・仲間がみんな死んで寂しい思いをするか、もしくはみんなが見られなかった素晴らしいモノを見ることができるかもしれない。

 ここのところ、蝉の世界も、ちょっとおかしなことになっているらしい。蝉の命は一週間のはずが、平気で十日も、長いのになると二週間もミンミンいっているのだと。人間や動物だけではない。虫の世界も同様、長生きで元気になってしまったのだ。もちろん、免疫力を持つ前に絶滅していく動植物も多いけれど・・・。蝉は環境に強いと言われている。都心のど真ん中の排気ガスをまき散らしながら両側を走る車の真ん中で、ミンミンと元気だ。環境汚染、公害なんてものが、蝉の寿命まで延ばしてしまったようだ。一方、別の免疫力も落ちていっているはずで、人の場合、多くは癌で亡くなるようになった。蓄積されて元気に生きても、その限界があるのだ。いますぐ影響のある問題ではない放射能と同じである。

 二週間も生きている蝉だけれど、まあ、土の中にいる時間から比べたら短いものだ。蝉の寿命って本当にあんなものなのか?私は、子供の頃に「蝉は土の中に7年もいて、一週間しか生きられないのよ。」と聞かされた時から、蝉の一生は土の中にあると思っている。土から出てくるということは、死を意味する。ようやく土から出られて死ぬことができるとする蝉もいようか。蝉は土の中で生き、なにかを見つけ、達成し、または挫折し、苦しみ、笑い、そして死へと羽ばたくために空を見上げる。ませたガキだが、そんなことを考えていた。

 死への恐怖が、私は他人よりそんなにない。死への恐怖は、そこに至るための痛みや苦しみであって、この世から消え去る死は、それほどイヤではない。生きているからには役割があり、なにか成せばならぬことがあり、それは自分の為ではなく人の為であろうが、自分勝手なことを書かせてもらうと、イヤなことでもない。親不孝を重ねてきたので、両親より先に死ぬ親不孝だけしたくないとは思うが、なにか過ぎれば、私は土から出て、空を見上げたい。ほとんどこの世を見ていないので、わかったようなことは言えないけれど・・・。命は地球より重いって本当かしら?どうも地球の方が大事な気がする。気力がないわけではない。生きているのではなく、生かされていると思っているので、それまでは働き、人を楽しませ、人が楽しんでいるのを見て自分も楽しむだけだ。なるべく苦痛は与えたくない。どんな目に遭っても、私は人が好きであるから、映画も観ている。

 あちらこちらに話が飛んだが、本作「プリンセス トヨトミ」を二度観たら、なにか自分の人生に与えるモノが見えてくるだろうか?2時間のうち、最初の1時間が興味津々の面白い物語である。後半1時間、ここからだぞ!が、どんどんしょぼくれてきて、この非現実的な世界を見ているに堪えられなかった。非現実をすんなりのみ込める作品も多いが、この話、でかすぎるのに、作品そのものにまわりが見えてなくてアラが目立つ。丁寧に撮っている割には、切り返したカットのつながりがおかしい。撮りを気にして観ている人は多くないだろうが、そんな細かな、普通では気づかぬところで落としていると、実は潜在的に全体に響いてしまうのだ。

 こじんまりと始まった物語が、どんどん膨らんで壮大になっていく様子は圧巻だが、なぜ大阪に人がいなくなるのやら。大阪にいるのは大阪に住んでいる人ばかりでもあるまい。観光客や出張してきた人も多いハズ。だーれもいない大阪駅前、新世界、道頓堀を映し出すが、それは映像の面白さであって話の面白さではないから、説明不足だ。ここで、私は完全に冷めた。CGの大阪府庁前と人の群れも映像的には凄いが、ただながめているだけの映画になった。尻すぼみである。

 映画が好きなのは、人を描いているからである。私は孤独も好きだが、人も好きだ。なので、孤独の中、映画を楽しむ。両方、楽しんでいる。映画がずっと丹念に人を描き続け、それを感じさせることができているならば、私は死を恐れているかもしれないと、意外にマジメに思う。映画は、人間関係が濃かった時代が面白かった。現代のように、あっさりしたもの、希薄になってしまっては映画も並ばねばならぬだろう。逆に、映画が面白かった時代は、苦しくとも、世の中も面白かったのだろう。なければ困るインターネート、メールも希薄さを後押ししている。これだけ通信手段があると、人は顔を合わせる必要もなくなる。目を見て語らねばならぬことも、メールで済ませるようになった。

 二週間も生きている蝉は、なかなか死ねないと嘆いているかもしれない。人は意思を持っている。だから、生かされ、役割がある。だが、蝉に二週間の役割はあるのだろうか。14日目の蝉は、なにを見るのだろうか。  <40点>

 

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これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫

2011年05月06日 23時00分00秒 | か 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2 <小倉コロナシネマワールド>

 この十数年、子供に虫歯がなくなってきているという。クラス30人に2人か3人、あって一本。虫歯が二本あれば、虫歯だらけだなぁと言われるらしい。平成生まれの子供たちである。私の子供の頃と逆である。虫歯のない子供が珍しかった。虫歯が消えていく・・・食べ物、磨き方など、以前と大きく変わったものはなく、この理由は、まだわかっていないというが、脅威に感じているのは歯科医師をはじめとする虫歯で稼いでいる人たちである。このままいけば、今の子供たちが年寄になるころは、入れ歯がいらなくなるかもしれないと、先を思う医師は言う。インプラントなんて技術が昔はあったなあ・・・と。

 人から虫歯が消えることがあるなんて!がしかし、虫歯が当たり前という時代は、私たちが知る時代だけなのである。日本の歴史の中で、虫歯が増えるのは、戦後昭和二十年初めからで、最も多いのは高度経済成末期である。1980年後半あたりから、虫歯はどんどん減ってきた。江戸、明治、大正と、日本人はそんなに虫歯はなかった。歯磨きも歯磨き粉もクチュクチュもない時代の方が、日本人は歯が強かったのである。歯を丹念に磨きはじめる人が増えて、虫歯も増えた。さて、虫歯のなくなった子供たちを前に、歯科医師たちはどうすればいいいか。

 私の子供の頃、犬や猫に虫歯はなかった。野良犬や野良猫はどこでもうろうろしていたが、虫歯で苦しんで、頬を氷で冷やしている犬猫はみなかった。・・・人に虫歯がなくなる?ならば、犬猫を虫歯にしてしまえばいい。現在、犬や猫の為の歯の治療所がある。これが大流行で、予約待ちらしい。なぜ、犬や猫が虫歯になったのか。答えははっきりしていて、人間が磨いてあげたからである。金あまりの贅沢、人間関係の薄さも手伝って、ペットの歯をかわいいかわいいと磨いた。いや、磨いたというより、その前に磨かせた人たちがいる。磨かせることによって虫歯になることを承知して、勧めた。あちらこちらで虫歯の犬や猫が出てきた。虫歯で苦しむペットを見て、あら痛くてかわいそうねーと、病院へ連れて行く。保険のきかない歯の治療を毎週、予約していくことになった。やりましたね、新商売。お金と時間をどんどん使っていただける。今のガキは虫歯にならん。でも、犬や猫を虫歯にしてしまえば、また新たな展開が期待できる。このままいくと、総入れ歯の犬を散歩するインプラントのおっさんおばさんが、あちらこちらに現れるだろう。

