生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

後1-16. み旨から見たイサクの位置

2017-02-12 07:22:24 | 原理講論 後編1 復帰基台摂理時代

16. み旨から見たイサクの位置

③ み旨から見たイサクの位置と彼の象徴献祭

アブラハムは、いったん、その「象徴献祭」に失敗したけれども

彼を中心として、「メシヤのための基台」をつくることができる原理的な条件があったことに関しては、既に詳述した

しかし、予定論で明らかにしたように、自分の責任分担を果たせずに失敗した張本人であるアブラハムを中心としては、再び同じ摂理を繰り返すことはできなくなっている

したがって、神は「象徴献祭」で失敗したアブラハムを、失敗しなかった立場に立て、また、延長されなかった立場に立てなければならなかった

神はこのような目的のため、アブラハムに、イサクを燔祭としてささげよと命令されたのである
(創二二・2)

神はアブラハムに

「あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」

と言われ、また、神は彼を外に連れだして

「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい……あなたの子孫はあのようになるでしょう」
(創一五・4、5)

と言われて、イサクを通して選民を召命なさることを約束されたのである

ゆえに、アブラハムが神の命令に従って、その約束の子イサクを殺そうとした忠誠は

「象徴献祭」の失敗によってサタンの侵入を受けた自分自身を殺そうとしたのと同様な立場をつくったのである

したがって、神がイサクを死んだ立場からよみがえらせたということは

アブラハム自身も、イサクと同じく、死んだ立場から侵入したサタンを分立すると同時に、再びよみがえったということを意味するのである

ゆえに、アブラハムはイサク献祭で成功することにより

「象徴献祭」の失敗で侵入したサタンを分立し、み旨を中心としてイサクと一体不可分の立場に立つようになった

このように、死んだ立場から共によみがえったイサクとアブラハムは、お互いに個体は違うが

み旨を中心として見れば一体であるので、アブラハムを中心とする摂理が延長されても、イサクがその摂理において成功すれば

この成功は、すなわち、イサクと一体であるアブラハムの成功ともなり得るのである

したがって、アブラハムが「象徴献祭」に失敗して、その摂理はアブラハムからイサクまで延長したけれども

み旨を中心として見れば、アブラハムは失敗せず、また、その摂理も延長されなかったのと同じことになったのである

イサク献祭のときのイサクの年齢は、明らかではない

しかし彼が燔祭の薪を背負って行ったばかりでなく
(創二二・6)

燔祭の小羊がないのを心配げに、それがどこにあるかと、彼の父親に尋ねてみているところから
(創二二・7)

推測すると、彼は既にみ旨が理解できる年齢になっていたことは明らかである

そこで、我々はアブラハムが燔祭をささげるとき、イサク自身も、それを協助したのであろうということが推測できるのである

このように、み旨に対して物事の道理が分別できる程度の年齢になっていたイサクが、もしも、燔祭のために自分を殺そうとする父親に反抗したならば、神はそのイサク献祭を受けたはずがないのである

ゆえに、アブラハムの忠誠と、それに劣らないイサクの忠誠とが合致して、イサク献祭に成功し、サタンを分立することができたと見なければならない

したがって、献祭を中心として、イサクとアブラハムとが共に死んだ立場からよみがえることによって

第一に、アブラハムは、「象徴献祭」の失敗によって侵入したサタンを分立し、失敗以前の立場に蕩減復帰して、その立場から自分の摂理的な使命をイサクに継がせることができ

つぎにイサクにおいては、彼がみ旨の前に従順に屈伏することにより、アブラハムからの使命を受け継ぎ

「象徴献祭」をささげるための信仰を立てることができたのである

このように、アブラハムの使命がイサクの方に移されたのち

「アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた」
(創二二・13)

と記録されているとおり、アブラハムは、イサクの代わりに神が準備された雄羊を燔祭としてささげた

これは、そのままイサクを中心として、「信仰基台」を復帰するためにささげられた「象徴献祭」となったのである

イサクが燔祭の薪を背負って行った事実から見て、アブラハムが雄羊を燔祭としてささげるときにも、イサクが彼を協助したであろうことは推測するに難くない

したがって、アブラハムが雄羊を「象徴献祭」にささげたといっても、み旨から見れば彼と一体となって、彼の使命を継承したイサク自身が、献祭をした結果となるのである

このように、イサクは、アブラハムの使命を受け継いで、彼の身代わりの立場で

「象徴献祭」に成功して、「信仰基台」を蕩減復帰したのである

原理講論 後編1 復帰基台摂理時代-16





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❶ あなたは わたしのほかに 何ものをも神としてはならない

❷ あなたは 自分のために 刻んだ像を造ってはならない

❸ あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない

❹ 安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ

❺ あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え

❻ あなたは殺してはならない

❼ あなたは姦淫してはならない

❽ あなたは盗んではならない

❾ あなたは隣人について偽証してはならない

➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない
またすべて隣人のものを ほしがってはならない

申命記5章より



イエス様の答え

「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

イエスは言われた、

「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」

彼は言った、

「どのいましめですか」

イエスは言われた、

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」

マタイによる福音書‬ ‭19章 より

よく言っておく

天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである

マタイによる福音書:5章より



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