 私は野良猫を相手にするくらいで、飼う余裕なんてないから、金あまり人の道楽なんぞはどうでもいいことだが、ノセられて歯磨きさせされて、自分のペットを虫歯にされて、それで腹が立たないの?と、不思議に思う。犬や猫の虫歯の心配なんぞ、昔はしなかったろう・・・それも自分が可愛がるペットを前にしたら忘れてしまったか。深く考える必要のないことだ。新しい商売に染められたのである。でももう、虫歯になったからには、ずっと歯を磨き続けけなければ、どんどん悪くなる。これは、人も同じである。だったら・・・人も生まれて一度も歯を磨かなければいいの?諸説あるが・・・そうだという説に私は手を挙げている。

 「天才バカボン」の漫画の中で、虫歯になった犬がいた。歯を磨くのだぁぁぁぁああー。虫歯になって苦しんでいる犬などナンセンスで、大いに笑った。泣いている犬に歯を磨くバカボンのパパも滑稽だった。非常識を集めに集めた世界が、今の常識になっている。あり得ないから、虫歯で苦しむ犬を描いた。犬に歯磨きするバカバカしさを私たちは楽しんだ。

 狂気の世界は、時代が変わり、正気の世界となる。だが、正気こそ狂気なり。正気と思われているモノを、私たちはどこかで違うのではないか?と、立ち止まって見る常が必要だ。でないと、今年の夏の節電のウソさえも見抜けない。陰から、身の危険を感じる言葉でも下さないと、府知事のようにいつまでも、ウソだ!節電しない!と、つっぱねる人がいる。原発は国益のために必要だから、国も必死だ。新たなエネルギー開発は、利益のまわりどころのプランが立っていない。お金にならんことは、基本的に国も人もしない。「敵機は鹿島灘上空にあり!」から一転して数秒後に天皇の放送・・・日本は大本営発表のまま、今に至っている。あまりに正直に生きているとバカをみる。節電節電と声高に言うなかれ。クーラーを切って、今年はどれだけ熱中症で命を落としたことか。そんなの知らねえでは済まされない。

 話しがそれた・・・本作は、赤塚不二夫の狂気の部分をもっと大胆に描くべきだった。そして、ナンセンスな世界に観客を浸らせるべきだった。とてもまじめでお上品な仕上がりになっている。それも、みんな遠慮してギャグらしきことを淡々とやっているのみ。つまらなさすぎる。赤塚不二夫という人は常識人だったらしい。またシャイで、照れ屋で、断れない性格だった。人生の後半は、アルコール依存症になったけれど、赤塚不二夫は若いころは下戸だった。若くして人気者となり、あちらこちらのパーティに呼ばれ、呑めないのに最後まで席を立つことができない遠慮がちな性格が災いした。「私、中座させてください」と、そのたびに言っていたが、数百人のパーティから、二次会、三次会とつき合わされ、結局、朝方、最後の数人になるまで居るという人だった。気が弱かったとも言える。厚顔無恥になりたい・・・それを漫画にしたが、現実でも自分がなりたかったのだろう。赤塚不二夫は最後までシャイで、照れ屋で、断りきれない性格のまま、アルコールだけ残された。

 真面目な部分を描くのは良い。しかし、この映画では、不真面目さを出そうとしている。不真面目だったら、あの漫画たちのように、徹底的に不真面目にすればいい。漫画たちに溶け込んでしまう原作者。しかし、人を描くなら、中途半端ではついていけず、ついていきたくない。真面目に描き、タイトル「これでいいのだ」の後は「人間★赤塚不二夫」で。こんな中途半端で、ひとつも笑うところなく、胸にも響いてこない映画だとは。「下落合焼き鳥ムービー」を撮った山本晋也監督に、久々にメガホンを任せたら、とんでもないシロモノになっていたのではないかしら?また、赤塚不二夫なら、誰に監督を頼むかと言われたら、きっと山本晋也と答えたろう。せっかくの題材で、何も残らない2時間だった。

 犬や猫が歯医者に通わされる現代を赤塚不二夫はどう見るだろうか。「先見の明があったわけじゃないよ。絶対にありえないことを描きたかっただけ。犬の虫歯の治療に行く?そりゃあ狂気だね。」・・・狂気の世界を描き続けた漫画家は、狂気を知らずしてこの世を去った。  <35点>

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デッドクリフ

2011年04月19日 23時00分00秒 | た 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo <小倉コロナシネマワールド>

 私は寝ると必ずと言っていいほど、夢を見る。それも長い夢だ。起きて覚えているだけでも、10分~15分はある。思い起こすと、構成も台詞も夢とは思えぬほど、意外にしっかりしている。100回寝たら99回は夢を見る。夢は現実よりも楽しい。ありもしない風景をよく知っているとし、行ったこともない道を何度も歩いているものとして通り過ぎる。初めて見るハズの建物に懐かしさを感じる。新幹線に乗っているのに、横を走るモノレールの方が速く、あちらに乗るんだったと嘆く。アクセルとブレーキが逆の車を運転し、これからの時代はこれですと説明され、納得する。もうムチャクチャ、わけわからぬところが楽しい。しかし・・・山田太一ではないが、飛ぶ夢をあまり見なくなった。飛ぶ夢は、それだけで楽しかった。

 低血圧のくせに睡眠時間が短くて、起きたら不機嫌な私だが、寝るのが楽しみである。夢を見る楽しみがあるからだ。その夢で、何度も何度も繰り返し見る物語が2つある。27か28歳あたりから見はじめた。とても長くて、毎回、設定もほぼ変わらず、構成もほぼ変わらず、台詞もほぼ変わらずで、エンディングもだいたい同じという夢がある。これはもう、100回以上は見ているのではないだろか。20年で100回。よく見ている。夢の中で、夢だと気づくことが幾度かあった。違う行動を取ろうとしたが、うまく迂回して、元の構成に戻された。夢と気づくと、今度も違うことをしてやろうかとちょっと思うが、流れにまかせておいた方が気持ちいいから、最近は放っておく。すると、やはりそのまま構成と台詞は変えられず、エンディングとなる。私の台詞も言い方は違うけれど、筋を運ぶように喋る。私がこの夢を放置しているのは、エンディングがハッピーエンドだからである。覚めた時のことは、夢の中では忘れている。

  この夢の登場人物は私を含め、だいたい6~7人。いつもの顔ぶれである。会ったこともない人もいるけれど、過去に私の傍にじっと居た人は必ず出る。出ないと、話しが前に進まない。過ぎ去った・・・つまり過去・・・つまり去った過ちをハッピーエンドとして夢に見ているのである。過去はすべてあやまちか。どうだかわからない・・・過去は過ちと書くけれど・・・。そんなこんなで、ハッピーエンドが終わると、ふっと目が覚める。私は起きなおしても夢の続きを見たりするけれど、この夢に続きはない。寝なおしたら、別の夢に変わる。実はこの夢、20年前の現実と似ているところがあり、そしてまるで違う物語である。似たような現実。それを夢の中でハッピーエンドとしている。あの時は、ハッピーエンドではなく、今もその後遺症らしきものが頭の中にある。いつまでも、夢の中につきまとう。そろそろ卒業させてくれないかしら。

 そんなワケで、夢はハッピーエンドでも、起きたら悪夢を見たと思ってしまう。起きた時の気分を夢の中ではわかっていない。起きてから数時間はモヤモヤしている。人には二つの後悔があり、一つ目は「ああすればよかった」、二つ目は「あんなことしなきゃよかった」である。あんなことしなきゃよかったという結末のわかっている後悔が多いから救いはあるが、いつまでもしつこく心の傷をかきむしっているらしい。包帯したはずだが、消毒をし忘れている。ハッピーエンドにしようとする生身の人間の悪夢。私はどんな、か細い膚をさらして、感性だけで生きているのやら。夢では楽園、起きれば最悪。この夢、どういうわけか、見飽きない。

 自分の悪夢はイヤなものだが、映画の悪夢はゾクゾク楽しい。我が人生に関係なし。その時間だけが楽しければいい。映画は空想の世界で、現実ではないから、悪夢は厳しければ厳しいほど面白い。他人の悪夢を楽しがるのも人間である。他人の人生を覗いてみたいという俗で不純な気持ちがなければ、映画なんぞ観ても仕方ない。ドラマを観るはじまりは、そういうところにある。ここが、音楽に浸ったり、絵画や写真を鑑賞したりするのと大きく違う。小説や舞台や映画とは不純なものなのだと思っている。

 びっくりするほど、たくさんの悪夢をつめこんだ映画を楽しむことができた。他人の悪夢は楽しい。むちゃくちゃだから、尚、楽しい。「デッドクリフ」は、「レッドクリフ」のタイトルをぱくっているようだ。原題はまったく違い、B級のサスペンスジェットコースターアクションホラーなので、こんなアホらしいタイトルを付けている。「ミスター・ブー インベーダー作戦」ほどではないが、宣伝部もなかなかふざけてて嬉しい。この映画、ハリウッドではない。珍しくフランスのB級ものだ。それだけで、観る前からソワソワする。ここんところ、フランスからお堅い映画がこなくなった。そのかわり、B級ものがくるようになった。

 理屈こねたり、分析するのが好きな映画ファンが多いので、いろいろ書くことだろうが、つまんない日常、しんどい仕事、嫌な奴らを忘れる時間のための、超娯楽映画である。こんなことあり得ないから、身につまされるだの、地域性だの、自分の日常と比較してだのなんて思って観ると、シラケる。

 ほぼ、何かのパロディになっている。いろんな映画のハラハラドキドキさせるシーンを寄せ集めて、よくまあひとつのストーリーにきれいに結びつけたものだ。感心する。山に登るシーン、死と同居した危機の連続は、手に汗握る演出、カット割り、丁寧できれいなカメラワーク、生々しい現場音、高揚させる音楽たちが盛り上げて、A級の色である。CGを使ってないんだと・・・嬉しいけど、お金がないのじゃないかしら?絶体絶命の激しく動きながらの台詞も面白い。この台詞で、彼ら彼女の人間関係がよくわかる仕掛けとしている。日本映画だったら、一秒を争う危機にでも、じっと止まって台詞を言うぞよ。登りながらでいいのに、縄梯子に立ち止まったまま、上を見上げたりなんかして・・・その台詞に感極まって涙ぐんだりして・・・。ハリウッドもそんなことしないし、もちん、フランス映画もお涙はない。急ぐべき時は急ぐ。

 いいとこ取り寄せ集め映画の楽しさ。山岳アクションだったのに、後半押し迫って、これも詰め込めろと、「13日の金曜日」みたいになってしまう。あんた誰やねん!の殺人鬼が登場。B級でござい!山だろうが谷だろうが湖だろうが、異常な殺人鬼に追いかけられる若い男女の物語と化ける。山の頂上付近だから、とりあえずここで撮影。アホらしくて素晴らしい。こいう映画、大好き。最初がなんだったのかわけわからなくなって、どうでもよくなって、もはや、その場その場のシーンを面白がる映画だ。・・・こういう映画が1/3くらいほしい。昔の映画館は、この手の映画がゴマンとあった。ただ、二番館、三番館の3本立くらいがちょうどいいけれど、そんな時代はとうに過ぎた。1本で、正規料金で観るしかない。再上映なんて絶対にない類の映画だから。  <75点>

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午前十時の映画祭 ~赤のシリーズ~ その1

2011年04月07日 23時00分00秒 | か 行 (2008.2009.2010.2011)

 このところ、個人的な頼まれごとが多い。ほとんどがパソコンでの作業で、時間を食う上に経費も多くかかる。相手は、時間もかからず、タダに近いと思っている節があり、「ありがとう!」で済ませる。断れない私の性格を知っているからというのもあるだろうが、先日のビデオを撮影し、DVDに焼きこみ、ケース化粧箱を作成・・・などは、もう仕事のようだった。外注費もかかった。撮影してあげましょう、タダでいいですよーとは言ったけれど、モノを見れば、どのくらい経費がかかったかわかる。私だったら、これは大変だと電話して相談するけれど、留守の間に届けた相手からは電話すらなく、メールだけだった。「お礼なんていらないですよ」とは返事をしたが、ショートメールでことを済ませるものではない。水の一杯くらい、くれ。喉が渇いている。ナメられている。

 9月後半になってもどうもしっくりこなくて、むしゃくしゃする。貧乏なのに、ますます貧乏になっている。これも嫌な連鎖だが、貧乏な連鎖は連鎖を呼び、また一泊二日の小さな旅をする。恋人と友達は割り勘だが、他の多くは私が出すという人生になってきていて、今もなっている。ケチな方ではなかったから、いつまでも貧乏だ。私の人生には、金銭的に大損害を被る出来事が3度あった。とても半端な金額ではなく、あんなことさえなければ、私には余裕があったろう。貯金もしこたまあったろうと思う。話せば長いが、誰にも話してない。神経科の主治医にも話していない。私がパニック障害の原因となった決定打だし、しっかり話さなきゃならん相手だが、この出来事は一人かかえたまま、墓場まで持っていこうと決めている。というわけで、日常の嫌な出来事から逃げるため、今回は門司の和布刈にやってきた。現実逃避は楽しい。

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 和布刈は「めかり」と読む。松本清張の小説に度々出てくる地名である。下関とは目と鼻の先で、直線距離だと海を隔てて500mしかなく、歩いて九州へ渡ることのできる人道トンネルもここにある。下関の対岸、門司の和布刈、小高い山に『めかり山荘』という国民宿舎があって、さようならキャンペーンをやっている。2012年3月で48年の歴史に幕を閉じるという。私と同じ年である。この頃は、デフレのせいで、一流ホテルもビジネスホテル並みの料金で投げ出すところも多く、ビジネスホテルも四苦八苦なので、こういう公共の宿にはみんな振り向かなくなってしまった。ロイヤルホテルが、当日の夕方に5,000円で投げ出したのにはびっくりした。他を潰すような酷なやり方だ。

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 ここへ泊るのは4回目。人は少ないし、大浴場はあるし、一人で和室7.5畳は快適だし、朝飯も美味く、昭和の華やかだった香りがたちこめて気に入った。今日は傷心のアラフィ一人。アルフィではなく、アラフィ。ありがとう価格で一泊朝食付きサンキューの3,900円。夕食をつけても平日であれば6,000円である。アラフィは、じゃらんポイントを使って4,500円で一泊二食付を予約していた。泊り客は全部で6人だった。これでは儲かるもなにもあったものではない。・・・窓から門司と下関が見える。左手前が九州の門司。真ん中の湾のように見えるのは関門海峡で、右手が本州の下関である。リゾートホテルが建っていそうな場所である。そこに、高度経済成長の名残のような国民宿舎がある。建物の大きさの割に、エレベーターが一基しかない。今の建築では消防法にひっかかりそうだ。

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 夜景は見た目よりも写真の方がきらびやかに見える。見た目はこんなに明るくはない。携帯カメラはよくできていると思うが、所詮は携帯についたカメラで、画素ばかり強調して、大きくするとたいしたことない。美味そうに見え、美味しかった夕食もまずし感じだ。そんなに腹は減っていないのに、おかわりを3杯するくらい、美味かった。・・・一人きりの大浴場で泳ぐ。浅いから、背泳ぎ。1時間以上うろうろしていたが、誰も入ってこなかった。

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 朝は4杯おかわりした。なぜかご飯がとても美味しい。滅入っているのに、まだ精神は元気を出そうとしているのだなと思う。精神が元気を出そうとしているのに、ぐずくずしていられないから、さあ、小倉へ向かう。『午前十時の映画祭』を観るためである。昨年、大都市を中心に上映していて、私は地方都市でよだれを垂らしながら50本の予告をズラズラとながめているだけだったが、とても評判だったらしく、なんとか小倉までフィルムがやってきた。~赤のシリーズ~として50本上映し、昨年に上映が終わったところでは、新たに~青のシリーズ~として50本を選んでいる。

 映画文化も低い地だし、そんなに客は望めまいと思っていたが、予想外に毎回、客が入っている。それも若い人が多く、女性ばっかり。二十代前半とおぼしき女性が多い。男性はチラホラである。若い女性に囲まれて、アラフィは2月から8月までの半年で、以下の作品を観た。「パピヨン」「ブリット」「雨に唄えば」「アラビアのロレンス」「お熱いのがお好き」「アマデウス」「戦場にかける橋」「映画に愛をこめて アメリカの夜」「鉄道員」「クレイマー、クレイマー」「レインマン」「アパートの鍵貸します」・・・なんと大きなタイトルが並んだことか。映画館で観た作品、もう何度も観た作品、テレビでしか知らなかった作品。また会えて嬉しい。好みではなくて、それほどでもという作品もあるけれど、どの作品も、まったく色褪せていない。古典を観ている感じではない。今どきの映画ばかり観ている人たちは、この群に圧倒されることだろう。脚本、構成の素晴らしさもスクリーンから感じると思う。

 映画の世界だけではない。小説も、絵画も、音楽も・・・永遠に残る名作というものがある。教科書はつまらなくても、国語の教科書で選出している小説は今読んでも面白い。モーツァルトを古くさくて聴くに値しないとは思わない。何度聴いてもゾワゾワする。それが、たった100年ちょっとしか歴史のない映画にも存在するようになった。70年代後半に、カクンと落ちてくれたからである。成長してしまった国の芸術はつまらないのかもれない。淘汰してしまったのだろうか。飢えている国の方が面白い。あんな国の映画ごときがと思いながら、今は韓国映画と中国映画がずば抜けて面白い。ブームで終わるかと思っていたのに、まだまだ勢いがある。先日観た「生き残るための3つの取引」「戦火の中で」などは、これって日本が作っていたとしたら、賞総なめだなと・・・。落ちに落ちたり日本映画。今の日本映画、特に大金を注ぎ込んだ日本映画はスマートに作りすぎる。誰があんな脚本でゴーを出したのか。今とぎの頭の偉い人たちは、字が読めるのか。

 私は朝が苦手である。子供の頃からずーっと現在まで。低血圧というのも手伝い、午前十時の映画祭にでかけるには、なにか飛び上がる仕掛けでもして寝るか、徹夜のままでなければいけない。一流ホテルのチェックアウトは11時、12時だけれど、幸い貧乏なアラフィは国民宿舎か民宿かビジネスホテルに荷を解く。あたり前のように午前10時がチェックアウトのところである。朝食付きにするのは、多くの宿が朝食時間を6時30分~9時に設定しているからだ。お金を捨てるわけにはいかないので、自分自身を寝ぼけ眼で食べにいかせるためである。チェックアウトは遅くても9時30分になるので、午前十時に、スクリーンの前に座っていることになる。東京や大阪では、一日中、上映しているのが羨ましい。シネプレックス小倉では、最初の数本は朝と昼の2回上映だったが、以降はずっと1回のみだ。朝から最も入っている映画だと思うのに・・・。

 入場料金1,000円のうち、映画館の取り分は50%。配給元が40%。主催の映画祭は10%で、いくら人が入っても、主催の映画祭は、黒にはならないのだという。黒にならない上映を懸命にする力とはなんだろうか。観てほしい、観せてあげたい・・・のだろう。こんな映画界に成り下がってしまった今、どんどん上映しておくべき作品群だが、ちょっとでも黒を出せるシステムはないのかしら・・・。~青のシリーズ~が、来年この地にくるかどうか、それは観客動員にかかっている。映画館の判断である。全国の多くは、東宝系での上映であり、このシネプレックス小倉は、角川系。この地には東宝系シネコンがないのだ。小倉の『午前十時の映画祭』は、二十代の若い女性に支えられて上映を続けている。その中にオッサンがぽつん。ぽつんだけれど、来年の~青のシリーズ~開催に少しは貢献しているアラフィなのだった。

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英国王のスピーチ

2011年03月01日 23時00分00秒 | 90点以上(2008.2009.2010.2011)

Photo <シネプレックス小倉>

 一国の首相がころころ変わるのは、他国に対してとても恥ずかしい。首席会談で約束し、実行するときは次の次の首相だったなんて、別の人と話し、別の人が計画し、別の人が挨拶に来るようなもので、なんのこっちゃわけわからん。がしかし、どうしても首を取らなきゃならない首相がいた。とても珍しい。この首相、能力もないのに、あまりに左巻きすぎて、権力にしがみついたが最後、席を譲ろうとはしない。体裁無視してしがみついている様だった。これほど、やめろやめろと議員、国民が思った首相もいない。首相は誰がなっても同じなんて言う人がいるけれど、バカじゃないかしら?どこを見ているのやら?他人はどーなってもいい、自分だけのちっぽけな人生を考えているのだろう・・・誰がなるかは大事である。首相によって国は変わる。同じなんてことはない。極端だが、首相によっては戦争も起きまっせ。

 小泉政権は、後々に多くの大きな課題を残したが、あの頃、私たちに夢や希望を与えた。なにかできるかも?と、個々も思った。北朝鮮拉致問題も、あの政権だからできたと私は考える。国民の絶大な人気に、北朝鮮は無視できなかった。首相はどうでもよくても、国民一丸が恐かったのだではないか。北朝鮮は焦って、わけのわからぬ死亡診断書まで用意した。ずさんな計画しか立てられなかった。もう少し時間があれば、綿密な計画を練られてしまったかもしれない。郵政民営化できないから、自分の考えが通らないからと、解散して選挙するなんてアホらしさ極まるが、国民は大勝利させるお祭り騒ぎに乗っかった。郵政民営化が叶えば、小泉首相の夢は果たせた。すぐに安倍に譲った。大変な時に譲られて、安倍が果たしたい憲法改正は議論だけに終わった。だが、震災の活躍ぶりを見てもわかるが、防衛庁を防衛省とした安倍の功績は大きい。識者が選ぶ、首相にしたいベスト1なので、もう一度返り咲くだろう。

 首を取らねばならないクダの次は誰か。誰もいないかもしれないが、私はずっと野田だと言い続けていた。野田しか他にみあたらないのだ。中国にひれ伏す仙石ウソの38では困る。日本人は心よりイケメンに弱いらしく、国民の人気は圧倒的に前原だったが、クダを引き継ぐだけで、まったく変化なしだろう。イケメンだろうがなんだろうが、同じ首を持ってきてはいけない。心を知って、顔で選んだことを後悔する。次に人気なのが海江田だが、小沢の子分では政策より政権を考えるだけだからいけない。小沢の操り人形を毎日、見ているのもバカバカしく、ますますテレビから離れていきそうだ。・・・私は野田くらいしかいないと思い、そんな話になると野田だ、野田だと言ってきた。だが、そう思う人は誰もいなかった。野田に何ができる、これまで何をやってきた・・・人によっては、野田ってだーれ?と言われた。マスコミの偏った報道では、まず野田はありえまい。テレビ、新聞だけを頼りにしていると、次は前原か海江田ということになる。それでは、ホントーに困るのだ。

 野田が、もっともマトモな政策を掲げ、もっともマトモな考えを述べていた。常識ある、もしくは良識あるといったほうがいいかもしれない。全国ネット、大新聞は、そのあたりをあまり報じない。だいたい、野田が民主党に居るのもおかしなことだと私は思っている。野田の考え方は自民党寄りである。野田が首相になれば、自民党もそんなにワイワイと言えまい。ここで、三番人気が首相になったことを思うと、民主党もまんざらバカの集まりではないなと思った。政権のことより、政策、国民のことを考えている議員がまだまだ居るということだろう。だがもし、自民党寄りの野田が、民主ではなく、自民にいたとしたら・・・おそらくは、首相の座はなかったろう。民主には人材がいなさすぎる。そんなわけで、鼻で笑われた私の予想が当たった。国民の人気は高くないけれど、言ったことはやる人だろうと思う。そしてまた、自民党の時代がくる。民主党に投票する国民なんて、もういない。

 大統領も首相も、変わらなきゃならない時が来る。まだいいよと言われても、任期満了というものがある。しかし、国王や天皇は変えることができない・・・ということになっている。昔は、途中で第一子に座を譲ったりしたようだが、今はそうなっていない。厩戸皇子なんて、途中で皇位継承すればよかったのに・・・。知らなかったが、イギリス王ジョージ6世は吃音だった。この映画は、ジョージ6世の吃音を克服するまでを、ドイツに対してフランスとともに宣戦布告する演説までを描いている。宣戦布告は国王の仕事で、国民の士気をあげるために、堂々と成せばならない。国王がついていこうという気を奮い立たせてやらねばならないのだ。とても大事だ。皇位継承したとき、宣戦布告をせねばならなかったか、未来はわからないけれど、国民の前で演説する機会は多くあり、本人も妻も、まわりに仕える者も、そこに同席する度にハラハラである。・・・吃音は克服する。それは観客もわかっていて、どのように克服するのかを、個性的な医師との友情が深くなるのを楽しみながら、ジョージ6世の人柄を知りながらじっくり堪能できる仕上がりになっている。

 「ソーシャル・ネットワーク」と本作、どちらがアカデミーを獲るかが話題になったけれど、もし、100年後に映画がまだ存在するとしたら、迷わず、こちらだろう。私はどちらも鑑賞したが、こっちに決まってるじゃないか!と観終えた後、信じた。今を生きて観るだけ、このまま時代が変化しないと思うならば、あちらかもしれないけれど・・・。にしても、コリン・ファースのおどおどした喋り、立ち居振る舞い、上手い。英語のわからぬ私でも上手いと感じる。んで、医師のジェフリー・ラッシュが見事。パイレーツ・オブ・カリビアンのバルボッサだで!もはや唖然とする化け方。同じ人とは思えない。日本にこんな俳優、脇役が一人でもいようか?おどおどしたコリン・ファースと、緊張していながら堂々として見せるジェフリー・ラッシュのそれほど言葉が多くないやりとりと、会話の間と、ゆっくりと結ばれていく友情に心躍る。美しくもさりげなく撮られたカット割りのタイミングも手助けしている。

 父のジョージ5世は、大活躍した人物である。足元をすくわれそうな弱い心を見抜かれまいと、極度のストレスを隠し、雑多なものに溺れながら、それでも先頭に立ったようなところがある。我が子を同じ運命にするのは厳しかったろうが、皇位継承は宿命である。誰がなんと言おうが、気が弱かろうが、吃音だろうが、国を代表する人とならねばならない。頼む!という願いが、怒りとなり、ジョージ6世をさらに追い詰めてしまったかもしれない。どうしても、私になれ。届かぬ願いかもしれない中、異常な喫煙依存でこの世を去る。肺炎だったという。ジョージ5世の方がドラマティックな生き方だが、テーマをひとつに絞り込むことで、これほどまでにジョージ6世が活きてくるとは。

 首を変えるべき人がなることもあるけれど、いつでも辞められる国民代表では、責任も実感として湧いてこないだろう。国民の為というのは、あなた自身の為でもある。あなた自身の為であるならば、死ぬ気構えでやらねばならない。公約は法律ではないから守らなくてもいい。ただの口約束だ。時代は変わる。変われば、それに合わせていけばいい。ただ、最初から無理なことを約束するのはいただけない。それを平然と聞かされ、読まされ、信じて投票してしまう国民もいただけない。国家のレベルは国民のレベルである。無理な公約で、守らなくても国民は平然としていると、政府のお偉方は知っているのだろう。国家のレベルを上げるためには、私たちのレベルを上げる必要がある。

 野田首相の最後は、鳩山や菅のような体たらくではないことを信じよう。仁義、人情を知っているような感じに思える。本作「英国王のスピーチ」のエンディングのように、潔く、気持ちよく、スパッといけますかな?  <90点>

 

 

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ヒア アフター

2011年02月20日 23時00分00秒 | 90点以上(2008.2009.2010.2011)

Photo <シネプレックス小倉>

 劇場内での映画の撮影、録音は犯罪です。法律により10年以下の懲役、もしくは1000万円以下の罰金、またはその両方が科せられます・・・映画鑑賞前に1000回以上は観たかも。・・・劇場内で撮影なんぞしたことないけれど、DVDをレンタルして、これをコピーしたことはいくらでもあり、営利目的ではなくて、友達や知り合いに差し上げたこともある。それも犯罪です!はぃ・・・いやいや、まあまあ。ションボリ。

 みんなに観てほしい映画!映画好きには是非!それほど映画を観ない人もこれならば!昔の日本映画は今の韓国映画なんかより凄かったんたぞ!などなど、いろんな思いで、人に渡してきた。・・・その両方が科せれらます!・・・うーむっ・・・コピーガード外せるんだもの(T_T)・・・そうやって、人にあげちゃった後、だいたい3つの反応がある。ひとつめは「観て、感想なりを聞かせてくれる人」、ふたつめは「観たよだけ伝えてくれる人」、みっつめは「観たも観ないも、何も言ってこない人」である。私もたまにいただくことがあり、観忘れてしまって無反応だったりして、他人のなにやらは言えないけれど、DVDがどーのこーのではなく、すべてにおいて、人はこの3つにわけられるような気がしている。もらった相手にもよるけれど、営利目的で渡したわけではないから、お返しの品物ではない。言葉がいる。言葉が必要で、それが誠意であろう。

 観たも観ても言ってこない人と映画の話になり、たまたま、渡したDVDの映画の話になったことがある。1950年代のモノクロの日本映画だった。が、その人は、私が渡したことすら忘れていた。もう、ガッカリである。観なくてもいいけれど、渡したことくらい覚えておいてもいいだろうにぃ。観てほしいという願い、もっと言えば、観てどう感じたかを知りたい私としては寂しさ大爆発だ。新品を買う余裕などない私が、両方を科せられるのだぞ・・・!

 「ヒア アフター」をコピーして渡すか・・・いつかレンタルしてきて誰かに渡したい作品であろう。クリント・イースウッドという監督というか俳優というか、監督は、70過ぎて、80過ぎて、さあこれから!の人だ。スピルバーグなんかとケタが違う。どんどん良くなっていっている。若い、年寄関係なく、すべての世代の心を知っている、話せる人のように思える。また今年も、クリント・イーストウッドの作品をベスト10内に入れなければならないだろう。ただ、この作品、運が悪かった。映画の質を問う2月に上映するのは確かな決定だったけれど、3月11日に映画そっくりの映像が、CGなしの映像が、テレビで流れるなんて誰も知らなかった。地震学者があわてふためくのだから、もうあんな学問なんていらない。国費の無駄で、予知はわからない・・・でいい。起きたとき、どうすればいいかに、もっとお金を使うべきだ。というわけで、本作は3月12日で上映中止。2月に観ておいてよかった。映画としては、人と人の大切なつながり、宿命や運命を抱きしめるように感じることのできる秀作である。

 話がダラダラ興味になるだけで発展しないから、あまり人に言わないが、私は幽霊を見る人である。夜より昼間のほうが多い。あれが幻覚ならば、私は会話することもできないくらい狂っている。見るだけが多いが、触られたり、ぶつかられたりする。面識ない人をやたら触るな・・・ぶつからないように歩くべし・・・。時々、ギョッとする出かたをするから、心臓がぱくつく。なぜかびっくさせたがる。どっか行け!と言われる隙間を与えたくないのだろう。幽霊の存在は、つまり気が残ったということではないかと私は思っている。存在はない。気が残る。強ければ強いほど残るのではないか。誰もいなくなった学校、マンションが気持ち悪いのは気が残った空間だからだろう。廃墟の病院なんて、たまらなく気が残っている。霊感ない人でも気味が悪いはずだ。怖い霊が出るのは、恨みつらみという強い気を残すからだろう。ただ、それが見えるのはあまりよいものではない。

 前世ではないかと思うような同じ夢を何度も繰り返し見ることもある。どうも右脳だけで生きていると、そんなことになるらしい。という私だから、この物語には頷けるところがいっぱいあった。シナリオは生半可な取材をしていない。右脳で生きてるくせに理屈っぽい人をも鑑賞に堪えさせる力を持っている。宇宙がひとつでできているのならば、その中のちっぽけな地球はひとつの体。遠いようで手で足を触ることは容易いのだと思わせる。自分の立つ地と地球の裏側の人とは、つながっているかも?ではなく、つながっているのだった。国も違うし、言葉も違うし、生活も違うし、考え方も違うし、貧富の差もあるし・・・でも、ちゃんとつながっている。そして、関係しあっている。あなたがこうしたから、違う国の知らない人がこう決めた・・・。それを私たちはあらめて知る。

 ただ、関係する数が多い。人生の時間は決められているから、実際に会う人間はなんとも少ない。そのなんとも少ない中で、自分の本当の心を話せる相手が、一生でどのくらいいるか。80年生きたとして、1000人?100人?・・・100人いたとしたら大変だ。1年で3回しか一緒に過ごせない。会わずともよいのだけれど・・・私はせいぜい20人くらい。いや、もっと少ないか。その人を大切にして、縁が切れたとしても、その時間は大切だったと心にしまおう。・・・「ヒア アフター」、コピーして人に渡したい逸本である。  <90点>

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ビッチ・スラップ 危険な天使たち

2011年02月05日 23時00分00秒 | は 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <小倉コロナシネマワールド>

 海峡を隔てて、あちらは門司、こちらは下関。あちらは九州、こちらは本州。あちらは人口100万の政令都市、こちらは人口30万の中核都市である。どちらも高齢化、少子化に拍車をかけて先が見えている気がするけれど、現在だけに限って言えば、下関は、経済も都市としての機能も北九州に負けている。関門海峡のもっとも狭いところは500mしかなくて、車で直線距離を走れば3分足らずなのに、間は陸ではなく、海ということか、遠く感じる。車の道はトンネルか関門橋の2つしかなく、実際、遠い。バブルの頃、下関から小倉まで一直線に橋を架けようとしたけれど、あれが着工していたら、下関小倉間は5分で行けた。バブルがもう少し続いたら、この街も少しは活きていたかもしれない。

 活きていた・・・今は死んだような街になっている。だんだん死んだから、ずっと住んでいる人は気づかない。下関と北九州は、昔から対抗意識を持っている。食べ物や建物や文化まで意識対抗丸出しだ。で、相手の文句を言う。下関に帰ってきて、それを何十回も聞かされた。私としてはどうでもよく、単なる通過都市で、大都会から忘れ去られた地方都市のウジウジだと思っているけれど、どちらに軍配があがるかと言えば、客観的に見て、北九州市であろう。マシな程度だが・・・。人口がどーのではない。地図を見ればわかる。すでに地形的に負けている。下関はまわりを海で囲まれていて、海岸近くまで山がズラズラと並んでいる。平野部のように見えて、ちょっと市内を入っていくと、もう盆地なのだ。海まで近い盆地。家々は、山肌にへばりつくように立ち並んでいる。日本で二番目に高齢化が進む市なのに、あんな山の上に住んで、老後は大丈夫なのかと思う。盆地で華やかになろうとすれば、一度、都にならねばならない。一方、北九州は小倉から戸畑、八幡にかけて大きな平野部を持っている。人口は減少すれど、それは北九州がただっ広いからで、小倉界隈の人口は伸びている。平野部が広い・・・もう負けているのだ。だいたい、日本で二番目に高齢化が進む市、日本で二番目に少子化が進む市ということを、この街の人たちは知っているのだろうか。自慢にもならない。自慢するには一番になってからである。

 だからこそ、東京からやってくるシネコンは下関をまたいで通った。小倉には、角川系、東映系、コロナチェーンの3つがひしめきあって、ひとつくらい手前の下関にと思うが、群れていたほうが儲けがある。下関人は、文化と接しない。・・・下関に、ツタヤがないのはあんまりだ。あんなに全国展開して、村と呼ばれる僻地にまで建てているのに、30万人の街、下関をシカトするとは。この事実に下関市民は憤慨しないのだろか・・・どうも憤慨していないようである。ツタヤを知らない人も多い。テレビだけ、100円レンタル!と騒いでいる。ここにはないのに。

 そんなわけで、映画を観るためには、小倉まで足をのばさねばならない。一年の間に何度、小倉までやってくることか・・・50回、いやもっと。下関は文化と言えば音楽らしいので、映画なんてやっても観にはこない。そのかわり、タダの催し物には集まる。タダの催しに集まる下関人を怒っている下関人も多く、そういう人とは長話になるが、タダに集まる街はいけない。100円でも200円でも設定すべきだ。東京や大阪では、タダの催しに人は集まらない。タダはタダなりのことしかしない。

 もはや、私は下関市議会に出たいくらいだ。地盤も何もないし、出るお金もないから最初からダメだけれど、意欲ある泡沫候補である。ちまちま、目先のことばかり訴える議員が多すぎる。市役所役員が話し合ってやればいいことを、選挙で選ばれた議員が胸はって公約としている。下関市を50年前のようにしよう!活気ある街にしよう、オレについてこい!・・・市民に夢と希望を与えることが政治家の最初の仕事だと思う。大阪府はそんなに変わっていない、宮崎県もそれほど変わったわけではない。しかし、みんな夢を持った。希望を持った。それらは、生きがいにつながるのだ。

 それすらできない街であるならば、生きがいを与えることすらできない街であるならば、私はもうここを去ろうかと本気で思っている。大阪へ戻るつもりはない。去るなら、東京か・・・埋もれてしまうなら、大人数のほうがよろしい。毎日、刺激があり、毎日が違う。同じ日がなく、毎日が違うのは大阪も同じだが、もうあの地へ戻るつもりはない。

 ケチくさい私の愚痴である。これが本気だから面倒な男だけれど、ケチくさいことをほざいている中で、楽しいことに、ありがたいことに、またまたケチくさいB級映画を観る機会を得た。この映画、2009年制作だが、流れる空気は1970年である。70年代に公開されていたら、歴史に残ったかもしれないが、あの時代のマネなので作りようがない。タランティーノが泣いて喜ぶ、超低予算の車と女と砂漠とロックとエロゲロで、しかもオールロケ。懐かしくて、楽しくて、自分も撮ってみたかったのだろう。私も懐かしくて、楽しくて、アホらしくて大好きである。

 設定を喜び、楽しんでいるだけたろうと観たのだが、なかなか物語の運びにも凝っている。台詞も面白いし、カット割りもよく考えている。砂漠の真ん中で立ち止まり、どこを見回しても砂漠なので、舞台劇にもなりそうだが、そうはいかない映画のカット割りをちりばめて、何度もギョッとさせられる。良いハズが、どーも納得いかない。もっと退屈な映画であるべきだ・・と、変なことを思う。という観客の気持ちを監督は考えてか、セクシーな女性たちのサービスシーンを用意している。完全になくていいシーンで、Tシャツ一枚のセクシーな美女たちにホースで水をザバザバとかけるカットがしばらく意味なくつながれる。おまけにスローで、ロックをかける・・・もはや、B級のアレでござんす映画だ。70年代のパロディ。

 この手の映画は、アメリカではまだまだ作られている。日本に入ってこなくなっただけのことである。今はカルトファンに要求され、支えられて輸入されるのだ。選ばれた一本だから、内容もしっかりしていた。埋もれてしまう映画だが、埋もれてしまうのも悪くない。埋もれるためにはどうすればいいかも、考えに考えるものである。ほっといても、なかなか埋もれないから、面倒なものである。考えねば・・・。 <70点>

 

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リミット

2011年01月29日 23時00分00秒 | 90点以上(2006.2007)

Photo <シネプレックス小倉>

 -記事前文削除- 前文は、削除しました。

 

 つい先日、実話をもとに作られたアカデミー賞監督の話題作「127時間」を観たけれど、孤独感は似ていても、こちらのほうが映画としてはずっと上回っている。一切遮断された部屋の中、孤独を客観的に娯楽化した最高の映画であった。映画館のほうがいいけれど、どうぞDVDでもブルーレイでも。なんならVHSでもベータでも。モノはテレビに映り、きっと手に汗握る90分のはずだ。観なくちゃ、もったいない。

 真っ暗な中から映画ははじまる。息遣いだけが長い。クローズしたままのように思える。ジッポーがどぴゅっと点火し、ようやく明るくなったと思ったら、狭い木棺の中の中に生きたまま入れられた男。木棺は土の中に埋められているらしい・・・映画をたくさんご覧になる方は、ありがちと思われるかもしれないが、この物語の他と違う面白いところは、外部となんとか接触できるところにある。その小道具が、バッテリーがどんどんなくなっていく携帯電話だ。電話は、埋めた謎の男(テロリスト、金目的らしい)からかかってくる。こちらもかけられる。アメリカ国防省へ、妻の電話へ、報道へ。この会話によって、木棺の中の男のこと、過去、妻や友達関係などが知らされる。また、電波が届くから浅いところに埋められていることもわかる。そして、携帯だから、モニターも明るいので、もうひとつの小道具となる。助けようとしているのか、テロに屈しないアメリカなのか、外部では芝居をしているのか・・・まったく謎のままである。

 多くの人と話をし、自分の状態をわかってらうけれど、この男は最初から最後まで孤独である。誰もいない。事実は、たった一人、木棺の中で生きようと戦っている姿。テロリストの用意したものは携帯だけではなく、足元にいくつかの生きるための道具を残している。すべて必要で、必要でなかった蛇の乱入まで道具で追い払う。うまく作ってある。こんな密室劇ははじめてだし、ゾクゾクワクワクが半端なく、止まることがない。ずーっと90分間、スクリーンには、埋められた男が映し出されるのみ。ラスト5分で、ようやくみつけられたようだが・・・さあ、掘り出してくれるか?青い空が?・・・映画をそんなに観ない方でも、これを面白くないという人はいないだろう。目をそむける間がない。大拍手のB級映画だ。

 さあ、もうすぐ10月。そろそろ2011年分を書きはじめますかぁ!遅いかしら?ならば、一か月一本だけで、あとは削って。書きたい映画と、書きたい旅と、書きたい心を書いていきます。幸いなことに、プライベートで、このブログを知っている人はとても少なくて、知っていても読んでない。トホホ・・・ありがたい、じゃあ、好きに書くさぁ。  <95点> 

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2010年 マイベスト10

2010年12月31日 23時00分00秒 | 映画に関する話

 はじめて出会う人の背景は白い。想い、考え、環境、そして過去を知らないからだろう。知るにつれて、行動を共にするにつれて、いろんな色になっていく。目の前の人は、白い背景を背負っていたのに、どんどん色に染まっていく。ブログを通じて知り合った人の背景は、見たこともない、会った事もないのに、私の中ではいろいろな色になっている。・・・もう一度、私は白くなりたい。私を知らない人ばかりの中で、やり直したい。あと10歳若ければ、いや、あと5歳でも若ければ・・・と、悔しい出来事が多い。あと5歳?このブログをはじめた時ではないか・・・でもあと5歳。ムリを言いませんから。今の記憶を持ったまま。やっぱムリだわ・・・そういう願い。映画は夢を見させてくれた。あの時。若ければ。もう一度。叶わぬ願いを映画の主人公は叶え、私たちは自分の人生を振り返る。

 やりたいことがいっぱいあった。時間はないし、お金はないし、相手もいない・・・我慢してきた。まだまだ、やりたいことがいっぱいあり、やらなければならないこともいっぱいあり、いつも我慢している。・・・やりたいことがいっぱいあること、我慢することは大事だと思う。やりたいことがない、なにをやっていいのかわからないなんて人も多いけれど、不幸なことだ。欲望は人にとって必要なことで、それを我慢することも必要である。テレビドラマ、山田太一脚本『早春スケッチブック』の中で、山崎努は、こんな台詞を言う。「我慢することは大事なことだ。満員電車で屁はたれません、女房がいるから他の女とは寝ません。こんなことは、人によっちゃあくだらねえ我慢だ。しかしな、くだらねえと思えるが、我慢をしなかった人間は、魂に力が無え。やりたいことやってきた奴は、いざという時、ここぞという時、踏ん張れないのさ。崩れちまうのさ。」安っぽい私でも、少しは魂に力があるかもしれない。やりたいことがない人は、それ以前の話だ。欲望はためて、いつか出すという気持ちでいなければならないように思う。『パピヨン』のダスティン・ホフマンの言う「誘惑に勝てるかどうかで人の価値は決まる。」に通ずるところがあるかもしれない。

 映画から多くを学んだ47年間。5000も6000も映画を観てきたろう。テレビやビデオを入れると1万いっているかもしれない。映画を観る人でなければ、なにをその時間、過ごしていたろうか。きっと、明日にも忘れているテレビをダラダラと見ていたと考え、プラスに歩こう。・・・2010年に劇場で観た映画は110本くらい。あのころの半分以下だが、最後の最後、2010年マイベスト10を記す。

 <日本映画>

 第一位 悪人

 第二位 告白

 第三位 おとうと

 第四位 ねこタクシー

 第五位 必死剣鳥刺し 

 第六位 パーマネント野ばら

 第七位 ヒーローショー

 第八位 借りぐらしのアリエッティ

 第九位 スープ・オペラ

 第十位 オカンの嫁入り

 <外国語映画>

 第一位 第九地区

 第二位 インビクタス 負けざる者たち

 第三位 ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い

 第四位 カールじいさんの空飛ぶ家

 第五位 フィリップ、きみを愛してる!

 第六位 トイ・ストーリー3

 第七位 ニューヨーク、アイラブユー

 第八位 シェルター

 第九位 小さな命が呼ぶとき

 第十位 シャッターアイランド

 この地には、ミニシアターが無いので、全国系がほとんどである。大阪の頃は、ベスト10を書くと、ミニシアターものが半分を占めていたので、環境の違いは大きなものである。観たいのに観られない映画がいっぱいある。我慢して、我慢を過ぎると諦めとなる。諦めたのでは、我慢した意味はない。我慢して観てこそのナンボである。我慢して諦めるを繰り返すと、諦め癖がついてしまう。なにを我慢したのかさえわからなくなってくる。欲望の封じ込めは、魂の力とはならない。

 日本映画の第一位と第二位は、映画賞総なめしたもので、ありきたりになった。主なもので、『悪人』は、キネマ旬報、報知映画、毎日映画が獲り、『告白』は、アカデミー、ブルーリボンが獲った。なんとまあ、極端な硬派と軟派なわかれかた・・・。

 今年も観た本数は、日本映画の方がずっと多い。物心ついたときから、私は日本映画の方が好きで、今に至っている。日本映画があったからこそ、映画人を目指し、映画を観続けた。洋画と邦画が逆転し、現在は邦画の方がよく観られているけれど、昔のように、洋画びいきの人の多い方がいい。日本映画の良さを話す機会が少なくなってきたのは寂しい。とはいえ、今は、映画の話をする相手もいないけれど・・・。

2010.12.31

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